李明 (李氏朝鮮)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
懐平君李明
宗親世
正一品君
顕禄大夫[1]
本貫氏派 全州李氏恩彦君派
続柄 全渓大院君第1子
初諱 元慶
爵号 懐平君
諡号 孝愍
墓所 京畿道抱川市仙壇洞

懐平君朝鮮語: 회평군、1827年10月31日道光7年9月11日) - 1844年10月17日道光24年9月6日)は、李氏朝鮮王族本貫全州李氏は「明」。初諱は「元慶」。諡号は「孝愍」。全渓大院君の第一子。享年は16歳。[2]

生涯[編集]

1827年10月31日全渓大院君の第一子として誕生する。家門の始祖の恩彦君は、息子の常渓君王位簒奪計画、正室の全山郡夫人李氏が嫁の申氏が辛酉邪獄の際に殉教したことで賜死された。これにより宗親府から王族としての戸籍は削除されて、全渓大院君江華島に流刑となり農業従事者として貧困生活を過ごした。1844年10月17日閔晋鏞が懐平君を朝鮮国王に推戴する陰謀が露見して、賜死により16歳で卒去した。卒去する直近には、突如に大きい落雷と大雨が降ったという。卒後は京畿道楊州市に埋葬されて、1856年5月11日京畿道抱川市仙壇洞に改めて埋葬された。1858年12月13日を「元慶」から「明」に改諱して、懐平君に封爵、顕禄大夫[3]官位を受けた。[4][5]1863年12月諡号を「孝愍」と追贈された。[6]

人物像[編集]

風貌は端麗で秀才であり、性格は純粋で素直で調和が取れて優しいとされる。弟達には睦まじく、悩み事や恐怖心がなく、奴婢賎民であっても、感謝の言葉は必ず伝えたという。その人徳と行いは、無学無知であったにもかかわらず、まさに大人の人格であると哲宗が評価している。

経歴[編集]

元号 西暦 月日 内容
咸豊7年 1858年 12月13日 懐平君に封爵。顕禄大夫(正一品上階)の官位を受ける。
同治2年 1863年 12月 諡号を「孝愍」と追贈。

諡号候補[編集]

諡号 意味
1 孝愍 親の慈愛に応えた事を「」、国民が懐平君の卒去に悲しみ傷ついた事を「」。
2 昭愍 礼儀正しく容姿が端麗な事を「」、国民が懐平君の卒去に悲しみ傷ついた事を「」。
3 昭僖 礼儀正しく容姿が端麗な事を「」、哲宗が懐平君に対して厳粛な尊敬の意を「」。

家門[編集]

尊属
続柄 備考
全渓大院君㼅 哲宗の実父。
完陽府大夫人崔氏 本貫全州崔氏崔秀昌の娘。
兄弟
続柄 備考
永平君景応
哲宗昪 第25代朝鮮国王

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大典会通では上輔国崇禄大夫。官位は正一品上階。
  2. ^ 満年齢による年齢。数え年では18歳。
  3. ^ 大典会通では上輔国崇禄大夫。官位は正一品上階。
  4. ^ 『哲宗実録』第10巻 9年(1858年戊午/咸豊8年) 旧暦11月9日(庚辰)4件目
  5. ^ 『哲宗実録』第10巻 9年(1858年戊午/咸豊8年) 旧暦11月13日(甲戌)5件目
  6. ^ 『龍湖間録』第14巻

外部リンク[編集]