東季彦

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東 季彦(あずま すえひこ、1886年明治19年)1月17日[1] - 1979年昭和54年)7月18日)は、日本法学者出版事業家。旧姓(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。

経歴[編集]

奈良県十津川村出身。親類東武衆議院議員、出版事業家)の養子となり、東姓を名乗る。1889年(明治22年)8月、故郷が大水害に遭ったため、同年11月、一家で北海道新十津川村に移住。村の小学校を卒業した後、上京して旧制開成中学に入学。同校を卒業後、旧制第一高等学校から東京帝国大学法学部を卒業し、陸軍経理学校教授に就任。

1922年大正11年)、文部省留学生として渡欧し、民法を研究。1924年(大正13年)に帰国し、九州帝国大学法文学部教授に就任。

1929年(昭和4年)、日本大学法文学部教授。1939年(昭和14年)、法学博士号を受ける。1938年(昭和13年)、養父東武によって創立された北海タイムス社に入り、監査役常務を歴任。1942年(昭和17年)、新聞統制後の北海道新聞社初代社長に就任。同年、開成中学校長を兼任。

太平洋戦争後は日本新聞聯盟常任理事・事務局長を経て日本大学に戻り、1951年(昭和26年)、法文学部長に就任。1960年(昭和35年)から日本大学理事1962年(昭和37年)、日本大学学長に就任。学園紛争では強硬派として日大全共闘と対峙。

1966年(昭和41年)、勲二等受勲。国士舘大学法学部教授を経て、1969年(昭和44年)から日本大学顧問。墓所は多磨霊園

著書に、随筆集『マンモスの牙』(図書出版社1975年〈昭和50年〉)がある。

兄の乾政彦は大学教授で弁護士法学博士。一人息子東文彦三島由紀夫同人誌仲間で室生犀星の門人。新進作家として才能を嘱望されていたが、1943年(昭和18年)に夭折した。

家族親族[編集]

  • 養父 東武(政治家)
  • 妻 菊枝 石光真清 元陸軍中尉 次女
  • 長男 文彦

脚注[編集]

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