朝日新聞社

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株式会社朝日新聞社
The Asahi Shimbun Company


種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社[1]
略称 朝日、朝日新聞
本社所在地 日本の旗 日本
104-8011
東京都中央区築地五丁目3番2号(東京本社[2]
(他の本社は#本社・支社・本部参照)
北緯35度39分51.3秒 東経139度45分59.9秒 / 北緯35.664250度 東経139.766639度 / 35.664250; 139.766639座標: 北緯35度39分51.3秒 東経139度45分59.9秒 / 北緯35.664250度 東経139.766639度 / 35.664250; 139.766639
本店所在地 530-8211
大阪府大阪市北区中之島二丁目3番18号
北緯34度41分36.7秒 東経135度29分48.3秒 / 北緯34.693528度 東経135.496750度 / 34.693528; 135.496750
設立 1879年明治12年)1月8日
業種 情報・通信業
法人番号 6120001059605 ウィキデータを編集
事業内容 新聞の制作、発行及び販売
代表者 中村史郎代表取締役社長
資本金
  • 6億5000万円
(2023年3月31日現在)[3]
発行済株式総数
  • 320万株
(2023年3月31日現在)[3]
売上高
  • 連結: 2670億3100万円
  • 単独: 1819億5000万円
(2023年3月期)[3]
営業利益
  • 連結: △4億1900万円
  • 単独: △19億2300万円
(2023年3月期)[3]
経常利益
  • 連結: 70億6200万円
  • 単独: 24億8200万円
(2023年3月期)[3]
純利益
  • 連結: 19億7800万円
  • 単独: △3億7900万円
(2023年3月期)[3]
純資産
  • 連結: 3643億7200万円
  • 単独: 1881億6300万円
(2023年3月31日現在)[3]
総資産
  • 連結: 5620億7000万円
  • 単独: 3737億3600万円
(2023年3月31日現在)[3]
従業員数
  • 連結: 6,793人
  • 単独: 3,487人
(2023年3月31日現在)[3]
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人[3]
主要株主
主要子会社 #グループ会社参照
関係する人物 村山龍平(創業者の一人)
上野理一(創業者の一人)
外部リンク www.asahi.com/corporate/ ウィキデータを編集
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株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、: The Asahi Shimbun Company)は、全国紙朝日新聞』を発行する日本新聞社である。ニュースサイトの「朝日新聞デジタル」の運営も行う。

産業経済新聞社(産経新聞社)、大阪毎日新聞社毎日新聞大阪本社の前身)などとともに大阪府大阪市を発祥とする新聞社であり、現在でも登記上の本店を大阪に置いている[4]。 新聞以外に雑誌書籍出版や芸術作品の展示・公演などの文化事業や、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)といったスポーツ大会の開催などの幅広い事業活動も行う。

テレビメディアとして、テレビ朝日ホールディングスを傘下に置く。

組織体制[編集]

1879年明治12年)1月8日大阪府で創立。日本国内の4本社1支社、取材拠点は総局44・支局86・地区担当25、印刷拠点は20か所であり、日本国外機関は5総局・21支局の26拠点。

新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー、Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む 。朝日新聞の2022年下半期における発行部数は397万部と世界1位の読売新聞に次ぐ第2位[5]

本社・支社・本部[編集]

取材拠点[編集]

国内

44都府県庁所在地には「総局」、都道府県内主要都市には91ヶ所の「支局」を置いている。なお、総局が置かれていない3道府県庁所在地については、当該の本社・支社内に愛知県北海道には「報道センター」、大阪府には「社会部大阪版」が置かれ、総局の機能を担っている。

海外

ワシントンDCアメリカ)、ロンドンヨーロッパ)、カイロ中東アフリカ)、バンコクアジア)、北京中国)には括弧内の名称の総局を置いている。また、総局の配下には21の支局が主要都市に置かれ、重大事件の際は総局・支局が協力して対応する。国際版の印刷拠点はメヘレンニューヨークロサンゼルスシンガポール香港の5ヶ所である。

  • ヨーロッパ総局(ロンドン)
    • パリ支局
    • ベルリン支局
    • ジュネーブ支局
    • ウィーン支局
    • ローマ支局
    • モスクワ支局
  • 中東アフリカ総局(カイロ)
    • エルサレム支局
    • テヘラン支局
    • ナイロビ支局
    • ドバイ支局
  • アジア総局(バンコク)
    • ジャカルタ支局
    • マニラ支局
    • ニューデリー支局
    • イスラマバード支局
    • ソウル支局
    • ハノイ支局
  • 中国総局(北京)
    • 上海支局
    • 広州支局
    • 瀋陽支局
    • 台北支局
    • 香港支局
  • アメリカ総局(ワシントン)
    • ニューヨーク支局
    • ロサンゼルス支局
    • サンパウロ支局
    • ハバナ支局

社のシンボル[編集]

新聞の題字については朝日新聞#題字・地紋を参照。

社旗・社章[編集]

社旗社章とも同じデザインである。

旭旗を素に白地に赤く朝日を表したもの。朝日の部分に題字と同じ書体で白く「朝」の文字が入る。左から昇る朝日(北海道支社東京本社)と右から昇る朝日(名古屋本社大阪本社西部本社)の2種類がある。

楽曲[編集]

社歌として規定された楽曲は無いが、1979年(昭和54年)の創刊100周年を記念して作られたものを中心に以下の関連楽曲がある。

  • 町から村へ
作詞:河西新太郎 作曲:古関裕而 歌:伊藤久男
宣伝歌。1952年(昭和27年)に日本コロムビアSP盤規格品番:SPR1451)を製造。2020年(令和2年)発売のアルバム『古関裕而秘曲集 〜社歌・企業ソング編』ディスク1(COCP-41334)のトラック16に収録された[6]
  • 朝日のひかり -朝日人の歌-
作詞:遠藤清一 補作:岩谷時子 作曲:いずみたく 歌:立川清登
第5回朝日会全国大会開催記念。朝日ソノラマソノシートを製造し、創刊100周年記念盤にも収録された。
  • 大淀川の水澄んで
作詞:志村和雄 作曲:米村博実 歌:朝日100周年記念合唱団
  • 朝日人
作詞:手塚光麿 作曲:浅野昭太郎 歌:朝日100周年記念合唱団
  • われら朝日の
作詞:下条義次 作曲:亀沢芳久 歌:朝日100周年記念合唱団

