本田弘敏

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本田 弘敏(ほんだ ひろとし、1898年 - 1981年10月18日)は日本の実業家東京ガスの社長や会長、日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭や日本社会人野球協会会長、日本バドミントン協会会長等を務めた。勲二等旭日重光章受章。

人物[編集]

1921年東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、東京ガス入社。取締役供給部長、副社長等を経て、1953年社長就任。戦後の首都圏都市ガス整備を行った[1]

日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭や日本社会人野球協会会長、日本バドミントン協会会長、社団法人如水会理事長等も務め、1968年に勲二等旭日重光章受章[2]

1981年10月18日、肝不全のため東京女子医科大学病院で死去、享年83。築地本願寺で社葬が行われた[3]

略歴[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1981/10/19, 日本経済新聞
  2. ^ 1981/10/30, 日経産業新聞
  3. ^ 1981/10/30, 日経産業新聞