朝鮮の歴史観

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朝鮮の歴史観(ちょうせんのれきしかん)では、朝鮮歴史観について説明する。日本統治期における朝鮮人による歴史学には、民族史学(民族史観)、社会経済史学(唯物史観)、実証史学という3つの大きな流れがあり[1]、日本から見た朝鮮史観(いわゆる「植民史観」)と対立していた。独立後は韓国では実証史学が、北朝鮮では唯物史学がそれぞれ主流となったが、韓国の歴史学界の外では民族史学(民族主義史観)が政治やメディアに影響を与えており、歴史学界でも民族史学と実証史学の論争が起きている。

植民史観[編集]

植民史観(しょくみんしかん、식민사관)は、日本統治時代内地で主流だった歴史観であるが、日本の植民地支配を正当化する目的で作られたとして批判する側から、植民史観または植民地史観(しょくみんちしかん)と呼ばれる。主に問題とされるのは、日鮮同祖論、他律性論、停滞性論、党派性論などである[2][3]

他律性論(たりつせいろん)とは、朝鮮の歴史は、常に外部の勢力によって他律的に動かされてきたという主張である。檀君を否定し、箕子朝鮮衛氏朝鮮漢四郡など朝鮮の出発点を中国の支配に置き、以後も中国の属国であったとする。また、朝鮮半島南部では、日本が任那を支配していたとする[4]

停滞性論(ていたいせいろん)とは、朝鮮の歴史は、日本のような中世封建制がなく、古代のまま停滞しており、日本の平安時代のレベルに止まっているとするもの。福田徳三は、20世紀初めの朝鮮の経済を「借金的自足経済」とし、日本や欧州より1000年以上遅れているとした[5]

党派性論(とうはせいろん)とは、朝鮮民族は党派性が強く、不毛な党争ばかり続けていた、とするもの。

民族史観[編集]

概要[編集]

民族史観(みんぞくしかん、민족사관)は、植民史観を否定しようとして現れたもので、朝鮮民族の優秀性や自律性を強調する民族主義的な歴史観である。檀君の実在を主張したり、資本主義萌芽論、内在的発展論(朝鮮は、外部の要因ではなく、朝鮮自身で発展してきたとする)、植民地収奪論(日本の植民地支配により、朝鮮は収奪されたとする)などを唱える。

日本統治時代に、朴殷植申采浩などが、朝鮮の民族精神を強調するために古代史を研究し、檀君を拠り所にした[6]。朴殷植は「国魂」を、申采浩は「我」と「非我」の闘争を歴史の中心と見る[7]など精神論的な面が強い。彼らは日本統治時代の日本人学者による歴史研究に対抗して、朝鮮民族の優秀性と自律的・主体的な発展があったことを強調するなど、独立運動や抵抗運動の一環として研究を行った。韓国独立後は、軍事政権による国民意識形成のために民族史観が動員されて学校における歴史教育に大きな影響を与えたほか、国粋主義的な在野史学にも影響を及ぼしている。

1981年大韓民国教育部長官安浩相朝鮮語: 안호상)は、1檀君実在の人物2檀君の領土は中国北京まで存在した3王倹城は中国遼寧省にあった4漢四郡中国北京にあった5百済3世紀から7世紀にかけて、北京から上海に至る中国東岸を統治した6新羅の最初の領土は東部満州で、統一新羅国境は北京にあった7百済日本文化を築いたという「国史教科書の内容是正要求に関する請願書」を国会に提出して[8]、第4次教育課程『国史』が作成され、1982年『国史』から2006年『国史』までは、古朝鮮の建国は、「檀君王倹が古朝鮮を建国したとする」と『三国遺事』を引用して、歴史的事実である可能性を叙述する[9]。しかし2007年『国史』からは、「檀君王倹が古朝鮮を建国した」とし、『三国遺事』からの単純な引用ではなく、歴史的事実として確定する[10]

資本主義萌芽論は、李氏朝鮮後期には資本主義の萌芽が存在したが日本の植民地支配により芽が摘まれてしまったという説である。1950年代後半に北朝鮮で唱えられ始めた。日本には、1960年代に紹介され、1970年代に力を持つようになった。韓国には1980年代に日本経由で広まった。しかし、その後の実証的研究の進展により否定されてきている[11]カーター・エッカートは「韓国人が彼らの歴史の中で、産業革命種子(資本主義萌芽)を捜そうと努力することは、オレンジの木からリンゴを求めるようなものだ」と皮肉を述べており、李栄薫は「幻想」と述べている[12]

