村国虫麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
村国虫麻呂
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 武志麻呂
官位 従五位下
主君 淳仁天皇称徳天皇
氏族 村国
テンプレートを表示

村国 虫麻呂(むらくに の むしまろ)は、奈良時代官人。名は武志麻呂とも記される。位階従五位下

経歴[編集]

淳仁朝天平宝字5年(761年従五位下に叙せられる。天平宝字7年(763年播磨介に、翌天平宝字8年(764年)正月に藤原仲麻呂の子息である辛加知越前守任官と同時にその下僚である介に任ぜられるなど、仲麻呂政権下で主要国のを歴任する。同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱において、辛加知は孝謙上皇側の佐伯伊多智に斬殺された一方で、虫麻呂は仲麻呂側と見られて官位を剥奪されたらしい。なお、この乱においては同じく仲麻呂子息の美濃守藤原執棹の下僚の介であった一族の村国島主は孝謙上皇側の使者に誅殺されている[1]

称徳朝の天平神護2年(766年)11月に島主の名誉が回復されて従五位下の位階が贈られると[2]、12月には虫麻呂も无位から本位の外従五位下に復されている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字8年9月20日条
  2. ^ 『続日本紀』天平神護2年11月10日条

参考文献[編集]