上記3曲は朝日ソノラマ製造の創刊100周年記念盤(SS-4029)2枚組に「朝日のひかり」および「栄冠は君に輝く」「大会行進曲」と併せて収録。

  • マーチ1979 栄光めざして
作曲・編曲:芥川也寸志
作詞:足立百合子 作曲:山本信一、湯山昭 編曲:湯山昭 歌:佐藤光政

上記2曲はCBSソニー製造の創刊100周年記念盤(YDSB-10)のA面/B面に収録。

株主[編集]

創業家の村山家と上野家の保有割合が多いのが特徴[注 1]

2008年(平成20年)6月6日、社主の一人である村山美知子は自身の保有する株式のうち38万株(11.88%)をテレビ朝日に、31万9千株を自身が理事長を務める公益財団法人香雪美術館に譲渡した[8]

2009年(平成21年)5月、朝日新聞社従業員持株会が筆頭株主となる。

沿革[編集]

  • 1879年明治12年)1月8日 - 木村平八木村騰の親子によって大阪・江戸堀(現在の大阪市西区の一部)に於いて朝日新聞社創立。同年1月25日に朝日新聞が創刊する。「朝日」の由来は、「旭日昇天 万象惟明」を基に、編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から。
  • 1881年(明治14年)1月 - 村山龍平が木村親子より朝日新聞社の経営権を譲り受け、上野理一と共に経営に着手。
  • 1882年(明治15年) - 政府三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受け始め、経営基盤を固める。
  • 1885年(明治18年) - 大阪四ツ橋筋の旧宇和島藩蔵屋敷の建屋に本社を移す。
  • 1888年(明治21年)7月10日 - 「めさまし新聞」を買収し、東京に進出(同紙は「東京朝日新聞」に改題し、それに伴い、大阪は翌年1月3日「大阪朝日新聞」に改題)。
  • 1893年(明治26年)8月1日 - 美術雑誌国華』(1889年創刊)の編集・経営に進出。
  • 1895年(明治28年)10月 - 大阪本社を村山合名大阪朝日新聞会社、東京本社を村山合名東京朝日新聞会社にそれぞれ改組。
  • 1908年(明治41年)10月1日 - 大阪及び東京の両社が合併し、朝日新聞合資会社に改組。
  • 1915年(大正4年)8月18日 - 大阪朝日新聞が第1回全国中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会)を大阪府豊中村(当時)の豊中球場で開催。
  • 1916年(大正5年) - 四ツ橋筋を挟んだ地に新社屋が完成。
  • 1919年(大正8年)7月31日 - 株式会社朝日新聞社に改組[注 2]
  • 1922年(大正11年)2月25日 - 『旬刊朝日』創刊。4月2日発売号より週刊化し『週刊朝日』に。
  • 1923年(大正12年)1月11日 - 東京〜大阪間に定期航空路を就航。
  • 同年 1月25日 - 『アサヒグラフ』創刊(2000年休刊)。
    アサヒグラフ昭和12年9月1日号表紙
  • 同年 3月 - 『アサヒスポーツ』創刊(1956年休刊)。
  • 同年 11月 - 『コドモアサヒ』創刊(現・朝日小学生新聞)。
  • 1924年(大正13年)10月5日 - 『朝日年鑑』を初めて市販(2000年休刊)。10月に『婦人』創刊。
  • 1926年(大正15年) - 航空部を発足。
  • 同年4月1日 - 『アサヒカメラ』創刊。
  • 1927年(昭和2年)3月20日 - 東京朝日新聞社の新社屋が有楽町に移転。
  • 1929年(昭和4年)1月1日 - 「朝日賞」を創設。第1回朝日賞に坪内逍遥前田青邨らが選ばれる。
  • 1933年(昭和8年)11月24日 - 村山龍平社長が死去。後任は上野社主家2代目の上野精一(12月6日付)。
  • 1934年(昭和9年)4月18日 - 主筆制を敷く。大阪朝日主筆高原操、東京朝日主筆緒方竹虎
  • 1935年(昭和10年) - 朝鮮台湾満州国在住の読者向けに「外地版」の制作に着手(1945年日本の敗戦で廃刊)。
  • 同年2月 - 門司支局を「九州支社」に昇格(現・西部本社)。
  • 同年10月 - 「名古屋支社」を設立(現・名古屋本社)。
  • 1936年(昭和11年)2月26日 - 二・二六事件で反乱軍が東京朝日新聞の社屋を襲撃。
  • 1936年(昭和11年)5月21日 - 大阪と東京の主筆を一本化し、緒方竹虎が主筆に。緒方は5月25日付で代表取締役にも就任。
  • 1937年(昭和12年) - 社有機「神風」が訪欧飛行し、94時間17分56秒の世界新記録を樹立。
  • 1940年(昭和15年)5月25日 - 村山社主家2代目の村山長挙が社長就任。
  • 同年9月1日 - 東京本社、大阪本社、西部本社、中部本社(現・名古屋本社)の4本社体制をとり、東京・大阪に分かれていた題号を現在の『朝日新聞』に統一。
  • 1941年(昭和16年)11月1日 - 『科学朝日』創刊(後に『サイアス』と改称、2000年休刊)。
  • 1942年(昭和17年) - ゾルゲ事件で東京本社政治経済部長田中慎次郎(3月15日)、同部員磯野清(4月28日)が検挙。この事件で緒方竹虎主筆は編集責任担当者を解かれ、大阪本社派の西部本社代表(代表取締役専務取締役)原田譲二が後任に(6月15日付)。反緒方勢力台頭のきっかけとなる。
  • 1943年(昭和18年)12月27日 - 村山長挙社長が緒方竹虎主筆を解任し、副社長に棚上げする。
  • 1944年(昭和19年)7月22日 - 緒方竹虎副社長が退社し、小磯内閣国務大臣情報局総裁に就任。
  • 1945年(昭和20年)4月7日 - 鈴木貫太郎内閣成立で、元副社長下村宏が国務大臣兼情報局総裁に就任。
  • 1945年(昭和20年)8月17日 - 東久邇宮内閣成立で、元副社長緒方竹虎が国務大臣兼内閣書記官長兼情報局総裁に就任。翌18日には元論説委員前田多門文相就任。首相秘書官に論説委員太田照彦、緒方の秘書官に記者中村正吾、内閣参与に元記者田村真作と、「朝日新聞内閣」の観を呈する。
  • 同年11月5日 - 戦争責任明確化のため、村山長挙社長以下幹部が辞任。東京非常対策本部長(元東京本社編集局長・ジャワ新聞社長)野村秀雄が代表取締役就任。
  • 1947年(昭和22年)6月23日 - 東京本社代表兼論説委員室主幹長谷部忠が会長就任。長谷部は同年11月25日付で代表取締役にも就任。
  • 同年11月1日 - 公職追放で、村山長挙と上野精一が社主から追放。
  • 1949年(昭和24年)11月25日 - 長谷部忠会長が社長に就任。
  • 1950年(昭和25年)7月28日 - 各報道機関でレッドパージが始まる。初日の朝日新聞社の解雇者は72人で報道機関最多[9]
  • 1951年(昭和26年)8月8日 - 村山長挙と上野精一が社主に復帰。
  • 同年11月30日 - 長谷部忠社長退陣。村山長挙が会長就任、東京本社編集局長信夫韓一郎を代表取締役とする。
  • 1952年(昭和27年)9月1日 - 現行の「朝日新聞綱領」を制定。
  • 1954年(昭和29年)1月20日 - 英字紙『ASAHI EVENING NEWS』創刊(後にヘラルド朝日と改称、2011年休刊)。
  • 1959年(昭和34年)2月14日 - 「北海道支社」を設立[10](同年6月1日よりファクシミリによる現地印刷・発行を開始[11])。
  • 同年3月15日 - 『朝日ジャーナル』創刊(1992年休刊)。
