木村草弥

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木村 草弥
(きむら くさや)
誕生 木村 重夫
(1930-02-07) 1930年2月7日(87歳)
日本の旗 日本京都府城陽市
職業 詩人歌人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 京都大学仏文学中途退学
公式サイト 木村草弥の詩と旅のページ
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木村 草弥(きむら くさや 1930年2月7日-)は、日本歌人詩人。 本名は夫(しげお)。

経歴[編集]

京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄[1]であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。

青谷小学校京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎田辺保らがいた。

1949年7月、学制改革により新制の京都大学文学部に入学、仏語仏文学を専攻。同級生に小松左京高橋和巳宗政五十緒脇田修村井康彦小野信爾中川久定山田稔らがいた。文芸など遊学に没頭し同校に7年間在籍するが、結核を発病し1年間入院。その後、回復。

1956年、在籍期間満了のため同校を中途退学。家業の宇治茶問屋の経営を継ぐ[2]2002年3月以後、リタイア生活に入る[3]

評価[編集]

歌人としては1991年に作歌を開始、未来短歌会や、地元京都の梅渓短歌会に参加した。生業である茶、闘病する妻、老い、京都の歴史、自然などの日常を情感豊かに詠む作風で知られる。

第一歌集『茶の四季』について玉井清弘は、

  • ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に
  • 川霧の盛りあがり来てしとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく
  • 五月の陽に新芽かがよひ見はるかす一山こぞりて茶の香にむせぶ

宇治で製茶工場を経営する作者の第一歌集である。「ひととせの寒暖雨晴の巡り経て」「しとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく」「五月(さつき)の陽に新芽かがよひ見はるかす」には、常に茶の生育を見つめている者のこまやかな視線が行きとどいている。 木村氏はこの世界を歌った時、独自の耀きをみせる。 生業の製茶の世界の作品化は今後も続くだろうし、現代の歌壇にとっても珍しい仕事の歌といえる。

  • 遠赤外線の火を入れをればかぐはしき新芽の匂ひ作業場に満つ
  • 定温の零度の気温保たれて冷蔵倉庫に茶は熟成す

現代の製茶はこのように機械化されているのである。

  • 緑青のふきたる銅の水指にたたへる水はきさらぎの彩
  • 恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼もて風炉の敷瓦とす
  • ちとばかり大事な客と老い母は乾山の鉢に粽を盛りぬ

製茶が仕事なので、茶道も日常生活に密着したものとなっている。「緑青(ろくしょう)のふきたる銅(あか)の水指(みづさし)」「恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼(せん)」という道具を使っての「夜咄の茶事」という趣向の楽しい茶事も生活の一部となっているようである。心温まる茶事であったろうと、かつて茶道といくらか関わったことのある私をも楽しませてくれる。 女性の詠む茶道の歌とは自ずから違うのである。「老い母は乾山の鉢に(ちまき)を盛りぬ」のように「尾形乾山」が日常的に使われているのである。

  • あの椅子が欲しかつたんだ文学の夢をひきずり歌を詠みつぐ

「あの椅子が欲しかったんだ」という木村氏、還暦を越えて手に入れた「あの椅子」の坐り心地はどうなのであろうか。 と述べる。[4]


第二歌集『嘉木』では、京都での生活の変化や海外旅行、世紀末への感慨など、幅広い世界を見せた。中でも、陸羽の「茶経」からタイトルとったことからも解るように、茶樹への愛情が色濃く、その例として以下のような歌が挙げられる。

  • 明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季の農夫の祈り
  • 茶どころに生れ茶作りを離れ得ず秋の深みに爪をきりゐつ

その他、妻への温かな愛情、老いの深化などを詠んだ歌も評価される[5]。また、歌人の春日真木子は、

  • 汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり

などの歌を挙げ、ヨーロッパ的教養が、茶の世界にあらたな匂いを添えていると指摘。さらに春日は、古典や古文書を身近に精読したことから成り立つ木村の歴史詠、歴史的に弱い立場にあった階級への注目、自己存在の源を京都の精神風土に求め、郷土に執着する姿勢を評価した[6]。そして、塚本邦雄も「心・詞伯仲した好著」の一冊として

  • はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり
  • 茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭むらさき匂ふ牛車ゆくさま

の二首を挙げ、『嘉木』を称揚した[7]


第三歌集『樹々の記憶』について、「定型・自由律二刀の手練れ」と題して、米満英男は、こう書く。

先に上梓された定型歌集『嘉木』に次いで出された口語自由律短歌の第三歌集。その「あとがき」に記されているように、著者にあっては、文語定型も、口語自由律も<韻文>という点において、差別のない同根の存在として認識され、かつ作り分けられている。

