東京行幸

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明治天皇東京行幸("Le Monde Illustre"、1869年2月20日)

東京行幸(とうきょうぎょうこう)とは、1868年(明治元年)と翌1869年(明治2年)の2回に亘って行われた東京への行幸である。東幸ともいう。

慶応4年7月17日、明治天皇が「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発し、江戸の地で政務を執ることと、それに伴い江戸を東京とすることを宣言した。同年10月13日の1度目の東幸で江戸城に入城してこれを東京城と改称した。

この東京行幸は、それまで天皇に親しみのなかった江戸の民衆へのデモンストレーションの意味もあった[1]。新政府の指導者たちは、東幸に際し、天皇の輿御簾で囲ってシルエットだけを見せて天皇の神秘性を高める演出をしたうえ、翌月の11月4日には、東京1592町に2553樽の酒と、それを注ぐ瓶子を配った(「天杯頂戴」)[1]。11月6日、7日の両日は皆仕事を休み、屋台や山車を繰り出して祭り気分を味わった。これを受け、諸外国も「みかど政府」を日本の中央政府として正式に承認した[1]

天皇は12月にいったん京都に戻り、翌明治2年3月28日に改めて東京に入り、東京は事実上の日本の首都になった(東京奠都[1]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 「東京都文学(1)-近代化過程における相互の関連について-」高木利夫法政大学教養部紀要、1994-2

関連項目[編集]