東大寺学園中学校・高等学校

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東大寺学園中学校・高等学校
Todaiji High School-002.jpg
過去の名称 金鐘中等学校
金鐘中学校(旧制)
青々中学校(全日制)・金鐘高等学校(定時制)
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人東大寺学園
設立年月日 1926年(大正15年)
1947年(全日制中学校開設)
1963年(全日制高等学校開設)
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 29506A
所在地 631-0803
奈良県奈良市山陵町1375番地
公式サイト 東大寺学園中・高等学校
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東大寺学園中学校・高等学校(とうだいじがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、奈良県奈良市山陵町(みささぎちょう)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]東大寺が経営母体である。

概要[編集]

東大寺学園中学校・高等学校は、1926年(大正15年)に東大寺の社会貢献事業の一つとして設立された金鐘中等学校(夜間旧制中学、定時制)が母体となっている。

戦後新学制となってからは、1947年(昭和22年)に全日制の青々中学校を新設、1948年(昭和23年)には金鐘中等学校を金鐘高等学校(定時制)と改称した。

1963年(昭和38年)、学校法人名を「金鐘学院」(1933年設立)から「東大寺学園」へ改称し、全日制高等学校である東大寺学園高等学校を新設、それに伴い、青々中学校は東大寺学園中学校へ、金鐘高等学校も「東大寺学園高等学校定時制」へ改称した。

1974年(昭和49年)、定時制課程を停止する。

東大寺境内(南大門の西隣)の頃は校地が狭く運動場も借用であったが、1986年(昭和61年)、山陵町(みささぎちょう)の自然豊かな4万m2を越える地に移転した。旧校舎は講堂・体育館(黒川紀章設計)のみが「金鐘会館」を経て改修の上300人規模の「金鐘ホール」(東大寺総合文化センターの一部)として活用されている。それ以外は2008年秋に解体され、跡地に東大寺総合文化センターの東大寺ミュージアム(2010年10月10日開館)が設置されている。

交通アクセス[編集]

沿革[編集]

  • 1926年5月4日 - 金鐘中等学校設立認可(奈良県下6番目の旧制中学・初の夜学)
  • 1943年4月28日 - 金鐘中等学校を金鐘中学校と改称
  • 1947年4月1日 - 青々中学校設立認可
  • 1948年3月3日 - 学制改革により金鐘中学校を金鐘高等学校(定時制)と改称
  • 1963年4月1日 - 全日制高等学校を開設。東大寺学園中学校・高等学校(定時制・全日制)と改称
  • 1974年3月31日 - 定時制課程を停止
  • 1986年4月1日 - 東大寺境内にあった旧校舎から、現在の場所に移転

設立の経緯[編集]

元々は大正時代に全日制・定時制2つの旧制中学を同時開校する構想があったが、東大寺の財政事情が急変して片方しか設けることができなくなり、緊急性の高い定時制を先に開校することを決定したという経緯があった。

1947年度から1962年度までは青々中学校と金鐘高等学校が併立しているという形であったが、全日制の青々中学校から定時制である金鐘高等学校へ内部進学する者は少なく、昭和30年代に入ると全日制普通科高校を新設する機運が高まった。

1963年の東大寺学園中・高設立以降、青々中学校卒業者は新設の東大寺学園高等学校へ内部進学することになった[2]

改称[編集]

東大寺学園高校設置により、1963年4月から法人と全ての運営校を新名称「東大寺学園」で統一し、一斉に名称変更することになった[3]

  • 学校法人「金鐘学院」(1933年設立)→ 学校法人「東大寺学園」
  • 「金鐘高等学校」→「東大寺学園高等学校定時制」(1974年閉校)
  • 新設の全日制普通科高校 → 「東大寺学園高等学校」
  • 「青々中学校」→「東大寺学園中学校」
  • 「金鐘学院奈良専修女学院」(1928年開校)→「東大寺学園女子学院」(1975年閉校)
  • 「金鐘幼稚園」(1934年開園、1945年閉園)、「みどり幼稚園」(1952年開園)→「東大寺学園幼稚園

学校生活[編集]

生徒手帳がなく、代わりに生徒証という三つ折の紙がある。仏教校である特徴として、入学式卒業式の際に東大寺の僧(理事長)が挨拶に来ること、旧校舎時代は登校時に大仏殿に向かって一礼する慣習があったことなどが挙げられる。「大仏殿一礼」は、ほぼ唯一の仏教的な慣習だった。境内地から移転した今でも、生徒証提示で大仏殿三月堂(法華堂)戒壇院などを無料拝観できる。

