最高国務会議 (中華人民共和国)

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最高国務会議(さいこうこくむかいぎ)は、1954年9月の中華人民共和国憲法(1954年憲法)制定から、1975年1月の同憲法改正まで、中華人民共和国に存在した国家機関。国家元首である中華人民共和国主席(国家主席)の下に設置され、国家の重大問題を協議した。

概要[編集]

1954年憲法第43条によると、最高国務会議は必要に応じて国家主席が招集するとし、国家主席が最高国務会議の議長を務めることが定められていた。国家の重大事項に対する最高国務会議の意見は、国家主席によって全国人民代表大会全国人民代表大会常務委員会国務院およびその他の関係部門に提出され、各機関で討議の上、決定された。最高国務会議の性格・職権に関する憲法上の規定は上記のみであり、会議の内容および結果が発表されることがほとんどなかったため、最高国務会議の性格・職権については具体的なことはわかっていない。日本の中国政治研究者である毛里和子は、最高国務会議の召集がかなり恣意的であること、構成員が一定していないことから、最高国務会議は国家主席の諮問機関であるが、恣意的で非制度的なものであったと指摘する。

構成員[編集]

憲法上の規定によると、国家主席を議長とし、国家副主席・全人代常務委員長・国務院総理(首相)およびその他の関係者が最高国務会議に参加する。定員は一定ではなく、1000人を超えるときもあれば、60人だったりすることもあった。

招集[編集]

国家主席が必要と認めたときに招集される。最高国務会議が設置されていた期間の国家主席は毛沢東(国家主席在任:1954年 - 1959年)と劉少奇(国家主席在任:1959年 - 1968年)の2名であり、通算20回招集されている。

毛沢東[編集]

毛沢東は国家主席在任中に15回、最高国務会議を招集している。なかでも1957年2月末の最高国務会議は、毛が「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」と題する重要講話を行い、「百花斉放・百家争鳴」の加速を呼びかけたことで知られている。

劉少奇[編集]

劉少奇は国家主席在任中に5回、最高国務会議を招集している。いずれも、全人代への報告の準備など実務的なものであった。なお1965年以降は最高国務会議が開催された形跡がない。

終焉[編集]

1966年に発動された文化大革命によって中国の国家機構はマヒした。1968年の劉少奇失脚によって国家主席は空席となり、1975年1月の憲法改正によって廃止された。これに伴い、最高国務会議も廃止となった。国家主席職は1982年の憲法改正で再設置されたが、最高国務会議が復活することはなかった。

参考文献[編集]

  • 毛里和子『新版 現代中国政治』(名古屋大学出版会、2004年)