内在的発展論は、日本の植民地支配に関係なく朝鮮経済発展できたという見解である。これは日本のの植民地支配への屈辱を晴らす癒しとなり[13]、それは日本帝国主義学者停滞性論への反発が秘められている。停滞性論への反発、何が何でも拒絶すれば満足するというイデオロギーに陥り、それは相手の土俵で戦っているにすぎない[14]。しかし、日本帝国主義学者のデタラメをあげつらったところで、内在的発展論が正しいかどうかは別である[15]

1970年代までは、日本統治時代に教育を受けた世代が韓国の歴史学界で中心になっており、朝鮮の近代化阻害要因を重視した実証的な研究を行っていた。しかし1980年代になると、歴史学者の世代交代により、主観的な民族史観が台頭し、従来の研究を植民史観的だと批判し、侵略がなければ朝鮮は自立的に発展していたはずだという見方が主流になった[16]

北朝鮮では、平壌を中心とした大同江流域の古代文化を「大同江文化」と命名し、世界四大古代文明と肩を並べる「世界五大文明」の中の1つとしている。

歴史教育[編集]

背景[編集]

韓国の建国当初の民族主義は「反日主義」一辺倒で、「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成していった[17]朴正煕大統領は、自著『国家・民族・私』で、「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」と記している[18]。また、朴は自著『国家、民族、私』で、「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」と記している[19]。さらに朴は自著『韓民族の進むべき道』で、韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として次の問題を挙げている。「事大主義」「怠惰と不労働所得観念」「開拓精神の欠如」「企業心の不足」「悪性利己主義」「健全な批判精神の欠如」「名誉観念の欠如」[20]。朴正煕は独裁体制(維新体制)を確立すると、上記のような朝鮮民族の問題点を払拭するために、「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」に基づいた「国籍ある教育」を掲げた。

内容[編集]

教科書では、「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けてあげた」という歴史観が一貫して強調されており、日本に対して、日本の独自性の強い社会・文化や、日本が最も影響を受けた中国との東シナ海交易ルートや、日本から外国への文化伝播が存在しないかのような誤解を与えている。また、朝鮮半島が歴史上ほとんどの期間中国の従属国で政治・社会・文化の面で隷属していたことに殆ど触れられていないため、韓国人が「歴史的に朝鮮は文化先進国」という認識を一層強くする原因となっている[21]

例えば、小学校の社会科教科書の日本関連では、

「百済の文化を日本に伝えてあげた王仁
「(三国時代)わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本にも教えてあげた」
高句麗の文化を日本に伝えてあげた」
「今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めている」

等と朝鮮半島から日本への文物の「授与」が執拗に記述されている一方で、日本から朝鮮半島への影響については「残虐性」や「野蛮性」が誇張されて執拗に記述されており「日本人は文化的に劣等」という認識のもとで一貫して記述されている[22][23]

また、高校の歴史教科書では、

「倭族は大概東北アジア系統の族属と南洋族そしてアイヌ族の雑種[24]
「優秀な朝鮮民族と劣等な日本民族」
「東アジアの文化的後進国であった日本」
「朝鮮半島の先進文化を未開な日本に教えてあげた」
「近代化以前の日本の文化はすべて偉大な先進文化を持つ朝鮮半島から由来したもの」
「野卑な日本はいつも朝鮮半島を侵略して財物を奪っていった」

と示唆するような記述で一貫されていて「東アジアで文化的に劣等だった日本」とまで明記されている[25][26][27]

ただし実際は王仁は日本ではほとんど知られておらず、儒教と漢字を伝えたとされるが、当時の朝鮮半島の「文化」を伝えたとは書かれていない。また、王仁は日本側の資料にのみに登場する人物であるが、韓国は『古事記』の「応神天皇の命令を受け百済が献上した人物」と言う記述や『日本書紀』等の日本の大国ぶりが伺える記述については「捏造」と激しく否定しており、資料の都合の良い部分だけ採用し、それ以外は無視するという「つまみ食い(チェリー・ピッキング)」をし、二重基準を見せている。なお、実際の王仁は高句麗に滅ぼされた楽浪郡漢人系の学者[28][29][30][31][32][33][34][35][36][37][38][39][40][41][42][43][44][45]であるか、あるいは実在しなかったとも言われている[46][47][48][49][50][51][52]

