木村昇吾

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木村 昇吾
HC-Shogo-Kimura.jpg
広島でのプロ野球選手時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市城東区
生年月日 (1980-04-16) 1980年4月16日(38歳)
身長
体重
183 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2002年 ドラフト11巡目
初出場 2003年3月28日
最終出場 2017年6月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

木村 昇吾(きむら しょうご、1980年4月16日 - )は、大阪府大阪市城東区出身のクリケット選手、元プロ野球選手内野手外野手)。右投左打。

経歴[編集]

野球選手として[編集]

プロ入り前[編集]

小学1年生の時に大阪クーガースに入り二塁手となる[1]

中学校からの卒業を機に、地元の大阪を離れて、香川県尽誠学園高校へ進学。3年時の夏に第80回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、2回戦で久保康友を擁する関大一高に敗れた[1]。入学直後から「6番・遊撃手」の定位置を確保すると、1年時の愛知大学野球春季リーグ戦で、規定打席未満ながら.469という高打率を残した[1]。在学中には、リーグ戦通算で85試合に出場。打率.318(314打数100安打)、5本塁打、70打点を記録したほか、遊撃手としてベストナインに5回選出されるなど、俊足とパンチ力を持ち合わせた選手として活躍した。4年時には、チームの春季リーグ戦優勝を経て全日本大学野球選手権大会に出場したが、チームは1回戦で敗退。その一方で、秋季リーグ戦で最優秀選手に選ばれている。

2002年度のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから11巡目で指名。契約金2,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は66。ちなみに、この会議の前に他球団から指名の約束があったとされているが、実際には横浜が単独で指名しただけであった[1]

横浜時代[編集]

2003年3月28日に、阪神タイガースとの開幕戦(横浜スタジアム)で代打として一軍デビュー。翌29日の同カードでは、伊良部秀輝からのセーフティバントでプロ初安打を記録した。一軍公式戦には通算21試合に出場。4安打を放った[1]

2004年以降は、一軍で目立った活躍ができず、打撃フォームの試行錯誤を繰り返した[1]。その一方で、同年と2006年には、二軍(湘南シーレックス)からの選抜選手としてフレッシュオールスターゲームへ出場。2005年に一軍公式戦への出場機会がなかったことを背景に、翌2006年からは、走力に活路を見出そうとしていた。

広島時代[編集]

2007年のシーズン終了後に、小山田保裕との交換トレードで、岸本秀樹と共に広島東洋カープへ移籍した。

2008年はキャンプからマーティ・ブラウン監督の目に留まり、開幕から年間を通じて一軍に定着[1]。三塁・遊撃・二塁の守備固めや代走での起用を中心に、94試合へ出場した[1]。代走への起用数(36回)や、守備固めとしての出場試合数(46試合)は、この年のセントラル・リーグ公式戦で最も多かった。

2009年には、5月6日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で監督のマーティ・ブラウンが公式戦では3年ぶり3度目の5人内野シフトを敷いたとき、右翼手天谷宗一郎に代わって出場。外野へは行かず、三塁手と遊撃手の間で守備に就いたが、打者荒木雅博が三振に倒れたため守備機会はなかった。この年はスタメン出場はなかったが、2年連続リーグトップの代走起用39回を記録。また、内野の守備固め44回、外野の守備固め14回と、試合終盤の守備を任されるスペシャリストとして重要な働きをした。

2010年には、シーズン序盤はもっぱら二軍で調整。しかし、レギュラー二塁手の東出輝裕が負傷で戦線を離脱したことを機に、一軍へ再び定着した[1]、8月21日の対横浜戦で久々の先発出場。守備・走塁だけでなく、バットを寝かせた新フォームで[1]打撃でも好調を維持し、以後シーズン終了まで2番・二塁手としてスタメンに定着した。打席数は164と少なかったものの、打率は.324と高く[1]、自己最多の10二塁打・5三塁打もマーク。守備要員から脱却する飛躍のシーズンになった。特に古巣の横浜相手には9月18日の試合で自身初の1試合5安打を記録するなど、対戦打率.593と強さを発揮した。

