曽田雄志
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名前 | ||||||
愛称 | ミスターコンサドーレ | |||||
カタカナ | ソダ ユウシ | |||||
ラテン文字 | SODA Yushi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年7月5日(46歳) | |||||
出身地 | 北海道札幌市 | |||||
身長 | 181cm[1] | |||||
体重 | 78kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | 札幌南高校 | |||||
1997-2000 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2009 | コンサドーレ札幌 | 232 | (20) | |||
アンフィニVANKEI.FC | ||||||
通算 | 232 | (20) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
曽田 雄志(そだ ゆうし、1978年7月5日 - )は、北海道札幌市生まれの元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、後ディフェンダー。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌職員。
大学卒業後に加入して以来9年間に渡って一貫して同クラブに在籍し、特に2002年以降のチームの波瀾万丈の中に常に身を置き続けたことから「ミスター札幌」[2]「ミスターコンサドーレ」[3] と呼ばれたほか、時折見せる(良くも悪くも)神憑り的なプレーからサポーターからは「ソダン」(ジネディーヌ・ジダンにちなむ)、「ネ申」(神)の愛称でも親しまれた。
来歴
[編集]小学校4年生のときにもみじ台西小学校でサッカーを始める[4]。北海道札幌南高等学校卒業後、1997年に一般入試で筑波大学体育専門学群へ入学。3年生からフォワードのレギュラーポジションを獲得、4年生のとき関東大学リーグでベストイレブンとなったほか、全日本大学選抜にも選ばれた。筑波大学の同期には羽山拓巳、小野隆儀らがいる。
2001年1月19日、J1に昇格したばかりのコンサドーレ札幌に加入。当初はフォワード登録だったが、2002年シーズンに入るとディフェンダーとして起用され、シーズン中盤からはフォワードとしても出場した[4]。2002年11月30日に開催された同年度J1セカンドステージ第15節、サンフレッチェ広島戦でハットトリックを達成した[5]。
2005年は一時池内友彦にレギュラーを奪われることもあった。しかし徐々にDFとしての経験を積み、2007年にはブルーノ・クアドロスとコンビを組み、ブルーノ欠場中も安定感を見せるとともに自己最多となる7得点を挙げた。しかし同年腰、膝を故障して以降試合出場数は減少していった[2]。
2008年4月2日に札幌ドームで行われた対川崎フロンターレ戦(J1第4節)では交代枠を使い切った後にゴールキーパー高木貴弘がレッドカードを受けた際にゴールキーパーを務め、全ポジションでの公式戦出場を経験した[6]。
2009年11月17日、コンサドーレ公式HPにて、現役引退を発表。11月29日、札幌ドームでの対横浜FC戦ではフォワードとし途中出場し、1得点を決めた[7]。
2010年1月29日、コンサドーレ札幌アドバイザリースタッフに就任することが発表された[8]。
2011年6月7日、川でおぼれている男性を救助した[9]。
2016年より、ノルディーア北海道の代表に就任[10]し、2019年シーズンをもって退任した[11]
プレイスタイル
[編集]中学校卒業まではトップ下兼ボランチ、高校ではボランチとMF一筋だった。 大学2年生時に監督からFW転向を命じられて才能が花開き、Jリーガーとなった。 DFにコンバートされたのがプロ入り後で、ディフェンスラインの統率や、相手のプレッシャーがかかった場面でのボールの扱いは不安定であった。しかし、幼稚園の時に跳び箱13段を跳んだ[4] というジャンプ力を生かした空中戦での強さがあった。 2006年、2007年のJ2リーグでは、2年連続で空中戦ランキングでリーグトップ(J-STATS OPTAによる)を記録している[要出典]。
セットプレイの際に前線に上がることが多い。2005年は彼が前線で相手DFをひきつけて、シャドーストライカーのように飛び出した池内が点を決めることが多かった。また劣勢時の試合終盤にFWとしてプレイすることがあり、「ソダン大作戦」と呼ばれた[4][12]。
引退後の活動
[編集]引退後は、コンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフおよびサポーターズ持株会の理事に就任(いずれも2010年~)。また、現役時代から「人格者」として評判が高く、引退後はその特性を生かして企業、行政、教育機関での講演講師を多く務めている。その他、札幌市シティプロモート戦略会議のメンバーに名を連ねる(2010年〜)など、その活動は多岐に渡る。
2011年3月の東日本大震災後、被災地支援の活動を開始。アスリートが持つ「忍耐力」「向上心」「献身性」という精神が復興への強い力になると信じ、アスリートに声掛けを実施。2011年4月にアスリート19名の賛同を得て支援団体「EN project Japan」を設立し、代表に就いた。同団体では、募金活動を始めとしたチャリティーイベントの開催、アスリートによる被災地訪問など、継続的な支援活動を行なっている。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 筑波大 | 15 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2001 | 札幌 | 23 | J1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 |