また、韓国の歴史教科書では檀君神話を史実として掲載し、「朝鮮半島の歴史は中国の歴史よりも長く、世界最古のひとつ」と教えて民族主義を扇動している面もある[53]。この点について、日韓歴史共同研究委員会の日本側メンバーである井上直樹は、「韓国の教科書が朝鮮民族の始祖とされる檀君の神話をそのまま認めるような記述をしているのは、資料考証に基づく結論なのか疑問」と批判している[54]

批評[編集]

京仁教育大学校のパク・チョルヒ教授は、韓国の社会教科書が過度に民族中心的に叙述されていると批判している。たとえば、「高句麗渤海多民族国家だったという事実が抜け落ちている。高句麗の領土拡大は異民族との併合過程であり、渤海は高句麗の遺民と靺鞨族が一緒に立てた国家だが、これについての言及が全く無い[55]」「渤海は高句麗遊民と靺鞨族が共にたてた国家だというのが歴史常識だ。しかし国史を扱う小学校社会教科書には靺鞨族に対する内容は全くない。渤海は高句麗との連続線上だけで扱われている[56][55]」「高麗時代前時期にかけて異民族が帰化した数字は23万8000人余りに達する。帰化した漢族は国際情勢に明るく、文芸にたけていて官僚にたくさん進出した。帰化した渤海人契丹との戦争に参加して大きい功績を立てた。崔茂宣に火薬製造技術を伝えた人物の李元も中国、江南地方出身帰化人だが、これらの存在と文化的影響に対し教科書は沈黙している[56]」。また、6年生1学期の社会教科書の「一つに団結した同胞」の部分「私たちの同胞は最初の国・古朝鮮を建てて、高句麗、百済新羅に続いて統一新羅へと発展して来た」との記述に対しては、「教科書では、『古朝鮮が立てられる前の私たちの先祖の生活がどのようだったのか調べててみよう』と記し、旧石器、新石器、青銅器時代を説明し、まるで旧石器時代から古朝鮮に至るまで同じ血統の民族がこの地域に暮して来たかのように記述されている」と批判している[56]。6学年1学期社会教科書39ページの「新しい王朝は領土拡張と国防強化に努力した(中略)特に世宗の時は豆満江鴨緑江流域に入ってきて生きていた女真族を追い出して、この地域に四郡韓国語版六鎮を設置して領土を広げた」との記述に対しては、「高麗時代に帰化した女真族は北方情勢を情報提供したり、城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身で、この地域の女真族を自身の支持基盤とした。開国功臣だった李之蘭はこの地域出身の女真族指導者として同北方面の女真族と朝鮮の関係を篤実にするのに重要な役割を担当した。李氏朝鮮の時代、同北方面の領域で領土拡張が可能だったことは女真族包容政策に力づけられたことが大きい。しかしこういう女真族との友好的な内容は教科書で探せない」と女真族を朝鮮民族を困らせる報復の対象にだけ描写していると批判している[56]

パク・チョルヒ教授は、「小学校教科書には民族文化の優秀性を強調するために他民族を貶す記述も多く、特に、日本人は文化的に我々よりも劣等だと一貫して記述されている」と批判している[55]。たとえば、小学校4年生2学期の道徳教科書66~67ページには、記者と外国人がキムチの味について話し合う場面があり、キムチの味を問う記者の質問に外国人は「はい、よく食べます。韓国のキムチはとてもおいしいです。日本のキムチは比較にもならないですね」と記述され、韓国のキムチの優秀性を紹介する為に、日本のキムチを見下すことは、他文化を無視すると同時に他文化に対する偏見を助長しやすいと批判している[56]。また、4年生2学期、道徳教科書89ページには、「一民族は強靭な所があります。中国歴代王朝、日本など周辺の国々がしつこく侵略を試みましたが、結局はすべて失敗してしまいました。(中略)例えば韓半島に韓民族ではなく日本や他の民族がいたらすぐに亡びたはずです」と、ここでは「日本人が半島に住んでいたら滅んでいた」とまで明記されている[56]