  • 同年9月9日 - ソノシート雑誌発行のため、朝日ソノプレス設立(1966年9月9日に朝日ソノラマに社名変更)。
  • 1960年(昭和35年)6月29日 - 村山長挙会長が社長に、上野精一社主が会長に復帰。翌30日付で信夫韓一郎が代表取締役専務取締役を辞任。
  • 同年10月 - ベルマーク運動を開始[12]
  • 1961年(昭和36年)5月1日 - 東京本社で伝書鳩廃止[13](1959年に名古屋本社において廃止[14]、大阪本社は最後まで伝書鳩が残っていたが1966年8月31日に廃止[13])。
  • 1963年(昭和38年)12月24日 - 村山社主家が常務取締役東京本社業務局長の永井大三を解任。社内紛争「村山事件」が始まる。
  • 1964年(昭和39年)1月20日 - 村山長挙社長、上野精一会長辞任。西部本社代表に左遷されていた広岡知男ら4人が代表取締役就任。
  • 同年(昭和39年)11月17日 - 元常務取締役の美土路昌一顧問が社長就任。
  • 1967年(昭和42年)7月21日 - 美土路昌一社長退任。後任に代表取締役専務取締役広岡知男が就任。
  • 1971年(昭和46年)7月21日 - 緒方竹虎の主筆解任以来空席となっていた主筆を、広岡知男社長が兼任。社長と主筆の兼務は朝日新聞社史上初。
  • 1973年(昭和48年)1月23日 - 大蔵省から土地交換により中央区築地5丁目2番25号、面積4645㎡を取得。同年2月12日、大蔵省から金銭により中央区築地5丁目2番1号、面積1万35㎡を購入。
  • 1977年(昭和52年)12月21日 ‐ 広岡知男社長兼主筆が会長に。後任社長に代表取締役副社長渡辺誠毅、主筆は空席。
  • 1979年(昭和54年)1月25日 ‐ 大阪本社創刊100周年。
  • 同年11月18日 - 第1回東京国際女子マラソン大会を開催。
  • 1980年(昭和55年)3月21日 - 広岡知男会長失脚。
  • 同年4月23日 - 東京本社が東京都中央区築地に新築移転。鉛活字を使わない電算写植新聞制作システム『ネルソン』導入。
  • 1987年(昭和62年)5月3日 - 兵庫県西宮市の阪神支局で記者殺傷事件が発生。「赤報隊」と名乗る者から犯行声明(未解決のまま2003年に時効成立)。
  • 1988年(昭和63年)5月17日 - 『AERA』創刊。
  • 同年6月 - 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞制作が終了。全本社が『ネルソン』に完全移行。
  • 同年7月10日 - 東京本社創刊100周年。
  • 同年10月14日 - 『ASAHIパソコン』創刊(2006年3月15日号をもって休刊)、ASAHIパソコンネット(現ASAHIネット)サービス開始。
  • 1989年(平成元年) - 『知恵蔵』創刊(2006年11月発売の2007年版をもって休刊)。
  • 同年 - 西部本社管轄の福岡総局(福岡市博多区博多駅前福岡朝日ビル)が「福岡本部」に格上げ。
  • 同年9月 - 富山県の管轄が大阪本社から東京本社に変更される[注 3]
  • 同年10月1日 - 朝日新聞社、日刊スポーツ新聞社テレビ朝日(当時の登記上正式社名「全国朝日放送」)、朝日放送(ABC)[注 4]が中心となって「株式会社衛星チャンネル」設立。通信衛星を利用したケーブルテレビ向けコンテンツ「衛星チャンネル(現・朝日ニュースター)」の番組配信を開始(1993年にスカイポートTVでの放送事業に昇格。1997年にパーフェクTV向けのデジタル放送開始)。
  • 1993年(平成5年)10月20日 - 東京本社社長応接室内で拳銃使用自殺事件[注 5]
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 東京本社拳銃発砲人質立てこもり事件。
  • 1996年(平成8年) - 西部本社の編集・新聞制作機能が福岡本部に移転。
  • 2001年(平成13年)1月1日 - 「報道と人権委員会」が発足[15]
  • 同年4月2日 - ヘラルド朝日創刊。
  • 2003年(平成15年)6月 - 西部本社が北九州市小倉北区砂津の旧社屋から同区室町のリバーウォーク北九州内に新築移転。
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 無料会員サービス『アスパラクラブ』開始。
  • 同年1月1日 - 南極支局を開設。
  • 2005年(平成17年)4月16日 - コンピュータ製作による新聞製作システムをメーンフレームの「ネルソン」から新メディア系システムに移行、経営営業系システム等と統合へ。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - ジャーナリスト学校発足。
  • 2007年(平成19年)4月 - 大阪本社のビル3棟(朝日新聞社と朝日ビルディングが所有)を建て替える「大阪・中之島プロジェクト」を発表。2009年に新朝日ビルディングを解体し、大阪本社新社屋やフェスティバルホールが入居する新ビルを建設し、2013年頃を目処にオープンさせる。大阪朝日ビル、朝日新聞社ビルに関しても、2010年代後半を目処にオフィスビルとして建設する[16]
  • 同年6月26日 - 秋山耿太郎社長の改革路線で、30年間空席となっていた主筆にCIA協力者リストに名前が挙がっている[17]船橋洋一を起用。
  • 同年9月末 - 解散した朝日ソノラマの出版物・事業・商標・債務を引き継ぐ。
  • 同年10月1日 - 朝日新聞社と読売新聞グループ本社日本経済新聞社の3社がインターネット分野における共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 島根県西部(石見地方)の管轄が西部本社から大阪本社に変更される。島根県内では元々大阪本社管轄であった県東部(出雲隠岐地方)と合わせ、全県が大阪本社管轄となる[注 6]
  • 同年4月 - 出版部門を分社し、株式会社朝日新聞出版を設立。
  • 同年6月6日 - テレビ朝日村山美知子から発行済株式の11.8%を取得して第4位の株主となり、朝日新聞社・テレビ朝日相互間での持ち合い関係を確立したと発表。同時に持ち合いによる議決権の相殺を防ぐため、朝日新聞社の保有するテレビ朝日株式を売却し、9月末までに保有比率を25%未満にすることが発表された[注 7]
  • 同年11月 - 2008年9月中間連結決算の最終損益が103億円の赤字に転落したと発表。2000年に中間決算公表を開始した後は初めてのこと。
  • 2009年(平成21年)5月 - 2009年3月期連結決算の最終損益が139億円の赤字に転落したと発表。1919年に株式会社化した後は初めてのこと。
  • 同年6月 - アカウント名「asahi」でTwitterへの投稿を開始[18]
  • 同年9月1日 - 朝日インタラクティブ株式会社を設立し、株式会社シーネットネットワークスジャパンが運営してきたCNET JapanZDNet Japanなどのサイト運営事業を継承。
  • 同年10月14日 - 中日新聞社と2011年春を目処に新聞の印刷で相互委託し合うことで提携したと発表[19]
  • 2010年(平成22年)1月18日 - 和歌山県夕刊紙である紀伊民報から記事の配信を受ける業務提携(同年4月1日から開始)に合意したと発表[20]
  • 同年3月31日 - 西部本社が大分県佐賀県の一部地域で行っていた朝夕刊セット制を廃止。これにより、西部本社管内に於いての朝夕刊セット地域は福岡県全域と山口県西部の一部のみとなった。