2002 | 18 | 23 | 4 | 6 | 0 | 1 | 0 | 30 | 4 | ||
2003 | J2 | 38 | 4 | - | 3 | 1 | 41 | 5 | |||
2004 | 4 | 38 | 2 | - | 4 | 0 | 42 | 2 | |||
2005 | 40 | 1 | - | 1 | 0 | 41 | 1 | ||||
2006 | 35 | 1 | - | 5 | 0 | 40 | 1 | ||||
2007 | 45 | 7 | - | 0 | 0 | 45 | 7 | ||||
2008 | J1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
2009 | J2 | 1 | 1 | - | 0 | 0 | 1 | 1 | |||
VANKEI | 36 | - | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 35 | 4 | 7 | 0 | 2 | 0 | 44 | 4 | |
日本 | J2 | 197 | 16 | - | 13 | 1 | 210 | 17 | |||
日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
総通算 | 232 | 20 | 7 | 0 | 16 | 1 | 255 | 21 |
- Jリーグ初出場 2001年6月16日 J1 1st 第11節 vs名古屋グランパスエイト (札幌厚別公園競技場)[1]
- Jリーグ初得点 2002年9月15日 J1 2nd 第 3節 vsヴィッセル神戸 (札幌ドーム)[1]
著作
[編集]- 『生きているから生きてゆける』 (エイチエス2010) ISBN 4903707237/電子書籍版(Dopub)
注釈
[編集]- ^ a b c d 登録選手一覧表 Jリーグ 2009.12.06
- ^ a b “「ミスター札幌」さようならDF曽田 堅守支え激闘9年”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2009年11月26日). オリジナルの2009年11月29日時点におけるアーカイブ。 2010年10月3日閲覧。
- ^ “9年在籍“チームの顔”曽田が引退表明”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年11月18日). オリジナルの2009年11月21日時点におけるアーカイブ。 2010年10月3日閲覧。
- ^ a b c d “抜群の身体能力 DF転向2年目の曽田”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2003年9月3日)
- ^ 曽田の3点目は延長戦前半9分に挙げたものであり、ゴールデンゴール制度によりコンサドーレ札幌は5-4で広島に勝利した。翌12月24日に開催されたJリーグ理事会において、2003年度からのJ1リーグ戦における延長戦が廃止されたため、結果としてこのゴールはJ1リーグ戦で最後のゴールデンゴールとなった。延長戦廃止については“2003年度よりJ1リーグ「延長Vゴール」をやめ、「90分での引き分け」を導入”. Jリーグニュース No.89. 日本プロサッカーリーグ (2002年12月27日). 2010年10月3日閲覧。を参照のこと。
- ^ “札幌はDF曽田がGK代役も敗戦/J1”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2008年4月2日)
- ^ “札幌DF曽田、涙の引退ゴール”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2009年11月30日)
- ^ 曽田雄志氏がコンサドーレ札幌アドバイザリースタッフに就任 - コンサドーレ札幌公式サイト 2010年1月29日付ニュースリリース
- ^ “元Jリーガー、川から男性救助=800メートル走って追跡-札幌”. 時事ドットコム (時事通信社). (2011年6月7日)[リンク切れ]
- ^ “元コンサドーレ札幌 曽田雄志氏 球団代表就任のお知らせ”. http://www.norddea.jp/ (ノルディーア北海道). (2016年1月13日)
- ^ “曽田球団代表 退任のお知らせ”. http://www.norddea.jp/ (ノルディーア北海道). (2020年1月15日)
- ^ 【J2:第22節 札幌 vs 京都 レポート】途中出場後わずか5分でアレモンが京都に勝利をもたらす。札幌は曽田を前線に上げる「ソダン大作戦」を見せるも不発 - J's GOAL、2005-07-16
外部リンク
[編集]- 曽田雄志 - Soccerway.com
- 曽田雄志 - FootballDatabase.eu
- 曽田雄志 - WorldFootball.net
- 曽田雄志 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 曽田雄志 - J.League Data Siteによる選手データ
- 不易流行 (コンサドーレ札幌オフィシャルブログ)
- 曽田雄志の文化向上委員会 (北海道ファッションウェブ)
- EN project Japan