水野俊平は自著の中で韓国の「情」に言及している[57]。朝鮮半島史は一貫して外敵との戦いの歴史(周辺の強国に侵略や占領され、事大する歴史)であり、「偉大なる民族史」に憧れる心情は「理解できないことでもない」としている。また、韓国大衆の間で、「朝鮮半島史が日帝親日派により不当に矮小化された」と信じられている為、「植民地史観から歴史を回復(復元)する」という名目で行われる主張が非常に受け入れられやすく、正統派の歴史学者が民族史観に異議を唱えにくい状況になってしまっていると分析している[58]

唯物史観[編集]

日本統治期の朝鮮人の歴史学者における、民族史学、社会経済史学、実証史学という3つの流れ[1]のうち、社会経済史学マルクス主義史観(唯物史観)による歴史学で、白南雲を中心として発達した。白南雲は、日本の東京商科大学(現一橋大学)に留学してマルクス主義の影響を受け、朝鮮に戻って唯物史観に基づいて朝鮮史を研究し、『朝鮮社会経済史』(1933年)、『朝鮮封建社会経済史 上』(1937年)を著した。

その後、白南雲は朝鮮民主主義人民共和国に移り、マルクス主義歴史学は朝鮮民主主義人民共和国に引き継がれた。

実証史学[編集]

実証史学は、実証性を重視し、客観的、価値中立的、科学的な歴史研究を唱えた。李丙燾韓国語版など、日本の歴史学界で専門教育を受けた歴史学者が中心となった。独立後、大韓民国の歴史学界では、マルクス主義歴史学が禁止されたため実証史学が主流となったが、民族史観の立場からは、実証史学は植民史観の亜流だと批判を受けることもある[1]

安秉直李栄薫らは、経済史を中心にした実証的な研究に基き、植民地時代に朝鮮の近代化が進められたとする植民地近代化論식민지 근대화론)を主張している[59]。彼らは、それまで民族史観が唱えていた資本主義萌芽論、内在的発展論、植民地収奪論などは、実証的な裏づけがないと批判している。逆に民族史観側からは、植民地近代化論は植民地支配を正当化するものだとする非難を受けている。

並木真人松本武祝尹海東林志弦らは、植民地時代の近代性の様々な様相に関する植民地近代性論(または植民地近代論ともいう)を研究している。植民地近代化論が経済史を主にしているのに対し、植民地近代性論は社会史を主にしている[60]。植民地時代に朝鮮でも都市文化が生まれ、「支配-抵抗」という民族史観の二分法的図式では捉えきれない、様々な動きがあったとする。

大陸史観[編集]

大陸史観(たいりくしかん、대륙사관)は、民族史観を拡張したもので、朝鮮史の舞台を朝鮮半島の中だけでなく中国大陸にまで広げる歴史観である。古朝鮮高句麗渤海が満州を拠点としていたことを強調するだけでなく、新羅百済も中国大陸を領有していた、古代においては中国に対して朝鮮が優越していたという説を主張する。

事例[編集]

  • 2007年大韓民国大統領選挙に立候補した許京寧経済共和党総裁は、「中国諸国と連邦をしてアジア連邦を作り、失われた高句麗領土を取り戻したい」「失われた渤海の旧領と、三国時代にヨーロッパまで伸ばした韓半島の故土を取り戻すのが私の夢だ」としている[61]
  • 韓国KBSの番組「満洲大探査」は、「満洲はもともと韓民族の土地。清朝を樹立したアイシンギオロ氏も、祖先は韓国人」と主張している[62]
  • 大田大学校哲学科の林均澤教授が2002年12月に韓国書鎮出版社から出版した『韓国史』において、の時代に、高句麗、新羅、百済が中国の大半を有しており、唐の版図は雲南省四川省などのわずかな部分に過ぎず、高句麗、百済を滅ぼしたあとの新羅の版図は、現在の東シベリアモンゴル華北地域など三北中国語版(中国北部全体)、華中地域、西蔵自治区新疆ウイグル自治区など広大なものとなり、唐は華中地域や華南地域をおさえるにとどまったと主張している[63]
  • 韓国の圓光大学校教授が広西チワン族自治区の百済郷を調査し、「この地はかつて、百済の殖民地だった」と発表した[64]
  • 歴史学者オ・ジェソンの著書『隠された歴史を探して』『地図で見る韓国歴史』の本の図表には、高句麗・百済が活動した範囲が、内蒙古山東省福建省などに至っている。中国のネチズンは、「唐の新疆統治組織だった安西都護府が、統一新羅のチベット統治機構に伝えられたのはとんでもないこと」と指摘している[65]
  • 韓国の梨花女子大学の歴史書、申瀅植『梨花女子大学コリア文化叢書 韓国史入門』p4には、「韓国民族は70万年前の旧石器時代から新石器・青銅器時代へと移り、古代国家を成立させて以後、現在まで東アジアの主役として堂々と固有の歴史を守り続けてきた。特に、古代社会で韓民族は満州大陸を支配しながら中国の東進を防ぎ、近代に入り一時期日本の支配を受けたものの最後まで民族の独自の文化を守り続けてきた。」とあるという[66]
  • 林志弦によると、東北工程を厳しく非難している進歩的国会議員であり、韓国大統領候補にまでなった金元雄は、国会で満州回復を演説したことがあるという。他に陸軍士官学校の校長室には、満州を韓国の領土と図示した地図が掲げてあり、それを見た中国の将官が驚愕したという[67]