2011年には、梵英心が負傷で戦線を離脱した6月から、梵に代わって遊撃手のレギュラーに定着した。一軍公式戦では、プロ入り後自己最多の106試合に出場するとともに、通算76安打[1]で打率.259を記録。犠打数も自己最多の37に達した。

2012年は復帰した梵が遊撃手に固定されたため、先発での出場機会が激減し、同年台頭した三塁手の堂林翔太の守備固めでの起用が主となった。出場機会を増やすために一塁手にも挑戦している(一塁守備でもファーストミットではなく内野用のグラブを使用)。7月18日の中日戦では、「3番・遊撃手」としてのスタメン起用によって、プロ入り後初めてクリーンナップを任された。

2013年には、堂林が骨折で戦線を離脱した8月から、レギュラー三塁手に定着。一軍公式戦62試合の出場で打率.325、1本塁打、12打点、3盗塁を記録するとともに、チームのクライマックスシリーズ進出に貢献した。なお、プライベートでは4月に結婚している。

2014年は、梵がシーズン途中から三塁手に転向したため、ポジションを入れ替える形で遊撃手としてスタメン出場する機会が増加した。しかし、8月には新人の田中広輔が遊撃手のレギュラーに定着したため、シーズンを通じたレギュラー獲得には至らなかった。最終的には、一軍公式戦101試合の出場で打率.261、1本塁打、13打点、4盗塁を記録した。

2015年には、対右投手のスタメン、三塁や一塁などの守備固め、代走、代打として、一軍公式戦72試合に出場。打席数は前年(253)から半分以上少ない109にとどまったものの、打率.269を記録した。「(NPB)他球団の話を聞いてみたい」という理由で、2015年11月10日に、海外フリーエージェント(FA)権の行使を表明[2]。NPBから、海外FA宣言選手として公示された[3]。広島はFA宣言後の残留を認めていないため、事実上の退団に至った[4]ものの、公示から1ヶ月以上経っても移籍先が決まらなかった[5]

2015年12月25日に、埼玉西武ライオンズから、2016年の春季キャンプにテスト生として参加することが発表された。FA権の行使を宣言中の選手が、所属元以外の球団の入団テストを受けることは、NPB史上初めての事例であった[6]

2016年の春季キャンプでは、A班(一軍)に帯同[7]。当初は、キャンプ初日(2月1日)から10日程度の入団テストを予定していた[8]。しかし実際には、2月5日に球団との間で1年契約を締結。推定年俸は2,000万円で、出来高の条件が付いた契約であった[9]。背番号は0[10]

西武時代[編集]

2016年には、オープン戦8試合へ出場。打率が.118(17打数2安打)と低迷した[11]ことなどから、公式戦の開幕を二軍で迎えた[12]4月23日には、移籍後初の出場選手登録[13]を経て、西武プリンスドームの対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で移籍後初の一軍公式戦出場[14]を果たした。しかし、6月22日の練習中に右膝を負傷。前日まで一軍公式戦38試合の出場で打率.221、5打点、3盗塁を記録していたが、後の診察で右膝前十字靱帯断裂が判明した。ランニングの再開までおよそ3か月を要することが見込まれた[15]ため、球団は10月1日に、翌2017年の戦力構想から外れていることを木村へ通告[16]。木村自身はNPB他球団での現役続行を希望していたが、前述の通告を受けた時点でランニングの再開に至っていなかった[17]ため、11月12日12球団合同トライアウト(甲子園)には参加しなかった[18]11月18日に、育成選手として西武と再契約。前述の故障が回復した時点で支配下登録選手へ復帰することを視野に入れた契約[19]で、背番号も121に変更している[20]

