木原覚法

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木原 覚法(きはら かくほう、1899年8月1日[1] - 1967年3月29日)は、日本の僧侶。佐賀県三養基郡基山町出身[1]木原覚恵の子息。

経歴[編集]

真言宗泉涌寺派に属し[2]、大僧正に任命され管長代理を務めた[1]

長男の木原覚英[1]が、1975年に泉涌寺派を離脱して光明念佛身語聖宗を開いた。以降同宗では覚英を「光明念佛身語聖宗宗祖」として扱っている。また、一切宗の創始者・馬場覚心を弟子に持つ[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 日本人事録 全国編6版」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 六大新報 (2660)」国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 山口県寺院沿革史」国立国会図書館デジタルコレクション