日本観[編集]

歴代朝鮮王朝は日清戦争まで中国の冊封体制下におかれ、「中華文化こそ正しい文化、朝鮮独自の文化は卑しい文化」と考える事大主義と「中国に地理的・文化的に近い朝鮮が優越で、遠い日本は劣等」という小中華思想の時代が長く続いた[68]。また、このような小中華思想に儒教思想が加わることによって「優越な長男の中国と次男の韓国(朝鮮)、劣等な三男の日本」、「優越な母の韓国と劣等な捨て子の日本」という認識が発生し[69]、さらには、民族主義が重なり「先進的で文化的で優秀な朝鮮が、未開で野蛮で劣等な日本に、先進的な文明を授けてあげた」「日本は韓国の優れた文化を受け入れるだけの文化劣等国」「(日本は)有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」「全ての日本文化は朝鮮に源流がある」「百済人が日本を建国した」という歴史観が広く浸透している[57][70][71]

また、「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず者の低質日本民族の正体だ[72]」「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?[73]」などと侮蔑的な対日論評を頻繁に行っている。このように、韓国社会全般では「韓国人の優秀性」と「日本の劣等性・未開性・野蛮性」を扇動する傾向が強く醸成されている[74][75]

古代史研究家でチェ・ジェソク高麗大学名誉教授は、朝鮮半島に「高句麗」「百済」「新羅」が鼎立した三国時代に「百済が日本を植民地支配していた」と主張している[76]室谷克実によると、韓国は古代史をナショナリズムの扇動や政治家の保身に利用しているため、「東アジアを支配し、日本に文化を教えたのは我々だ」と扇動することにより、国民の溜飲を下げ、不都合なことから目を逸らせているという[77]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 康成銀「植民地期の朝鮮人史学者たち 上」朝鮮新報 2008年7月4日
  2. ^ 鄭銀淑「一気にわかる朝鮮半島」p16 植民地史観とは何か?(池田書店、2003年10月)
  3. ^ 金仙煕「韓国における「歴史叙述」の問題―林泰輔『朝鮮史』の受容を中心に―」p140
  4. ^ 李萬烈「近現代韓日関係研究史―日本人の韓国史研究を中心に―」p.247
  5. ^ 李萬烈「近現代韓日関係研究史―日本人の韓国史研究を中心に―」p.249
  6. ^ 金仙煕「韓国における「歴史叙述」の問題―林泰輔『朝鮮史』の受容を中心に―」p139
  7. ^ 민족사학야후! 백과사전
  8. ^ 尹種栄『国史教科書の波動』ヘアン、1999年、p22
  9. ^ 金 2012, p. 34
  10. ^ 金 2012, p. 34
  11. ^ 中川雅彦「386世代論」ジェトロ・アジア経済研究所 2007年02月
  12. ^ “이영훈 서울대 명예교수, “자본주의 맹아론은 대한민국 부정으로 이어지는 주장””. 月刊朝鮮. (2017年3月31日). オリジナル2017年4月14日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20170414081005/http://pub.chosun.com/client/news/viw.asp?cate=C01&mcate=M1002&nNewsNumb=20170324115&nidx=24116 
  13. ^ 三輪 p195
  14. ^ 三輪 p195
  15. ^ 三輪 p195
  16. ^ 木村幹「日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序」p293-297
  17. ^ 木村幹『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識 - 朝貢国から国民国家へ』ミネルヴァ書房、2000年、ISBN 978-4623032921
  18. ^ 朴正煕 『朴正煕選集2 国家・民族・私』 鹿島研究所出版会、1970年、234-238頁。全国書誌番号:72004958
