木興拓哉

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木興 拓哉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県宝塚市
生年月日 (1986-09-21) 1986年9月21日(31歳)
身長
体重
177 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト6巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

木興 拓哉(きこう たくや、1986年9月21日 - )は、元プロ野球選手投手)。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

兵庫県宝塚市出身。野球留学北海道栄高等学校に進学し、高校時代は2003年2004年と2年連続で夏の南北海道大会で決勝進出を果たすが、共に駒大苫小牧高校に敗れ準優勝に終わるなど、全国大会には縁がなかった。しかし、「北のドクターK」と呼ばれた奪三振の多さや左投手ということもあって北海道に本拠を構える北海道日本ハムファイターズなどから将来性を買われ、一定の評価を受けていた。

2004年の高校生ドラフト千葉ロッテマリーンズから6巡目指名を受け入団。入団会見時に「忘れられた頃に一軍に上がって活躍する」と3年間の「潜伏宣言」をして、ファンやメディアの注目を集めた。

プロ入り後[編集]

1年目の2005年から実戦登板の機会を与えられ、同年はイースタン・リーグで11試合に登板して防御率1.76, 投球回数に近い奪三振数を記録した。一方で、四死球も奪三振と同数で暴投数もチーム2位を記録するなど、制球難も目立った。

2006年は二軍で最高勝率のタイトルを獲得するが、防御率は4点台で被本塁打数と暴投数は共にリーグ2位と内容は不安定だった。当時一軍の左投手には先発投手成瀬善久リリーフYFK藤田宗一ワンポイント高木晃次などがいたことに加え、2007年以降は成績も向上しなかったことから一軍に昇格できず、2008年10月1日に球団から戦力外通告を受けた。

その後12球団合同トライアウトへの参加を経て、11月28日阪神タイガースの入団テストを受験。12月8日に育成選手として契約を結んだ。

しかし阪神でも2009年ウエスタン・リーグで4試合の登板にとどまり、4イニングで3暴投を記録するなど結果を残せず、10月30日に自由契約公示された。

選手としての特徴[編集]

130 km/h台半ばから140 km/h台前半のストレートに加え、曲がりの大きいカーブスライダーチェンジアップを交える。投球フォームはロッテの先輩である成瀬善久に似ており、テイクバックが小さく、打者からリリースポイントが見えにくいフォームである。

ロッテ時代は制球難を克服するため、園川一美投手コーチとフォーム修正に取り組む姿がしばしば目撃されていた。

シーズンオフには同じ左腕である和田毅らと共に自主トレを行っており、尊敬するプロ野球選手にも和田の名前を挙げている。

投手、それも左腕としてはかなり珍しいスイッチヒッターである。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 56(2005年 - 2008年)
  • 127(2009年)

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]