望月千代女

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望月 千代女(もちづき ちよめ、もちづき ちよじょ)は、実在しない戦国時代の女忍者。通俗書では実在とすることもあるが、実際は千代女に関する文献は1971年までしか遡れない吉田11:p282。初出はライターの稲垣史生が書いた『考証日本史』(1971年、人物往来社、当時)である吉丸17:p282

虚説の広がり[編集]

「千代」という名称それ自身は中山太郎の『日本巫女史』(大岡山書店、1930年)に見られるが、ここには「千代女房」なる巫女が巫女村を作ったという趣旨の記述があるだけで中山、千代が忍者であるといった記載はない吉丸17:p284中山

「望月千代女」に関する記述の初出はライターの稲垣史生が書いた『考証日本史』(1971年、人物往来社、当時)である吉丸17:p282。稲垣の本は前述の中山の本を種本としていると見られ吉丸17:p284、中山の本の記述を引用したり吉丸17:p284、この本の間違いをそのまま引き継いでいたりする吉丸17:p284

望月千代女の名が広まったきっかけは1991年の歴史読本臨時増刊号『決定版「忍者」の全て』で名和弓雄が千代女の伝記と称する2ページの記事を載せたことによる吉丸17:p285。(この雑誌の同号では丹野史良も千代女について述べている吉丸17:p285)。なお、この記事において名和は千代女が上忍であった旨を述べているが、そもそも忍びの者には「上忍・中忍・下忍」という名称の階層区分は存在しない吉丸17:p285

千代女は2012年から展開しているスマートフォンゲーム『パズル&ドラゴンズ』に採用され吉丸17:p281、虚説はさらなる広がりを見せる事になった。

稲垣の主張[編集]

稲垣の『考証日本史』において、千代女の記述があるのは第13章「武田信玄と巫女村」である吉丸17:p282。稲垣は同章で

  • 第4次川中島の合戦の局所戦を詳細に述べ、
  • 望月千代女の夫とされる望月盛時がそこで討ち死にし、
  • 望月盛時が討ち死後、武田信玄が千代女に朱印状(免許状)を渡し、それが巫女村が生まれた機縁になり、
  • 巫女達は諜報活動をし、
  • 望月千代女も影で忍者として活動した

としている吉丸17:p282

史実[編集]

稲垣の著書の同章の内容もほとんど憶測だけで書かれており吉丸17:p282、実際には、

  • そもそも第4次川中島の合戦の局所戦を詳細に述べた文献は存在しない吉丸17:p282
  • 望月盛時はこの合戦では討ち死していない吉丸17:p284。なお、望月盛時の討ち死に関する間違いは、中山による種本で間違ったものを稲垣が引用したものである吉丸17:p284
  • 信玄の免許状は所在不明である吉丸17:p284。また一般論として免許状には偽物が多いため再検証が必要である吉丸17:p284
  • 巫女が諜報活動をしたというのは憶測に過ぎない吉丸17:p284
  • 前述した中山による種本にも「女忍者」、「忍び」といった言葉は登場せず、全て稲垣の憶測である吉丸17:p284

である。

なお、本項の旧バージョンには千代女が色香で男を惑わして情報収集した旨が書いてあったが吉丸17:p284、中山や稲垣の本にすらそのような事は書かれていない吉丸17:p284

文献[編集]

参考文献[編集]