制服は、高校では金鐘中等学校以来なかった[4]。中学校では青々中学校以来の詰襟があったが、生徒会の活動により標準服扱い(着用自由)となったのち1995年に廃止されている。

校舎(奈良市山陵町)は中学棟、高校棟、転心殿、圓融館(えんにゅうかん)、体育館、グランド、テニスコート、中庭などからなる。半地下の1階を含む4階建てで、一部教室からは東大寺大仏殿や興福寺五重塔を遠望することができる。東大寺境内の旧校舎時代はグラウンドはないに等しく、体育の授業などでは奈良県営春日野グラウンド(現在奈良県新公会堂が建てられている)を使用していた。

学校行事[編集]

聖武祭[編集]

厳密には当校の行事ではないものの、毎年5月2日に東大寺で開催される「聖武祭(聖武天皇祭)」の日は全校休校日となっている。新入生(中1と高校編入生)が見学する。高校生はこの日の祭礼行列や、夏休みの売店事務など、東大寺関係のアルバイトをすることができる。

文化祭[編集]

菁々祭(せいせいさい)は毎年9月(通例第2週の土日)に生徒の手で催される文化祭である。各クラブの展示のほか室内楽部の定期演奏会、教師による体験授業、保護者によるお茶会などがある。

体育祭[編集]

旧校舎時代から長年にわたって中止されていたが、2005年度より当時の中学校1年生が非公式ながら再開。2006年度は当時の中学校1・2年生により開催された。そして2007年度より、学園の公式行事として認められている。

クラブ活動[編集]

クラブ活動も活発で、特に運動系は多くの部が毎年近畿大会・全国大会などへ出場している。文化系では百人一首部は強豪、囲碁将棋部は最強であり、将棋の個人戦では県上位を独占し、近年全国大会でも優勝した。東大寺学園最高の部活となっている。進学校ながら、クラブ活動は生徒の自主裁量により高等学校3年生まで続けることも可能である。クラブは「部」と「同好会」に区分され、生徒会予算(全体予算約900万円)が割り当てられ、学校の公式代表として大会に出場できるか否か、の差が存在するが、活動の活発さとは無関係である。なお、2012年には「運動部」「文化部」の区分が廃止されたが、便宜上分けて記載する。

運動部[編集]

  • 軟式野球部(高校も軟式である)
  • サッカー部
  • 陸上競技部(運動場が広いため各学校の練習会の会場となることが多い)
  • バスケットボール部
  • バレーボール部
  • ハンドボール部
  • 卓球部
  • バドミントン部(本校でよく大会が行われる)
  • 剣道部
  • 柔道部
  • 硬式テニス部

文化部[編集]

  • クイズ研究部(第6回全国高等学校クイズ選手権の優勝翌年に設立)
  • 室内楽部(主にクラシック音楽)
  • 囲碁将棋部
  • 科学部
  • 園芸部
  • 音楽部(主にロック音楽)
  • 写真部
  • 書道部
  • 新聞部(校内新聞「菁々新聞」を編集・発行する)
  • 歴史部菁史会(生徒指導部との混同を避けて“菁史部”とならなかった。2011年末からは部であることを示すために「歴史部」を冠する)
  • 百人一首部(全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会へ県代表として20回出場(2012年第34回大会まで))
  • 電子工作部(2011年度までの名前は「放送部」。校内放送ではなく電子工作・プログラミングなど。名称はかつてアマチュア無線を行っていたことに由来)
  • 鉄道研究部

以前はハングル講座や書道部など多数部昇格があったが、近年はクイズ研究部、鉄道研究部くらいである。なお、ハングル講座は部員がいなくなり廃止された。

同好会[編集]

  • MGA同好会(MGA とは模型・ゲーム・アニメの略である)
  • 情報同好会
  • 数学研究会
  • 登山同好会
  • マジック同好会
  • チェス研究会
  • 旅行研究会
  • 社会情勢研究会
  • 世界文化研究会
  • 漢文同好会
  • 観賞魚同好会
  • ドラえもん研究会
  • 道路研究会
  • 航空研究会
  • ロケット同好会

旅行研究会より上に記載されるものが2012年1月時点での同好会である。2011年度までは生徒会予算が割り当てられていた。以前から同好会の数は増加傾向であったが、2012年2月から同好会が申請のみで設立できるようになったこともあり、さらに増えている。また、文化祭等の行事のみで活動する「有志団体」も存在する。

その他[編集]

大学進学実績[編集]

