服部達

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服部 達(はっとり たつ、1922年大正11年)2月13日 - 1956年昭和31年)1月1日)は日本文芸評論家

第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科卒業。1954年(昭和29年)、奥野健男日野啓三清岡卓行村松剛島尾敏雄遠藤周作吉本隆明たちと「現代評論」を創刊。同年「新世代の作家たち」を発表。1955年(昭和30年)、評論「われらにとって美は存在するか」を「群像」に連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。

しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年(昭和31年)1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。睡眠薬を服用の上、雪山の中に深く分け入り、凍死を遂げた。当初は行方不明と思われたが、約半年後に小海線鉄橋近くで遺体が発見された。

死後、安岡章太郎、遠藤周作、村松剛の尽力により、遺稿集『われらにとって美は存在するか』(1956年)が審美社から公刊された。安岡は、服部の死を題材にして、小説『舌出し天使』を書いた[1]

著書[編集]

  • 『われらにとって美は存在するか』審美社、1956 のち講談社文芸文庫(勝又浩編) 

翻訳[編集]

  • メアリ・ジェーン・ワード『蛇の穴』岡倉書房 1950
  • J.M.モーリス『帝国ホテル』コスモポリタン社 1954
  • マージェリー・アリンガム『幽霊の死』早川書房 1954

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  1. ^ 中公文庫『舌出し天使』の解説で日野啓三は「最後の雪山での凍死行も、…服部達の行動を安易に借りたような気配も強い。…生前の服部達を多少知っている私は、全然といっていいほど、この作品の「僕」に服部達を感じなかった」と書いている。

関連項目[編集]