朱慎徳妃
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朱 慎徳妃(しゅ しんとくひ、1110年 - ?)は、北宋欽宗の側妃。欽宗の仁懐皇后朱氏の従妹である。また、鄆王趙楷(欽宗の弟)の妃の朱鳳英は妹である。
生涯[編集]
靖康の変の際、金軍に捕らえられ凌辱された。金が北帰を開始した後の1127年4月1日には、朱皇后や欽宗の妹の安徳帝姫らとともに、完顔斜保(粘没喝の次男)に身柄を拘束されていた。道中の宴会において、詩を詠むことを強要され、妹の朱鳳英とともに屈辱的な境遇を嘆く詩を詠んでいる。同年9月6日には、趙謹という男児を産んでいる。時期を考えると欽宗の子ではなく、金軍の将兵からの強姦によって妊娠させられたものだと考えられている。1131年には、また女児を生んでいる。その後の朱慎徳妃の事跡は不明である。
典拠史料[編集]
- 『靖康稗史箋證』