  • 同年5月1日 朝刊1部売りの値段を130円から150円に値上げ。夕刊1部売りと宅配の月ぎめ購読料は据え置き。
  • 同年5月27日 - ソニーKDDI凸版印刷、朝日新聞社の4社共同で電子書籍の事業企画会社を設立すると発表[21]。7月1日に電子書籍配信事業準備として発足し、11月24日に電子書籍配信事業会社「ブックリスタ」となった[22]
  • 同年6月- 45歳以上の早期退職者を募る「転身支援制度」の実施を決定。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 富山県の管轄が、東京本社から大阪本社に変更され、21年半ぶりに大阪発行に戻る[注 8]
  • 2011年(平成23年)5月18日 - 電子新聞「朝日新聞デジタル」創刊。
  • 2012年(平成24年)3月31日 - 朝日ニュースターの事業をテレビ朝日直営に一本化するため、運営会社「株式会社衛星チャンネル」の法人格消滅。これにより、朝日新聞社制作・提供番組は大幅削減される。
  • 同日 - 西部本社が福岡県と山口県の大部分で行っていた朝夕刊セット制を廃止、同本社の夕刊発行エリアは福岡市と北九州市及び山口県下関市の一部のみとなる。
  • 2012年(平成24年)10月13日 - 名古屋本社が土曜日付の夕刊を廃止。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 消費税の8%増税に伴い、月極購読料を朝夕刊セット4,037円、朝刊統合版3,093円に改定(1部売りは朝・夕刊とも変わらず)。同日、朝夕刊セットの読者向けに、特典電子版のサービスを開始。
  • 同年8月5日・6日 - 32年前の1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面に初掲載した吉田清治の証言にもとづき1990年代初めまでの計16回掲載した、慰安婦に関する記事は裏付けが得られず虚偽であったと特集報道[23]
  • 同年9月11日 - 木村伊量社長や取締役編集担当らが同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員は撤退と報じた事は誤報であったと訂正し謝罪会見。同年8月5日には慰安婦に関する吉田清治の証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないとの指摘があったが、この会見で付随して謝罪した[24]。また、二日後13日付け社説や1面コラムでも謝罪した[25]
  • 同年10月9日 - 朝日新聞の慰安婦報道の第三者委員会初会合。中込秀樹委員長、岡本行夫北岡伸一田原総一朗波多野澄雄、林香里東京大学大学院情報学環教授、保阪正康の委員計7名[26]
  • 同年10月11日 - 第三者機関「報道と人権委員会」(2001年発足)に吉田調書報道の審査・見解を求めた[27]
  • 同年10月14日 - 「信頼回復と再生のための委員会」発足。吉田証言、吉田調書、新聞ななめ読み掲載見合わせなど一連の問題うけた委員会。委員は江川紹子、国広正弁護士、志賀俊之古市憲寿、社内委員は上席執行役員飯田真也委員長ほか3名計8名[28]
  • 同年10月15日 - 第67回新聞大会で木村伊量社長は吉田調書記事の取り消しほか、吉田証言や新聞ななめ読み連載中止問題など一連の混乱を招き、新聞業界全体の信頼を大きく損なわせたと詫び謝罪した[29]
  • 同年12月5日 - 臨時株主総会と臨時取締役会を開き、従軍慰安婦報道や吉田調書記事などの責任をとり木村伊量社長の辞任を決定。渡辺雅隆が社長就任[30]
  • 2015年(平成27年)1月9日 - PC17台がコンピュータウイルスに感染し、社外との電子メールが漏洩したことが判明[31]
  • 2017年(平成29年)12月25日 - 「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」の記述を巡り文芸評論家小川榮太郎と出版元の飛鳥新社を名誉毀損として提訴した[32][33]
  • 2020年(令和2年)11月13日 - 労組との会合で、渡辺雅隆代表取締役が就任してからの6年間で朝日新聞の発行部数が185万部減少し、2020年度決算が創業以来の約170億円という大赤字に陥る見通しとなったことを発表し、渡辺雅隆代表取締役は経営責任を取って、2021年春に退任する意向を示唆した。また、2020年時点で約4,400人いる社員を、希望退職を実施するなどして約3,900人まで削減する考えを示した。
  • 2021年(令和3年)1月 - 勤続10年以上、45歳以上を対象に早期希望退職者を100名規模で募集を開始。3月末に111名の応募があった。[34]
  • 同年7月1日 - 月極購読料を朝夕刊セット4,400円、朝刊統合版3,500円に、1部売り料金を朝刊160円、夕刊60円にそれぞれ改定。改定自体は7年3ヶ月ぶりであるが、消費増税を伴わない改定は1993年12月以来、27年7カ月ぶりとなる。このことについて朝日新聞社は製作過程での合理化、人件費や経費節減、ならびに新型コロナウィルスの蔓延で販売・広告収入が減る一方で新聞製作コストは高くなっていること、深刻な人手不足などで戸別配達を維持することも難しくなってきたこと、新聞業界全体が同じような状況で、日本経済新聞社や読売新聞社など全国紙や地方紙が購読料をすでに見直す中での経営努力が限界に達したことを上げており、6月10日に社告と公式サイトで読者に通知した。
  • 2022年(令和4年)6月30日 - 21年度に続き勤続10年以上、45歳以上を対象に早期希望退職者を200名規模で募集を開始。21年度と異なり50歳未満の次長職以上も対象とした。全ての対象者への面談も実施され21年度のものよりも質・量ともに大規模なものとなった。
  • 2023年(令和5年)3月 - 南東北3県向けの朝刊を印刷してきた仙台工場を閉鎖すると発表。印刷は3月20日の朝刊から仙台市河北新報社に委託へ。
  • 同年3月 - 北海道の道東道北日高エリアの一部で、印刷・輸送、販売所からの代金回収などの業務を北海道新聞社とグループ会社である道新販売センター(同市厚別区)に包括委託を発表。印刷・輸送は3月20日付朝刊からその他の業務は4月1日から実施[35]
  • 同年5月1日 - 月極購読料を朝夕刊セット4,900円、朝刊統合版4,000円に、1部売り料金を朝刊180円、夕刊70円にそれぞれ改定予定[36][37]。同日、名古屋本社が平日の夕刊を廃止し、統合版(朝刊)のみの発行となる予定[36]
  • 同年7月末日 - 秋田・横手支局、茨城・つくば支局を閉鎖
  • 同年8月末日 - 大阪本社・経済部を廃止。東京・東部支局、東京・武蔵野支局、神奈川・横須賀支局、シンガポール支局、ブリュッセル支局、バグダッド支局を閉鎖
  • 同年9月末日 - 山形・酒田支局、青森・八戸支局を閉鎖。
  • 同年11月末日 - 石川・輪島支局、山口・岩国支局、宮崎・延岡支局を閉鎖。
  • 同年12月末日 - 千葉・柏支局、神奈川・相模原支局、長野・飯田支局を閉鎖。
  • 2024年(令和6年) 2月1日- 20255年春から、長野県全域の朝刊印刷を、信濃毎日新聞社に委託することを決定。対象地域の朝刊部数は2277千部(24年1月)。25年春の藤岡工場(日刊スポーツPRESS運営)の閉鎖に向けた対応。[38]
  • 同年2月7日- 北海道内の夕刊を3月末で休止すると発表。道内の夕刊発行部数は2月1日現在で約1万3000部。[39]

