李春燕 (宋)

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李 春燕(り しゅんえん、1106年[1] - ?)は、北宋徽宗の側室。

生涯[編集]

北宋で華国靖恭夫人の位を授けられた。靖康の変後、は傀儡として張邦昌を「大楚皇帝」に擁立し、李春燕を「皇后」として与えた。初め、張邦昌は李春燕や共に与えられた10人の「妃嬪」(いずれも徽宗の侍女)から距離を置いていたが、李春燕が自ら積極的に迫って、飲酒後に夜伽した。李春燕の義女の陳氏も張邦昌に献じられた。

その後すぐさま、張邦昌は帝位を放棄して高宗の擁立に動き、李春燕とは別れた。失望した李春燕は高宗を罵った。南宋が成った後に、張邦昌を許そうとした高宗は強硬派の李綱に根負けして、止むを得えないまま張邦昌を自殺させた。李春燕も杖刑に処された後に兵卒の妻にさせられた。

伝記資料[編集]

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『建炎以来朝野雑記』

脚注[編集]

  1. ^ 『開封府状』によれば「華国靖恭夫人二十一歳。名春燕。」