東京都立青山高等学校

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東京都立青山高等学校
東京都立青山高等学校
過去の名称 東京府立第十五中學校
東京都立第十五中學校
東京都立青山中学校
東京都立青山新制高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都の旗 東京都
設立年月日 1940年1月18日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(7学級)
学期 3学期制
高校コード 13101G
所在地 150-0001
公式サイト 都立青山高等学校:Tokyo Metropolitan Aoyama High School
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青山高校校舎

東京都立青山高等学校(とうきょうとりつ あおやまこうとうがっこう)は、東京都渋谷区神宮前二丁目に所在する都立高等学校。略称は「青高(あおこう)」。

概要[編集]

概観[編集]

1940年昭和15年)に開校した府立十五中を前身とする。学校群制度導入時代に戸山高校と同じ群を組み実績を伸ばしてきた学校である(同様な例としては、富士国立がある)。現在は東京都教育委員会から進学指導重点校2003年11月)に指定されている。1970年代から1980年代半ば前頃には東京大学合格者数が30 - 40人前後[1]を数えることもあった。

2004年平成16年)度から一般入試に自校作成問題国語数学英語)を導入している。

難関国公立大学合格を目指し、予備校によるサテライト講座、土曜授業、外部模試、東大特別講座(2007年より)、教員の指導力向上のための外部講師を利用した研修会、大学キャンパスツアーが実施されている。

教育目標[編集]

「身体」「知性」「情操」「個性」「社会性」が涵養すべき項目として定められている。教育目標は「健康な身体をつくり 知性を高め 情操をゆたかにし 個性を伸ばし 社会性を培う」である。

各項目は2007年平成19年)度の学校経営計画で以下のように定義されている。

  • 「身体」とは忍耐力、精神力、心身の自己管理能力、危険回避能力である。
  • 「知性」とはそれ以前の「知識人」あるいは「知識」を疑い、本質を求める知力である。
  • 「社会性」とは他人に対する洞察力。人の話を聴き、自分の意見を伝えるコミュニケーション能力。公共心、道徳心である。
  • 「情操」とは美・自然・他者を感じる力である。
  • 「個性」とは他との交わりの中で自分自身を刻み出す力である。

校名の由来[編集]

1946年昭和21年)3月30日、東京都立多摩中学校を廃止統合し、東京都立第十五中学校を改称して東京都立青山中学校が発足した。「青山」という校名は、第十五中学校が東京市赤坂区青山北町五丁目に開校したことに由来する。なお、設立に伴い赤坂区青山北町四丁目に校地が移された。新制高校に移行する際も「青山」の名称はそのまま用いられている。

校章[編集]

校章はの葉、結晶ペンを図案化したものである。雪の結晶は学び舎、ペンは勤勉、笹の葉は強さをそれぞれ意味している。

校歌[編集]

1959年に制定された。歌詞は在校生の杉本清治が作詞し、作曲は昭和20年卒業生の小杉太一郎が行った。4分の4拍子、速度はアンダンテ。なお、歌詞、譜面および校歌の録音は青山高校ホームページにて公開されている(演奏は青山フィルハーモニー管弦楽団、合唱は平成25年度1年3・4組)[2]

沿革[編集]

交通[編集]

部活動[編集]

文化部[編集]

運動部[編集]

学園祭[編集]

概要[編集]

  • 通称「外苑祭」と呼ばれ、青山高校最大最高の伝統行事であり、また、「西の国高 東の青高」「西の国高祭 東の外苑祭」と並び称され、都立高校文化祭として国高祭に次ぐ来場者数を誇り、日本最高峰の高校文化祭と謳われ、その世間に対する絶大な影響力は、もはやただの一高校行事とは言えない側面がある。
  • 「外苑祭」の通称は、1970年昭和45年)に決められた。理由は、「青山高校らしさを表現するとともに青山学院と混同されない」というものであった。
  • 外苑祭全体の運営は外苑祭委員会委員長を筆頭とする外苑祭委員会総務によって、各クラスの運営はクラス監督を筆頭とする監督団によって執り行われる。
  • 2004年度(平成16年度)より毎年9月の第一週に行われ、2日間の会期中に延べ8000人以上の来場者がある[3]。主な内容は、全学年全クラスによって行われる演劇、のみである。演技・演出・内装・外装・立看・衣装・音響・照明と作業量が膨大なため、外苑祭の準備は新学級結成後の4月から本番当日までの半年間かけて行われる。
  • 特筆すべきは、第3学年による演劇であり、どのクラスも、一般の高校生による演劇を超える、洗練されたクオリティといわれる。
  • 来場時に配られる冊子の中に、アンケート用紙が同封されており、このアンケートの2日間の投票結果によって、各学年各クラスの第1位~第3位、外装大賞、立看大賞を決める。第1学年・第2学年の第1位は「学年大賞」、第3学年の第1位は特に「外苑大賞」と呼ばれる。
  • 最終日最終公演後に在校生のみで行われる後夜祭で結果発表が行われ、そのボルテージの上がり方はまさに青春の頂点である。