  19. ^ 朴正煕 『朴正煕選集1 韓民族の進むべき道』 鹿島研究所出版会、1970年、92頁。全国書誌番号:72004958
  20. ^ 朴正煕 『朴正煕選集1 韓民族の進むべき道』 鹿島研究所出版会、1970年、79-91頁。全国書誌番号:72004958
  21. ^ 斎藤吉久. “日韓歴史認識の埋め難き溝--韓国『反日』教科書の凄まじさ”. 神社新報 (平成13年4月16日号). http://s02.megalodon.jp/2008-0920-1600-28/www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/history.html. 
  22. ^ 초등 4~6학년 교과서, 단일민족・혈통 지나치게 강조 (朝鮮語). 京郷新聞. (2007年8月21日). http://s02.megalodon.jp/2008-0617-2046-02/news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200708212359521&code=940401 小学校の教科書、自民族の優秀性を過度に強調。特に「日本人は文化的に劣等」と一貫して記述。
  23. ^ (石渡延男監修、三橋ひさ子他訳「国定韓国小学校社会科教科書」明石書店、2001年、44-46頁)
  24. ^ 『人文系高等学校世界史』乙酉文化社
  25. ^ “黒潮町夫妻の絵本を韓国語訳”. 高知新聞. (2006年10月27日). http://www.kochinews.co.jp/0610/061027headline07.htm 
  26. ^ 国定韓国高等学校歴史教科書 V近世社会の発達倭乱の影響
  27. ^ 『世界の教科書シリーズ1 新版韓国の歴史-国定韓国高等学校歴史教科書』明石書店
  28. ^ 鈴木靖民『朝日日本歴史人物事典』「王仁の名から6世紀ごろ、中国系百済人が先進文化を携えた博士として百済から倭に渡来した事実を想像させる」
  29. ^ 大辞林「祖は漢の高祖」
  30. ^ 志田諄一日本大百科全書』「王仁は高句麗に滅ぼされた楽浪郡の漢人系統の学者らしく、朝廷の文筆に従事した西文首の祖とされている。」「王の姓は楽浪出土の印章、漆器、せん、封泥、墓壁銘などに多く記されており、楽浪郡の有力豪族であったことが知られる。」
  31. ^ 加藤謙吉『大和政権とフミヒト制』吉川弘文館「かかる事実に基づき王仁後裔氏族や家氏、東漢氏を中国系とする説が古くから存在する。」
  32. ^ 世界大百科事典』「伝承によると、漢の高祖の子孫」
  33. ^ 石田博『漢文学槪論』雄山閣出版「王仁の家系を述べているが、それによると、王仁は漠の高帝の後であるという。漢の高帝の後を蠻といい、鷥の後胤の王狗は、転じて百済に至った。」
  34. ^ 八幡和郎『最終解答 日本古代史』PHP研究所「そこで、天皇が『お前に勝る学者はいるのか』と聞いたところ王仁を推薦したので、百済から招聘したといいます。王仁博士は、漢の高祖の子孫と称しています。山東省から楽浪郡に移住し、さらに百済に移ったので、平安時代の『新撰姓氏録』には、文、武生、櫻野、来栖、古志といった名字の人々が王仁の子孫で漢族として登録されています。」
  35. ^ 徳川恒孝『日本人の遺伝子』PHP研究所「御存知、漢末の群雄割拠の時代から日本に漢字をもたらしたのは百済からの渡来人の王仁という方だったと伝えられています。彼は漢の高祖(先ほどの漢王朝の創設者、劉邦)の子孫と言われています。」
  36. ^ 関裕二『鬼の帝聖武天皇の謎』PHP研究所「最大の理由は、行基の祖歌位が、百済王家出身ではなく、中国の漢から百済をへて、渡来したという伝承を持っていたことであろう。」
  37. ^ 日笠護『日鮮關係の史的考察と其の硏究』四海書房「後漢孝靈帝の後裔と稱する阿知使博士王仁(漢高祖の後裔)の來朝を見るに至つた。」
  38. ^ 駒井和愛『楽浪』中央公論社「東京大学の歴史学者坪井九馬三博士は、かの日本に論語をもたらしたといわれる王仁ももと漢人の子孫」
  39. ^ 馬渕和夫出雲朝子『国語学史』笠間書院「最初の師直岐・王仁は中国系もしくは準中国系の百済人であったから、漢字の発音も中国音に近かったであろう」