業績推移[編集]

連結決算(単位:百万円)
年度 売上高 営業利益 経常利益 当期純利益
2003年度 602,301 27,247 27,381 12,680
2004年度 613,033 29,781 33,870 19,291
2005年度 610,910 21,479 24,446 8,798
2006年度 598,415 20,888 26,593 11,554
2007年度 572,918 18,573 22,240 4,647
2008年度 537,278 3,425 △327 △13,914
2009年度 470,297 △4,098 △2,032 △3,346
2010年度 466,534 10,567 15,473 5,064
2011年度 476,179 9,286 12,841 16,350
2012年度 471,959 11,634 17,323 11,925
2013年度 469,522 9,889 16,979 12,848
2014年度 436,136 7,572 13,159 5,452
2015年度 420,069 12,088 18,805 3,945
2016年度 400,994 7,017 15,225 8,846
2017年度 389,489 7,874 15,922 12,020
2018年度 375,020 8,910 16,034 10,977
2019年度 353,608 2,393 13,085 10,688
2020年度 293,771 △7,031 △507 △44,194
2021年度 272,473 9,501 18,925 12,943
個別決算(単位:百万円)
年度 売上高 営業利益 経常利益 当期純利益
2003年度 406,146 20,740 19,595 9,220
2004年度 406,893 22,493 22,886 10,649
2005年度 402,387 15,336 15,734 4,006
2006年度 387,526 13,524 14,038 3,894
2007年度 376,901 12,392 13,833 5,662
2008年度 344,276 △1,071 673 2,770
2009年度 327,900 △7,126 △4,258 △3,125
2010年度 316,779 5,992 8,747 442
2011年度 311,851 3,900 5,282 10,855
2012年度 314,750 6,369 8,933 5,840
2013年度 313,514 5,747 8,344 5,891
2014年度 288,629 3,804 6,541 640
2015年度 274,827 7,885 11,109 3,003
2016年度 262,393 2,778 6,441 2,024
2017年度 255,272 3,553 6,952 5,264
2018年度 245,482 4,280 8,166 5,103
2019年度 239,647 189 3,634 15,148
2020年度 210,286 △7,406 △4,753 △45,887
2021年度 188,198 7,940 10,990 6,054

主な出版物[編集]

新聞以外の雑誌・定期刊行物・書籍に関しては、2008年(平成20年)4月1日付で新会社「朝日新聞出版」を設立し、業務を移管した。また、朝日小学生新聞朝日中高生新聞(旧『朝日中学生ウイークリー』)については、子会社の「朝日学生新聞社」が発行している。

発行紙[編集]

朝日新聞[編集]

対象エリア
朝日新聞サービスアンカー(ASA)

その他[編集]

雑誌・定期刊行物[編集]

ちなみに、週刊アサヒ芸能は同社ではなく、徳間書店の雑誌である(同誌の旧名は徳間の由来にあたる新聞「アサヒ芸能新聞」)。

書籍・文庫[編集]

グループ会社[編集]

2022年9月現在[40]

新聞・出版・ウェブ[編集]

広告[編集]

折込広告[編集]