2017年には、チーム唯一の育成選手として、春季キャンプをB班(二軍)で迎えた[21]。レギュラーシーズンの開幕後は、イースタン・リーグ公式戦37試合の出場で、打率.211、1本塁打、4打点をマーク。6月8日には、支配下登録選手へ復帰するとともに、出場選手登録を果たした。支配下登録選手への復帰とともに背番号も0に戻った[22]が、当日の対巨人戦(メットライフドーム)には、育成選手時代に着用した背番号121のユニフォーム姿で「9番・三塁手」としてスタメンに起用された。西武球団が木村の支配下再登録と並行しながら出場選手登録をNPBに申請した関係で、背番号0のユニフォームを手配できなかったことによる[23]特例であったが、5回裏の第3打席に支配下再登録後の初安打を放っている[24]。しかし、一軍公式戦全体では3試合に出場しただけで、この安打が一軍公式戦における最後の安打になった。10月6日には、前年に続いて球団から戦力外を通告[25]12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示された[26]

クリケット選手への転向[編集]

西武球団から戦力外通告を受けた直後には、NPB他球団での現役続行を希望していた。2017年11月15日には、前年(2016年)に参加を見送った12球団合同トライアウト(マツダスタジアム)へ初めて挑戦。シートバッティング形式で、4人の投手を相手に4打数1安打(二塁打)という結果を残した[27]が、他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らなかった。

しかし、クリケット関係者から身体能力の高さを評価されたことを機に、クリケットへの転向を決意。クリケットの本場・インドのトップリーグへ参戦することを目標に、2017年11月末からトレーニングを始めた。NPBでのプレーを経験した日本人のプロ野球選手がクリケット選手に転向した事例は、木村が初めてである[28]2018年3月には、日本クリケット協会が主催する男子日本代表強化選手団の選考会へ参加[29]、その結果日本代表強化選手団に選出された[30]

選手としての特徴[編集]

野球選手としては、内野全ポジションをこなせる守備力、強肩、俊足が持ち味で、ユーティリティプレイヤーとして重宝されていた。広島時代には、チーム事情から左翼を守ったこともある。また、一塁を守る際には、ファーストミットではなく通常の内野手用のグラブを付けていた。

横浜時代から広島への移籍当初まではスイッチヒッターとして登録されたが、後に登録を左打ちに変更した[31]。バッティングフォームはオープンスタンス[32]で、クリケットへの転向後も、攻撃の際には左打席に立っている[33]

2017年末から取り組んでいるクリケットでは、未経験からの挑戦にもかかわらず、トレーニングパートナーの上原良崇(元・クリケット日本代表選手)から「クリケット選手としては、日本代表チームでも十分に活躍できるほど、打撃でも守備でもあらゆる面で能力が突出している」という表現で高く評価されている。木村自身は、野球からクリケットへの転向について、「(日本のプロ)野球を経験した木村昇吾としてクリケット(転向)のオファーをいただいたので、野球に感謝してもし切れない。『野球選手は違うんだな』と言われるほどクリケットで活躍すれば、クリケットは、プロ野球だけでなく、アマチュアで野球を断念した選手にとっても(アスリートとしての新たなステージを)目指せる競技になると思う」と述べている[28]。ちなみに、日本における2016年時点のクリケット競技人口は2,630名で、日本国内にクリケットのプロリーグはなく、日本代表チームは木村が転向した時点で世界大会(ワールドカップおよびICCワールド・トゥエンティ20)本大会への出場を経験していない[34]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 横浜 21 26 25 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 1 9 0 .160 .192 .160 .352
2004 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2006 15 17 15 1 2 0 0 0 2 0 1 2 1 0 1 0 0 4 0 .133 .188 .133 .321
2007 10 6 5 1 1 0 0 0 1 1 1 1 0 0 0 0 1 1 1 .200 .333 .200 .533
2008 広島 94 55 48 15 11 0 0 0 11 1 6 2 4 0 2 0 1 13 0 .229 .275 .229 .504
2009 69 15 13 15 3 1 0 0 4 1 4 4 1 0 0 0 1 7 0 .231 .286 .308 .593
2010 70 164 136 22 44 10 5 1 67 11 6 5 16 0 10 0 2 33 1 .324 .378 .493 .871
2011 106 349 293 30 76 6 1 0 84 17 3 3 37 1 14 2 4 53 6 .259 .301 .287 .588
2012 71 55 46 10 7 2 0 0 9 2 1 1 4 0 3 0 2 7 4 .152 .235 .196 .431
2013 62 133 114 15 37 1 0 1 41 12 3 2 7 0 12 0 0 18 2 .325 .389 .360 .749
2014 101 253 238 25 62 6 3 1 77 13 4 2 7 1 4 1 3 57 3 .261 .280 .324 .604
2015 72 109 93 14 25 4 2 0 33 8 2 0 8 3 5 0 0 22 1 .269 .297 .355 .652
2016 西武 38 108 95 7 21 2 1 0 25 5 3 0 5 2 6 0 0 22 2 .221 .262 .263 .525
2017 3 7 6 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 .167 .286 .167 .452
NPB:13年 733 1298 1128 156 294 32 12 3 359 71 34 22 90 7 58 3 15 248 21 .261 .304 .318 .622
  • 2017年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

