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杉本定介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉本 定介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県新潟市[1]
生年月日 (1932-04-25) 1932年4月25日[1]
没年月日 2003年5月16日[要出典]
身長
体重
179[1] cm
69[1] kg
選手情報
投球・打席[1]投右[1]
ポジション 投手
プロ入り 1952年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉本 定介(すぎもと ていすけ、1932年4月25日 - 没年不明[2])は、新潟県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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新潟中学(現・新潟県立新潟高等学校[3]卒業後、1952年読売ジャイアンツ(以下、巨人)に入団。新潟県出身者として初めての巨人軍在籍選手となった[4]1954年まで在籍したが、一度も一軍出場を果たせないまま巨人を退団した。僅か3年間の現役生活だが、背番号を4個、4回にわたって変えている。その後は、社会人野球常磐炭礦野球部でプレーした。

2014年現在、既に故人である[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 40 (1952年、1953年途中 - 同年終了)[5]
  • 25 (1953年 - 同年途中)[6]
  • 33 (1953年途中 - 同年途中)[7]
  • 39 (1954年)[8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 【巨人在籍選手名鑑】杉本定介 ~my favorite giants~
  2. ^ a b 新潟大作戦 - 無題
  3. ^ 3学年上に同じ巨人の投手として入団した、鈴木実がいる。鈴木とは1953年~54年とチームメイトだった。
  4. ^ 元巨人の投手でプロレスラーだった馬場正平(ジャイアント馬場)は自著『馬場伝説』で、自分こそ新潟県ではじめてのプロ野球選手という記述があるが、「文芸春秋2012年3月号の二宮清純「プロ野球 伝説の検証10」によると、杉本が新潟県出身者として第1号の巨人軍選手,鈴木が第2号であるため、馬場は新潟県出身者における巨人軍選手としては3番目になるという。
  5. ^ 読売ジャイアンツ 背番号40(背番号Maniax)
  6. ^ 読売ジャイアンツ 背番号25(背番号Maniax)
  7. ^ 読売ジャイアンツ 背番号33(背番号Maniax)
  8. ^ 読売ジャイアンツ 背番号39(背番号Maniax)

関連項目

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