  • 株式会社朝日オリコミ(東京)
  • 株式会社朝日オリコミ大阪
  • 株式会社朝日オリコミ西部
  • 株式会社朝日オリコミ名古屋
  • 株式会社朝日サービス(札幌)

印刷・発送[編集]

販売[編集]

  • 朝日新聞販売サービス株式会社
  • 朝日トップス株式会社
  • 株式会社朝日販売サービスセンター(大阪)
  • 株式会社朝日サポートセンター(名古屋)
  • 株式会社朝日販売サービス(福岡)
  • 株式会社新販(大阪)

民間放送局[編集]

海外現地会社[編集]

  • Asahi Shimbun International Inc.(ニューヨーク社)
  • Asahi Shimbun International Pte.Ltd.(シンガポール社)

旅行[編集]

不動産・ビル管理[編集]

業務支援・人材サービス[編集]

その他[編集]

上場会社への出資状況[編集]

括弧内には2022年3月31日現在の発行済株式総数に対する所有株式数の割合を示す。

支配下にある基幹放送事業者[編集]

マスメディア集中排除原則において「支配」に当たる10%を超える議決権を有しているものとして公表されている地上系基幹放送事業者は以下のとおりである[47]

  • 北海道テレビ放送株式会社
  • 青森朝日放送株式会社
  • 株式会社岩手朝日テレビ
  • 株式会社東日本放送
  • 秋田朝日放送株式会社
  • 株式会社山形テレビ
  • 株式会社福島放送
  • 株式会社新潟テレビ21
  • 長野朝日放送株式会社
  • 北陸朝日放送株式会社
  • 株式会社静岡朝日テレビ
  • 名古屋テレビ放送株式会社
  • 株式会社広島ホームテレビ
  • 山口朝日放送株式会社
  • 株式会社愛媛朝日テレビ
  • 九州朝日放送株式会社
  • 長崎文化放送株式会社
  • 熊本朝日放送株式会社
  • 大分朝日放送株式会社
  • 株式会社エフエム宮崎
  • 株式会社鹿児島放送
  • 琉球朝日放送株式会社

スポーツ事業・棋戦など[編集]

文化事業[編集]

提携メディア[編集]

契約通信社[編集]

特約海外新聞[編集]

日本国内の提携新聞社[編集]

朝日新聞社はここ数年、全国の地方新聞社や、同じく全国紙を発行する読売新聞社日本経済新聞社と新聞印刷業務で相互委託契約を結んでおり、下記に示すとおり、遠隔地の新聞輸送の時間短縮・コスト削減に務める傾向にある。

特に北陸地方は、2011年3月31日付以前は輸送距離の都合上、富山県東京管轄(印刷は北名古屋市名古屋本社の工場)で、石川県福井県大阪管轄(印刷は京都市の大阪本社の工場)という変則的なものだったが、同年4月1日から富山・石川版は金沢市北陸中日新聞工場への委託印刷が開始(福井はこれまで通り京都工場製作)され、管轄も大阪本社に統一された。逆に、中日新聞系の東京新聞東京中日スポーツについて、神奈川県川崎市周辺地域向けの新聞を関連会社の朝日プリンテックの工場で印刷するようになった。

業務提携[編集]

産学連携[編集]

航空部[編集]

朝日新聞社の『あさどり』(MD902
朝日新聞社の『あすか』(セスナ サイテーション

多くの報道機関では報道用航空機の運用は朝日航洋などの航空事業者に委託しているが、朝日新聞社では美土路昌一(後の全日本空輸社長)や中野勝義(後の全日本空輸副社長)などにより、1926年に自前の航空部を発足させており[51][52][53]、現在でもヘリコプター4機(MD902AW109 SPなど)とビジネスジェット1機(セスナ サイテーション)を羽田空港、伊丹空港、福岡空港に待機させている。なお、パイロット自社の養成は行っておらず、有資格者を採用している[54]

全国高等学校野球選手権大会開幕試合の始球式でボールを投下するのも自社のヘリコプターである[55][56]

事業は報道のみで旅客や貨物の輸送は行わないが[注 13][注 14]、朝日カルチャーセンターの企画などで格納庫の見学会を開いている[56][57]

不祥事[編集]