  40. ^ 蔡毅『日本における中国伝統文化』勉誠出版「この『和邇吉師』とは、漢名を王仁と称す。彼の姓氏とその文化教養の点から推測されることは、王仁は朝鮮で生活していた漢民族の移民であるか、あるいは移民の末裔であろうと。」
  41. ^ 佐伯有清『日本の古代国家と東アジア』雄山閣「井上光貞氏は、王仁の王は中国的な姓で王氏ではないかと指摘」
  42. ^ 竹内理三『政治と文化』吉川弘文館「漢高帝の後裔王狗という者が百済に来ったが、王仁はその孫にあたるという。楽浪郡跡の発掘の遣品に王光、王肝など王姓の名をしるしたものがあるので、王仁もその名はともかくとしても、その一族のものであろうと言われている。」「こうしたことから、わが国に文運を最初にもたらした王仁も、じつはまったくの仮空の人物ではなくて、この王氏の子孫として実在したものと考えても、案外さしつかえないのではないか。楽浪の王氏は、いずれも平、宜、雲、光などめでたい文字の一字名である。」
  43. ^ 黒板勝美『岩波講座 日本歴史8』岩波書店「弓月君は秦始皇帝の後だと云はれ、王仁は漢高祖の後裔で百濟に歸化した王豹と云ふ者の子孫だと云ひ、阿知使主はこれ等三國の歸化人の外に支那の歸化人がある。」
  44. ^ 柿村重松山岸德平『上代日本漢文學史』日本書院「當時百濟には王仁の如く漢人の支那北部より轉住し居りしものも少からざりしなる」
  45. ^ 拳骨拓史『韓国人に不都合な半島の歴史』PHP研究所2012年「さらに近年では、朝鮮半島が中国風の漢字一文字の姓を名乗るのは、統一新羅の時代以降であるため、王仁は朝鮮人ではなく、中国系渡来人ではないかと考えられてきている。」
  46. ^ 田中健夫石井正敏『対外関係史辞典』吉川弘文館「応神朝に百済の和通吉師(王仁)が『諭箱』などの典籍をもたらしたという王仁伝説や、继体欽明朝に五経博士が百済から交代派遣されたとする伝承は、そのままでは事実とは認め難い」
  47. ^ 斎藤正二『斎藤正二著作選集4』八坂書房「王仁の実在を疑う論者は、津田左右吉以来、それこそ無数にある。『千字文』そのものが三世紀終わりにはいまだ成立していないのに日本に渡来するはずはないとの疑問は、早く江戸時代に新井白石、伊勢貞丈らによつて提起されていた。」
  48. ^ 中村新太郎『日本と中国の2000年』東邦出版社「阿直岐や王仁が実在の人物であったかどうかはわからない(津田左右吉博士は、後人の造りごととしている)。」
  49. ^ 菅原信海『日本思想と神仏習合』春秋社「和邇吉師が実在の人物でないとすれば、やはり事実とは認められないと述べており、『論語』、『千字文』の阿直岐や王仁は到底実在の人物とは考えられないこと、また和邇吉師が論語、千字文を献上したといふのも、津田左右吉博士は、『王仁の名は阿直岐に対して作られたものであらう』と、架空の名を作り出したもの」
  50. ^ 野平俊水 「第5節 日韓合作偽史(5) 王仁博士の生家は全羅南道・霊巌である」『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』 小学館〈小学館文庫〉、2002年4月、pp. 93-109。ISBN 4-09-402716-5
  51. ^ 星野五彦『万葉の諸相と国語学』おうふう「天皇名とその時代との関わりを示す何かが隠されているように思えなくもないが、それについての穿鑿は当面の問考えてみれば、応神時代に音読すればォウジンとなる王仁の来朝も実在人物なのだろうかと疑問が生じてくる。」
  52. ^ 浜田耕策 日韓歴史共同研究報告書(第1期)4世紀の日韓関係 6頁「ところで、韓国の学界では、『日本書紀』に読まれる百済が倭国に送ったとされる王仁や『論語』、『千字文』を代表事例として、百済は倭国より進んだ文化先進国とする文化優越論が根強い。王仁の『千字文』将来説には王仁より後世の作であることや『日本書紀』の歴史構成を批判的に検討する文献学的な批判がある。百済からの知識人や経典の倭国への伝来を百済と倭国との2国間の関係のみに限定してしまい、この背後にある中国王朝との相互の関係に目を向けることの弱さから生まれた『文化優越論』である。」
  53. ^ 古朝鮮「神話」から「歴史」に…高校課程教科書修正、中央日報2007年2月23日
  54. ^ 日韓歴史研究報告書の要旨[1]