  • 蜂たちは飛んで味覚を知覚する「女王はどこだ、火口をさがせ」
  • わたくしが愛するものは仮借なき攪拌だとは挑発的(プロヴォカティヴ)ね                

など、見事に定型に収まりきっている。が声に出して再読すると、さらに見事に「口語自由律短歌」としての今日的言語表現に転化して響いてくる。 その逆の歌い方の作品もある。

  • 悲しいお便りでした 善意に囲まれて晴ればれと暮らしていた鳩には

の歌など、<完全自由律>のようだが、57577にきっちり読み下すことができる。

  • ここに二匹のカメがいる 一匹は質問という名でもう一匹は答という名だ

別して上の類の<直覚的思想>にこめられたエピグラム風の軽さと重さの絶妙の均衡の前に立つ時、その手練れの技にただ息をのむ。[8]


第四歌集『嬬恋』について秋山律子は、その歌集名と響きあうようなスリランカの岩壁画「シーギリヤ・レディ」のフレスコ画のカバーが印象的であると言い、書名は群馬県の嬬恋村の名に因むとして、

  • 嬬恋を下りて行けば吾妻とふ村に遇ひたり いとしき名なり   と、

本歌集の最後に置かれた歌

  • 水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら   を挙げる。 そして
  • 今朝ふいに空の青さに気づきたりルストゥスの枝を頭に冠るとき   に始まる八十余首のエルサレムでの連作に触れ、


第五歌集『昭和』について、松村由利子は<二十代の若者はともかく「昭和」という元号は多くの人に、いくつもの重い歴史体験を想起させると同時に、懐かしく慕わしい思いを抱かせる>と書いて

  • わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬  の歌を挙げる。

<著者は昭和一ケタ生まれだが、年齢を感じさせない、かろみのある詠みぶりが魅力で、自在な歌心が、読むほどに心地よい>と評する。

  • ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  • 老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
  • 私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい     そして

<巻末には長歌と散文「プロメーテウスの火」も。充実の第五歌集>と評する。[10]


第六歌集『無冠の馬』について真中朋久は、次のように書く。

著者木村草弥城陽市在住。

  • 白もくれん手燭のごとく延べし枝の空に鼓動のあるがに揺るる
  • 午年生まれ ましてや無冠のわれながら馬齢を重ね八十五となる
  • 紅茶の産地ヌワラエリヤは高地にて涼しく気温二十度といふ
  • うつしみははかなく消えて失せにけり肉(しし)の記憶もおぼろとなりて

種牡馬として活躍した英国の競走馬に心を寄せる。自身の病があり妻の死があり、肉を持ってこの世に生きることのかなしみが滲む。白木蓮の花も生々しく、エロスは<死>と地続きであることを改めて思う。旅の歌も多いが、茶園を経営していただけあって、スリランカの茶園を見る視線に独特なものを感じた。[11]


詩人としては、第一詩集『免疫系』について三井修は、こう書く。

<二年前に出版された『免疫系』は私には衝撃的だった。そこには妻・弥生さんと木村さんご自身の闘病、更に弥生さんの死の経緯が生々と、且つ、美しく描かれていた。詩集名を「免疫系」と名づけられた所以である。カバー装のレオナルド・ダ・ヴィンチウィトルウィウス的人体図』が印象的である。>[12]

第二詩集『愛の寓意』において、西洋名画への解説、長歌、短歌などをすべて「詩」として編纂し、伝統的詩型と散文詩型を対照させるという方法を実践。山田兼士は「『現代詩』の領域を思う存分拡大するとこういうかたちになるのか」と評価した。[13]

著書[編集]

参加アンソロジー[編集]

出典[編集]

  1. ^ 浅田高明 『探求 太宰治』 1996年 ISBN 4892592668
  2. ^ 『茶の四季』 角川書店 1995年 ISBN 4048714856
  3. ^ 『嬬恋』 角川書店 2003年 ISBN 4046517026
  4. ^ 角川書店「短歌」誌1995年10月号
  5. ^ 「茶への思い 情感豊かに」、 京都新聞、平成11年6月18日朝刊
  6. ^ 春日真木子「自己存在の起源を求めて」。『短歌』、角川書店、平成11年9月号
  7. ^ 塚本邦雄「短歌月評」、読売新聞、平成11年6月28日夕刊
  8. ^ 短歌新聞社「短歌現代」誌1999年11月号
  9. ^ 未来短歌会「未来」誌2004年1月号
  10. ^ 角川書店「短歌」誌2012年8月号
  11. ^ 京都新聞「京都文芸」詩歌の本棚・新刊評2015年6月16日号
  12. ^ 『愛の寓意』挟込み「栞」角川書店2010年
  13. ^ 『びーぐる』第11号、平成23年4月、澪標

外部リンク[編集]