歴史[編集]

  • 青山高校では1947年(昭和22年)に第1回目の文化祭が開催された。1948年(昭和23年)は資金難により中止となったが、1949年(昭和24年)からは毎年開催されている。
  • 1961年(昭和36年)にはそれまで文化祭の一部門であった運動会が単独開催となり、これを契機として応援団が結成された。
  • 1969年度は1969年(昭和44年)9月12日に起きた学校紛争の影響で文化祭は中止となった。
  • 1970年度には文化祭が再開され、新たに「外苑祭」の名称で1970年(昭和45年)10月3、4日に開催された。
  • 1991年度に初めて全クラスが劇ないしミュージカルの上演を行い、現在までこの開催形式が維持されている。
  • 2011年度の第65回外苑祭は東日本大震災による節電対策を目的として一般公開が中止され、生徒が配布する入場券などを持つ者のみが入場できる変則開催となった。
  • 2014年度の第68回外苑祭は保護者の鑑賞枠の確保のため、3年生の第1公演を対象として招待券制度が導入された。

同窓会[編集]

名称[編集]

  • 東京都立青山高等学校同窓会

沿革[編集]

  • 1945年3月 - 第1回生卒業とともに四組によるクラス会が発足。
  • 1946年9月 - 「四組会報」創刊。
  • 1954年1月 - 同窓会名簿発行。(収録者数約2000件)
  • 1954年5月 - 日本青年館において第1回同窓会総会が開催され、会則が制定される。同窓会の初代会長に中村健之助(1945年卒業)が就任した。
  • 1961年5月 - 第2回同窓会総会が開催され、2代目会長に長屋稔(1945年卒)が就任した。
  • 1976年11月6日 - 第3回同窓会総会が東京証券会館内ホテルオークラ・レストラン・ニホンバシにおいて開催される。
  • 1980年3月 - 同窓会名簿作成。
  • 1980年5月17日 - 第4回同窓会総会が椿山荘にて開催される。
  • 1985年3月15日 - 昭和60年版同窓会名簿発行。
  • 1985年6月23日 - 母校新体育館において同窓会総会を開催。
  • 1991年3月30日 - 目白椿山荘において創立50周年記念同窓会総会を開催。
  • 1992年3月16日 - 同窓会会報創刊号発行。
  • 1993年6月12日 - 母校食堂にて総会開催。以後総会が従来の5年ごとの開催から毎年の開催に変更される。
  • 1995年6月10日 - 第3代会長に清原國雄(1951年卒業)が就任する。
  • 2000年6月10日 - 母校創立60周年を記念し赤坂プリンスホテル・クリスタルパレスにおいて同窓会総会を開催。
  • 2001年6月9日 - 第4代会長に廣田浩雄(1955年卒業)が就任する。
  • 2007年6月9日 - 第5代会長に山本滋夫(1964年卒業)が就任する。
  • 2010年6月26日 - センチュリーハイアット東京において創立70周年記念同窓会総会・懇親会を開催。
  • 2014年6月22日 - 第5代会長山本滋夫(1964年卒業)の逝去により西山省子(1984年卒業)が会長代理に就任する[4]

高校関係者一覧[編集]

関連項目[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 「サンデー毎日」各号、「東大合格高校盛衰史」(小林哲夫、光文社新書、2009年)
  2. ^ 東京都立青山高等学校ホームページ
  3. ^ 東京都立青山高等学校第70回外苑祭雑感(1)”. 鈴村裕輔 (2016年9月5日). 2016年9月12日閲覧。
  4. ^ 東京都立青山高等学校同窓会2014年度総会・懇親会報告

外部リンク[編集]