本多道重

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本多 道重 (ほんだ みちしげ、寛永21年(1644年)- 宝永4年(1707年)) は、福井藩家老

父は本多重方。祖父は本多成重。正室は公家竹屋光長の娘。子は本多成広。通称左兵衛、図書、作太夫。

生涯[編集]

寛永21年(1644年)福井藩家老本多重方の子として越前に生まれる。寛文5年(1665年)藩主松平光通に召し出され、家老として仕える。延宝4年(1676年)8月藩主松平綱昌の家督相続の御礼言上の際に、将軍徳川家綱に拝謁。延宝7年(1679年)父重方の隠居により家督を相続。貞享3年(1686年)福井藩が所領を半知の25万石に削減されたことにより、道重の知行も1975石となる。元禄元年(1689年)孝顕寺において藩祖松平秀康廟の造営を行う。元禄6年(1694年)家老を辞職。元禄8年(1695年)本家の丸岡藩本多重益が改易となる。宝永4年(1707年)死去。享年64。家督は嫡男成広が相続した。