記事の捏造・誤報については「朝日新聞#問題・疑義が持たれた報道」を参照。

  • 1941年(昭和16年)10月14日にゾルゲ事件の首謀者の一人として逮捕された記者の尾崎秀実は、絞首刑に処されている。ソ連のスパイとして働いた功績により、ソ連政府から勲章と表彰状を受けたとされる。
  • 1971年(昭和46年)8月21日、陸上自衛隊朝霞駐屯地に侵入した大学生2人が警衛任務中の歩哨を殺害した事件。朝日ジャーナル記者川本三郎は、犯人グループが侵入の際に使用した自衛官の制服や歩哨から奪取した「警衛」腕章を受け取った。制服や腕章は後に川本の同僚記者の妻に焼却させた(朝霞自衛官殺害事件)。
  • 1980年(昭和55年)5月11日午後10時45分頃、酒に酔った朝日新聞記者が富坂警察署の署長公舎に侵入、就寝中の同署長を足蹴りした上、馬乗りになって暴行、当該記者は逮捕された[58][59][60][61][62][63]
  • 1981年(昭和56年)2月16日、ホテルニューオータニで開かれた大手建設会社役員の懇親会「経友会」の会場に鹿島建設副社長が入ったところ、見知らぬ若い男が座っていた。副社長が「どちらの人か」と尋ねたところ、男は「朝日の記者です」と答えた。副社長が「どこの部か」と質すと、「社会部で、飛鳥建設の会長に会いたい」と答えた。副社長が男に名刺を求めると、男は「車の中にあるので、とってくる」と会場を出たが、その後戻ってこなかった。不審に思った関係者が会場を調べたところ、テーブルの下から盗聴器が見つかった。当該記者は退社処分となった[64][65][66][67][68][69]
  • 2004年(平成16年)4月、私立医科大の補助金流用問題で、社会部記者と生活部記者が関係者を取材した。この際、「録音しない」と約束しながら、社会部記者がミニディスクに無断録音し、後日録音内容を関係者に批判的な別の取材先に渡したことが発覚した。朝日新聞社は社会部記者を退社処分、生活部記者を減給処分とした[70][71]
  • 2007年(平成19年)9月12日付のJ-CASTニュースで、朝日新聞社内部(asahi-np.co.jp)からウィキペディア日本語版筑紫哲也など約820件の記事項目が大量に修正されていた事が報道され、その後9月11日に朝日新聞全社員に対して注意喚起が行われた。なお、J-CAST側が朝日新聞社の広報担当者に取材したところ、「社内規定で社内のネットワーク(社内LAN)の業務外使用をかねてより禁止している」と返答した[72]
  • 2009年(平成21年)3月31日、前日に2ちゃんねる運営が朝日新聞社のドメイン(asahi-np.co.jp)からの書き込みを規制していた事が発覚した[73]。同掲示板の鉄道路線・車両板のスレッドにおいて、意味不明の連続書き込みによって2ちゃんねるの運営を妨害したのが主な理由であった。また、その書き込みには精神障害者や経済的弱者、被差別部落民らに対する差別を助長する書き込みも多数含まれていた[74]。この事件について、朝日新聞社が調査を行い、東京本社編集局の校閲センター員(当時49歳)が行ったことを突き止め、厳正な処分を行うと発表した[75]
  • 2012年(平成24年)11月4日、朝日新聞中国語版の公式微博アカウントで、石原慎太郎の写真と共に「要骂请骂"小鬼子"」とコメントがなされた。これは「細野豪志大臣の『日本を小日本と罵らないように』という中国への要望」に対するコメントであり、日本語に訳すると「小鬼子と呼んでほしい」という意味である。「日本鬼子」が日本人に対する最大級の蔑称とされる事もあり、翌日11月5日に同アカウントで「我々のコメントは石原慎太郎氏とは何の関係もありませんし、悪意もありません」との表明を行い[76]、「(小鬼子という言葉は)中国本土では現在は、若い世代を中心に批判的なニュアンスが以前より薄れています。(中略)ただ、批判的なニュアンスが弱いとはいえ、『小鬼子』という言葉を使ったことは、軽率でした」と釈明した[77]
  • 2013年(平成25年)5月13日、保守系団体「沖縄対策本部」が議員会館で「沖縄県祖国復帰41周年記念議員会館学習会」を開いた際、会場にて何者かが許可無く勝手に「ヨクキク強力除鮮液チョンキール」[注 15]「日韓断交」などとデザインされたステッカー[78]を持ち込んで販売しようとした[79]。会場内での物品の販売は禁止されており販売は差し止められたが、朝日新聞社会部の石橋英昭記者がツイッターで、会議室を借りた世話人の西銘恒三郎議員がこのような行為を推奨しているかのようなツイートをしたため、西銘の事務所に多数の抗議が寄せられた。「沖縄対策本部」の代表は事実誤認であるとして朝日新聞社に強く抗議し、朝日新聞社からの西銘に対する公式な謝罪を要求。その後、石橋は問題のツイートを削除し「誤解を招く表現があり、関係者にご迷惑をおかけした」と謝罪ツイートした。また、朝日新聞社は石橋の上司から西銘の事務所に謝罪の電話を入れた[80]
  • 2013年(平成25年)6月25日、パソコン遠隔操作事件において朝日新聞社と共同通信社の複数の記者が、「真犯人」を名乗る人物が犯行予告などを送信するのに使ったフリーメールのサーバーに、パスワードなどを不正に入力してアクセスしたとして、不正アクセス禁止法で書類送検されることが分かった。共同通信社は同年4月時点でアクセス行為を認め、「真犯人に近づく目的だったが、取材上、行き過ぎがあった」としていた。また、警察発表後に「形の上では法律に抵触する可能性がありますが、事件の真相に迫るための取材行為だったことを捜査当局に説明し、理解してもらえたと思います」とした。朝日新聞社は「正当な取材の一環で、法律上も報道倫理上も問題ないと考えます。手続き上、書類送検されることになりますが、本社は弁護士を通じ、正当な業務だったとする見解を警視庁に伝えています」とした[81]。本件はその後、起訴猶予処分が下され、不起訴となった[82]
  • 2013年(平成25年)7月20日にニコニコ生放送で放映された「維新なチャンネル 〜橋下徹代表も出演〜 投票前夜スペシャル 」の放送中、出演していた橋下徹松井一郎は、放送前日の7月19日に京都市役所前で行われた日本維新の会の選挙演説中、京都総局の政治記者が警備スタッフに対し、街宣車への接近を要求した上で、朝日新聞の名称を出して恫喝していたと主張している[83]
  • 2015年(平成27年)8月2日、冨永格特別編集委員が自身のツイッターに、インターネット上に流れていたナチス・ドイツの旗や旭日旗を掲げたデモの写真とともに「東京での日本人のナショナリストによるデモ。彼らは、安倍首相と彼の保守的な政権を支持している」と英語とフランス語で書き込んだ。その後、冨永はツイートを削除し、「嫌韓デモに参加する人たちには安倍首相の支持者が多いという趣旨でしたが、英語ツイートに『一般的に』の言葉が抜けていましたので、彼らがこぞって首相を支持しているかの印象を与えるツイートになってしまいました。失礼しました」と釈明、謝罪した。また、朝日新聞社からの指示で改めておわびをツイートした[84][85]。朝日新聞社は8月5日の朝刊におわび記事を掲載するとともに、冨永を「公認記者」(社名などを名乗ってツイッターを利用できる)及びコラム「日曜に想う」執筆者から外すことを表明した[86]
  • 2020年(令和2年)3月13日、小滝ちひろ編集委員が、自身のTwitterで「(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」と投稿し、非難が殺到。後にこの投稿と自らのアカウントを削除したためにさらに炎上することとなった。同日、朝日新聞社はこの投稿について「著しく不適切な内容であった。本人も反省している」と謝罪した[87]。このツイッターアカウントは朝日新聞社が公認したものであった[88]
  • 2020年(令和2年)5月20日、新型コロナウイルス感染症流行拡大に伴う緊急事態宣言が出されていた5月1日夜から2日未明と13日に、東京高等検察庁検事長(当時)の黒川弘務が、産経新聞の記者2人と朝日新聞の元記者とともに、産経記者の自宅で賭け麻雀をしていた疑いがあると「週刊文春」が報じた[89][90][91][92]。5月29日、朝日新聞社は、麻雀に参加していた当時、経営企画室の管理職だった社員を停職1ヵ月とする処分を決めるとともに、管理責任を問い、上司の福島繁執行役員経営企画室長を譴責処分とした[93][94][95][96]
  • 2020年(令和2年)6月26日、南日本新聞と朝日新聞の記者2名らの行為が強要罪に当たる疑いがあるとして、屋久島町の住民が4月20日に警察に提出していた告発状が受理された。記者2名らは、4月に屋久島町の旅行代理店の所長を務めていた男性を呼び出し、大声で怒鳴りつけるなどして、男性が町役場に便宜を図る目的で実費より高い額を領収書に意図的に記入したなどとの主張を認めるコメントをするよう強要した疑いがあるとしている[97][98]
  • 2020年(令和2年)12月18日、朝日新聞フォトアーカイブのアカウントがTwitterに「1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真」とのコメントともに、女性たちが道を埋め尽くす写真を投稿した。これに対して、写真の不自然さを指摘する声がTwitterユーザーから続出し、同アカウントは翌19日、「戦争中に撮影され、写真に不自然な点がありました。確認不足、説明不足のまま掲載してしまいました」と謝罪した[99]。また、12月21日、朝日新聞社は「写真を検証した結果、戦時中に撮影し合成された写真と判断しました。当時の様子を伝える写真として、この写真を選んだことは極めて不適切でした」との謝罪文を公式サイト上に掲載した[100][101][102][103]
  • 2023年(令和5年)6月23日、中野市4人殺害事件の容疑者が自宅に立てこもった際、敷地中に無断で立ち入ったとして、東京本社映像報道部の男性写真記者が住居侵入容疑で長野県警察に書類送検された。県警は起訴を求める「厳重処分」の意見を付けた。送検容疑は5月26日未明、男宅敷地内に約10分間無断で侵入した疑い。当時、男は自宅に立てこもり、県警は男宅から半径約300メートル以内を避難区域に指定して立ち入りを規制していたが、この写真記者はこの約1時間前にも避難区域に侵入し、捜査員から職務質問を受けていた[104][105]