  55. ^ a b c 초등 4~6학년 교과서, 단일민족·혈통 지나치게 강조『Yahoo!Koreaニュース』2007年8月21日
  56. ^ a b c d e f 初等教科書、高麗の時「23万帰化」言及もしない『京郷新聞』2007年8月21日
  57. ^ a b 水野俊平 『韓vs日「偽史ワールド」』 小学館、2007年ISBN 978-4-09-387703-9
  58. ^ 「正統派の学者がこれらに異議を唱えた場合、在野の民族史観者は論破されても認めずに「親日派」や「講壇史学者」等の罵声を浴びせる可能性が高く、正統派の学者達にとって素人学説を論破しても学会で評価されず徒労に終わってしまう」としている。
  59. ^ 康成銀「植民地近代化論批判 上」朝鮮新報 2008年5月9日
  60. ^ 康成銀「植民地近代(性)論の問題点 上」朝鮮新報 2008年6月6日
  61. ^ 大統領選で敗北した許京寧氏:「まずはモンゴルと統一し、いずれはアジア連邦大統領になるのだ」中央日報(韓国語)2007年12月28日
  62. ^ 韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」, サーチナ 2009/09/08.
  63. ^ 韓国歴史書「上海も韓国の領土だった」中国紙が反論 サーチナ 2006/05/10
  64. ^ 【中国ブログ】「広西は韓国の植民地だった」説に「笑わせるな!」 サーチナ 2009/11/12
  65. ^ 「上海は韓国領土だった?」の主張に中国ネチズンが激怒 『中央日報』2006年5月10日
  66. ^ 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』、扶桑社2013年、p17
  67. ^ “고구려사는 한국사도 중국사도 아니다” 、メディアオヌル 2004/09/02
  68. ^ この思想は朝鮮独特のもので、逆に中国王朝からは日本が格上として扱われていたことは、外臣として最高位の金印紫綬を賜わっていることから明らかである。金印紫綬を賜わったのは日本と大月氏国の二国のみ。琉球は銀印。印綬参照。
  69. ^ デスクコラム独島倭乱に臨んで チョ・ヒャンレ社会2部長毎日新聞 (韓国)2008年10月8日)
  70. ^ SBSスペシャル 韓日併呑100周年特集歴史戦争(聯合ニュース2010年8月26日)
  71. ^ 【その時の今日】永遠に癒やされない傷、庚戌国辱(中央日報 2010.08.27)
  72. ^ 기고 일본에 맞대응 할 길을 찾아보자「日本に正面対抗する道を探してみよう 独島領有権問題提起 愛国民族愛の道考えてこそ」(京畿新聞 2010年04月06日(火)電子新聞|13面)
  73. ^ チョッパリ'と豚足(ニューデイリー2010年4月26日)
  74. ^ 「棚ぼた式独立」の傷うずく韓国 筑波大学大学院教授・古田博司 産経ニュース 2013年11月8日
  75. ^ 「中華世界」復活を喜ぶ韓国人 韓国の異様な行動を岡本隆司准教授と読む(2) 日経ビジネス 2013年6月20日
  76. ^ “「百済、新羅が日本作った」が韓国の定説 東アジアにも領土”. SAPIO. (2016年3月). オリジナル2016年2月8日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160208214139/http://www.news-postseven.com/archives/20160208_382841.html?PAGE=1 
  77. ^ “「百済、新羅が日本作った」が韓国の定説 東アジアにも領土”. SAPIO. (2016年3月). オリジナル2016年2月8日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160208213927/http://www.news-postseven.com/archives/20160208_382841.html?PAGE=2 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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