内野守備

一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2003 - - - 7 5 6 0 2 1.000
2006 1 1 0 0 0 1.000 4 4 11 0 1 1.000 - -
2007 - 2 1 1 0 1 1.000 6 0 2 0 0 1.000 2 0 1 0 0 1.000
2008 - 4 5 6 0 2 1.000 53 14 21 2 2 .946 25 20 31 1 6 .981
2009 - - 39 8 13 1 0 .955 5 2 5 0 1 1.000
2010 1 0 0 0 0 ---- 35 80 92 2 18 .989 17 4 14 0 1 1.000 -
2011 - 1 1 0 0 0 1.000 13 3 2 0 1 1.000 86 134 241 9 34 .977
2012 9 12 0 0 2 1.000 8 2 9 1 1 .917 21 3 14 1 2 .944 16 7 13 1 2 .952
2013 6 8 0 0 1 1.000 1 0 0 0 0 ---- 31 9 31 3 1 .930 33 18 37 1 8 .982
2014 9 21 2 0 2 1.000 4 2 1 0 0 1.000 23 5 23 2 3 .933 61 80 137 4 28 .982
2015 15 22 1 0 1 1.000 3 3 1 0 0 1.000 53 22 51 2 3 .973 1 0 3 1 0 1.000
2016 14 72 4 1 7 .987 - 19 6 30 1 4 .973 6 7 13 1 2 .952
2017 - 2 0 4 1 1 .800 - -
通算 55 136 7 1 13 .993 64 98 125 4 24 .982 275 74 201 12 17 .958 242 268 481 18 83 .979
外野守備