関連団体[編集]

関係者・出身者[編集]

関係のある主要な写真家

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1919年(大正8年)に株式会社化して以来、「村山家」(初代当主 村山龍平紀州藩出身の士族だが、娘の藤子の結婚相手として、岸和田藩藩主の岡部家(子爵)から村山長挙を婿養子にした。その岡部家に連なるのが、三菱財閥創業家「岩崎家」である。長挙の実兄は、創業者岩崎弥太郎の娘婿の加藤高明の娘と結婚、さらに末弟は岩崎本家直系と結婚した。村山家を裏から支えてきた岡部家の当主、岡部長職は、鳩山和夫(鳩山家初代当主)とともに、1875年(明治8年)、第一回官費留学生としてイェール大学ブッシュ親子の母校であり、二人が入会していた秘密結社スカル・アンド・ボーンズ」がある)に留学している。岡部と鳩山が同大学で学んでいたのは、アメリカ憲法と国際関係法だった)で4割強、「上野家」(初代当主 上野理一:実兄が豊田善右衛門といい、三井財閥で、当時の主力輸出商品、生糸を生産する三井系店の当主(社長)をしていた)で2割強、合わせて7割近くの株が両家によって保有されてきた[7]
  2. ^ 資本金150万円。株主は村上龍平/藤子、上野理一/清一などで、村山家が全体の58%、上野家が30%、そして社員が12%を所有していた。
    定款22条「株主総会は本社発行の新聞紙の記事論説に干渉することを得ざるものとす」は、白虹事件を機会に書かれたもので、現在にも継承されている。 奥村宏 『徹底検証 日本の五大新聞』 七つ森書館 2009年3月 P 38-39
  3. ^ 輸送上の問題による。ただし、2011年4月から中日新聞北陸本社が石川・富山両県で発行される分の印刷を受け持つことになった(いわゆる、受託印刷。なお、福井県で発行される分については2011年4月以降も京都工場で印刷)関係から大阪本社管轄に戻った
  4. ^ a b c d e f g 1951年3月15日に朝日放送(ABC)として会社設立。同11月11日にラジオ単営局として開局。1959年6月に大阪テレビ放送(OTV)を合併しラジオ・テレビ兼営局となる。2018年4月に朝日放送グループホールディングスへと社名変更・放送持株会社化し、ラジオ放送業務は朝日放送ラジオ(ABCラジオ)、テレビ放送業務は朝日放送テレビ(ABCテレビ)としてそれぞれ子会社の運営に移行。アナウンサーの配属先はABCテレビに移行した。
  5. ^ 野村秋介
  6. ^ なお、石見地区に発送される大阪本社発行版は2008年4月1日以降も従来通り、西部本社管轄の朝日プリンテック北九州工場で印刷されていたが、2010年4月5日からは広島県廿日市市中国新聞社広島制作センターでの印刷に変更された。
  7. ^ この時点での株保有状況を括弧内の2007年3月時点のものと併記する。
    村山美知子 - 14.61%(36.46%)
    上野尚一 - 12.82%(12.82%)
    朝日新聞社従業員持株会 - 12.67%(12.03%)
    テレビ朝日 - 11.88%(0%)
    香雪美術館 - 9.97%(0%)この増加は村山美知子からの寄付。これに対しテレビ朝日の株主構成は下記の通りである。株式持ち合いをするようになったのが分かる。
    朝日新聞社 - 28.85%(33.85%)
    東映 - 16.09%(16.09%)
    香雪美術館 - 5.00%(0%)
    みずほ信託退職給付信託大日本印刷口 - 4.01%(4.01%)
    九州朝日放送 - 3.20%(3.20%)
    奥村宏 『徹底検証 日本の五大新聞』 七つ森書館 2009年3月 P 40
  8. ^ 富山県・石川県の新聞を石川県金沢市にある北陸中日新聞の工場に委託印刷されることによるもの。
  9. ^ 1989年9月〜2011年3月までは東京本社管轄
  10. ^ フランスインターナショナル・ヘラルド・トリビューンと提携した英字紙。
  11. ^ 1950年から1976年まで朝日新聞社単独主催、その後毎日新聞社単独主催を経て、2007年からは毎日新聞社との共催となった。
  12. ^ ただし、中日新聞社との提携が発表された当初は、福井県向けの新聞についても印刷を委託させる予定だった(福井県向けの印刷委託が見送られた理由については不明)
  13. ^ 他の報道機関からの依頼により、有償で航空取材を受託するケースはある。
  14. ^ なお、航空部に在籍していた元社員らが中心となり、戦後に民間航空会社の日本ヘリコプター輸送を設立。後に全日本空輸(現在のANAホールディングス)に発展した。
  15. ^ 大日本除虫菊・キンチョールのホーロー看板のコラージュ

出典[編集]

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参考文献[編集]

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外部リンク[編集]