進学先は京都大学が最も多く、合格者数で毎年トップ5に入っている。東京大学への合格・進学も多く、2大学を合わせて学年(約200名)の半数が例年浪人含め合格・進学している。また、医学部へ進学する生徒も多く、京大・東大・医学部だけで卒業生の大半の進学先を占める[5]

理数系志望が約6、7割であり、概ね、文系2クラス、理系4クラスの編成となっている。

2016年平成28年)の大学別合格者数は、東京大学37名、京都大学65名、大阪大学17名であった。また、私立大学は、同志社大学48名、立命館大学30名、慶應義塾大学26名、早稲田大学21名であった[6]

同窓会[編集]

「東大寺学園高等学校」(全日制)については、同窓会も青々中学校と合同で形成され、名称は「東大寺学園同窓会菁々(せいせい)」。1期生-13期生は青々中学校OB、14期生以降は東大寺学園高等学校OB、と構成している(14期生~16期生の内部進学組は青々中学校OBでもある)。2009年3月卒業生が57期生で、会員数は約8200名。「東大寺学園同窓会菁々」以外に「金鐘中等学校」-「東大寺学園高等学校定時制」のラインの同窓会「金鐘会」(約1500名)もあり、別に構成されている。また、卒業生の保護者だけで構成する「東菁会(とうせいかい)」もある。同窓会と混同されやすい「菁々会(せいせいかい)」は PTA である。

歴代校長[編集]

東大寺学園の本流である金鐘中等学校の初代校長(鷲尾隆慶・第198世東大寺別当)ではなく、青々中学校初代校長の清水公照から数える。

  • 初代 清水公照 - 東大寺の僧で書道教師。青々中学校を設立する市民運動に参加。のちに第207世・第208世東大寺別当
  • 2代 上司海雲 - 東大寺の僧で書道教師。のちに第206世東大寺別当。
  • 3代 矢鋪大治郎 - 教員から昇格。
  • 4代 次田吉治 - 教頭から昇格。
  • 5代 西岡淑雄 - 教頭兼主事から昇格。
  • 6代 田中良夫 - 奈良県立奈良高等学校校長から招聘。
  • 7代 新藤晋海 - 東大寺の僧。理事長と兼任。のちに第216世東大寺別当。旧制金鐘中学校卒業生。
  • 8代 牧野英三 - 奈良教育大学名誉教授から招聘。
  • 9代 山田哲夫 - 奈良県立奈良高等学校校長から招聘。
  • 10代 森本晧昭 - 京都府公立高等学校長会から招聘。
  • 11代 田中満夫 - 副校長から昇格。
  • 12代 矢和多忠一 - 奈良県教育委員会教育長から招聘。青々中学校・東大寺学園高等学校卒業生。
  • 13代 森宏 - 教頭から昇格。

著名な出身者[編集]

政治・行政[編集]

法曹[編集]

  • 中本勝 - 弁護士近畿弁護士会連合会理事長(1期・2012年-2013年)、奈良弁護士会会長(1期・1991年-1992年)、1968年卒業
  • 中村悟 - 弁護士、奈良弁護士会会長(1期・1995年-1996年)、1968年卒業
  • 以呂免義雄 - 弁護士、奈良弁護士会会長(1期・2013年-2014年)、1970年卒業
  • ほか弁護士約70名、判事約10名

経済・実業[編集]

大学教授[編集]

学術[編集]

文化・芸能・スポーツ・その他[編集]

併設学校[編集]

東大寺学園中・高の1985年度までの校地(東大寺大仏殿の隣、現:東大寺ミュージアム)の北側にある。

参考文献・出典[編集]

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  1. ^ 東大寺学園高等学校の進学情報 | 高校選びならJS日本の学校の「教育目標」のうち「教育の特色」によれば、高等学校第1学年に限り内部進学生とは別クラスにしている旨が記載されている。
  2. ^ 堀池春峰編著 『東大寺学園六十周年誌』 東大寺学園中高等学校、1986年、172頁。
  3. ^ 75周年記念誌編集委員会 『華萌ゆ 東大寺学園創立75周年記念誌』 学校法人東大寺学園、2000年、235頁。
  4. ^ 東大寺学園新聞部「中学の制服が廃止され、新校章ができる」『菁々新聞』1996年7月号。
  5. ^ 東大寺学園中・高等学校 進路状況
  6. ^ 東大寺学園高等学校の卒業生の進路情報 | 高校選びならJS日本の学校

関連項目[編集]

外部リンク[編集]