外野












2009 14 5 0 0 0 1.000
2010 12 3 0 0 0 1.000
2011 3 4 0 0 0 1.000
2012 4 1 0 0 0 1.000
2013 3 1 0 0 0 1.000
通算 36 14 0 0 0 1.000
  • 2017年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 66 (2003年 - 2015年)
  • 0 (2016年、2017年6月8日 - 同年終了)
  • 121 (2017年 - 同年6月7日)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 野球浪漫 木村昇吾『週刊ベースボール』2011年11月21日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-11/21, 56-59頁。
  2. ^ 広島・木村昇がFA表明 FA権行使表明「難しい決断だった」 スポニチ Sponichi Annex 2015年11月10日掲載
  3. ^ 公示 フリーエージェント宣言選手 NPB.jp 日本野球機構
  4. ^ 広島木村昇がFA権行使へ 左打ちで内野全て守る力 日刊スポーツ 2015年11月10日掲載
  5. ^ 広島から海外FA権行使の木村昇、移籍先焦らず待つ 日刊スポーツ 2015年12月4日紙面から
  6. ^ 広島木村「感謝」、海外FA宣言→西武テスト生へ 日刊スポーツ 2015年12月26日紙面から
  7. ^ 広島FA木村「チーム一員に」西武テスト生で宮崎へ 日刊スポーツ 2016年1月31日掲載
  8. ^ 西武 広島からFA木村昇をテストへ「一度見てみようと」 スポニチ Sponichi Annex 2015年12月26日掲載
  9. ^ FA木村昇吾が西武テスト合格「ゼロからスタート」 日刊スポーツ 2016年2月5日掲載
  10. ^ 木村昇吾選手 入団会見 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2016年2月5日配信
  11. ^ 2016年度 埼玉西武ライオンズ 個人打撃成績(オープン戦) NPB.jp 日本野球機構
  12. ^ 2016年 開幕登録選手発表! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2016年3月23日配信
  13. ^ 公示(出場選手登録・抹消) 2016年4月 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  14. ^ 2016年4月23日 埼玉西武 対 楽天イーグルス 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  15. ^ 西武・木村昇 前十字靱帯断裂 田辺監督「今季は難しい」 スポニチ Sponichi Annex 2016年6月23日掲載
  16. ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  17. ^ 西武木村昇吾ら戦力外 FA→テスト入団も1年で… 日刊スポーツ 2016年10月1日配信
  18. ^ 65人が参加/12球団合同トライアウト詳細 日刊スポーツ 2016年11月12日配信
  19. ^ 西武 戦力外の木村昇吾と育成契約 渡辺SD「ケガ治れば戦力」 スポニチ Sponichi Annex 2016年11月18日配信
  20. ^ 木村昇吾選手との育成選手契約締結について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2016年11月18日配信
  21. ^ 2017年春季キャンプ参加選手決定! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2017年1月30日配信
  22. ^ 木村昇吾選手 支配下登録のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2017年6月8日配信
  23. ^ 西武が37歳の木村昇と支配下選手契約 背番号121で先発出場サンケイスポーツ 2017年6月8日配信
  24. ^ 西武・木村昇吾、背番号「121」でスタメン出場 五回に今季初安打デイリースポーツ 2017年6月8日配信
  25. ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について 埼玉西武ライオンズ公式HP 2017年10月15日閲覧
  26. ^ 2017年度自由契約選手NPB日本野球機構 2018年1月26日閲覧
  27. ^ トライアウト群像。2度戦力外の木村昇吾と不祥事途中解雇の奥浪鏡を結ぶ「野球は楽しい」の共通言語NPB日本野球機構 2018年1月26日閲覧
  28. ^ a b 元西武・木村昇吾がクリケット選手に転身!NPB所属の選手で史上初の挑戦週刊ベースボールONLINE 2018年1月26日閲覧
  29. ^ プロ野球からクリケットに転身した木村昇吾、3月の日本代表選考会に参加へ週刊ベースボールONLINE 2018年1月26日閲覧
  30. ^ 木村昇吾さんがクリケット挑戦 佐野、東京で練習 夢はトップリーグ 東京新聞 2018年3月27日 2018年4月1日閲覧
  31. ^ プロ野球全選手写真名鑑『週刊ベースボール』2008年2月23日増刊号、ベースボール・マガジン社、2008年、雑誌20446-2/23, 92頁。
  32. ^ 広島カープ特集!(2014年9月1日 PM10時29分更新) 野球観戦現場主義! 2017年10月15日閲覧]
  33. ^ クリケットに転身した木村昇吾、日本代表投手から受けた「クリケットの洗礼」で打撃改造へ週刊ベースボールONLINE 2018年1月26日閲覧
  34. ^ 元西武・木村昇吾が挑戦するクリケット。日本はW杯に出場できない高い壁週刊ベースボールONLINE 2018年1月26日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]