曼殊院本古今和歌集

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曼殊院本古今和歌集 第3・4紙

曼殊院本古今和歌集(まんしゅいんぼんこきんわかしゅう)は、京都市左京区曼殊院に伝来した『古今和歌集』の古写本。巻第十七のみの残巻である。巻子本。書写は11世紀と推定される。伝称筆者藤原行成。平安古筆の代表的遺品の一つである。国宝。曼殊院蔵、京都国立博物館に寄託。

概要[編集]

冒頭に「古今和歌集巻第十七 雜七十首」とあるが、現存するのは31首のみである。流布本とは870番歌が異なり[1]、907番歌と908番歌の間に流布本にはない1首が挿入されている[2]。さらに他の歌にも語句の相違が見られるなど、流布本とは系統の異なる本である。奥書(後述)に「新院御本」とあるが、いわゆる新院本古今集とも異なる。冒頭の書きぶりから20巻の揃いと考えられるが、巻第十七のみ書写した可能性も否定はできない。なお、詞書は省略している。

巻頭から順に浅黄・薄茶・藍・薄藍・藍・浅黄の漉き染めの紙7枚を継いだ、縦14.2cm、横286.0cmの巻物である。他本との比較から、第3紙と第4紙の間に23首(料紙6枚から8枚か)、第5紙と第6紙の間に9首(料紙2枚程)の脱落が推定される。また2行のみ書かれた第7紙の残りと失われた第8紙(奥書に「八紙」とある)に8首が書かれていたと考えられる。ただ、これらを足し合わせると計71首となってしまい、冒頭の「七十首」と矛盾する。これについては、(1)流布本が70首であることに引きずられた表記、(2)概数を書いただけ、(3)欠失部分のなかで流布本にある1首が欠けていたなどの理由が考えられる。

筆跡の異なる2つの奥書を有する。一つは

行成卿真筆 料紙八枚 哥数三十九首

前述のように、現存する巻子本は料紙7枚(6枚と2行)、歌数31首しかなく、39首には8首足りない。現在残っているのが924番歌までだが、流布本では巻第十七は932番歌まであり、この差も8首である。つまりこの奥書が書かれて以降、第7紙の3行目以後が切り取られたと考えると辻褄が合う。二つ目の奥書には「正安第一之暦」(1299年)と記されているが、別筆であり時代の前後も不明である。一方、この巻物を収納する内箱には、寛文三年(1663年)の年記を付す紙が存在し、その時既に31首になっていたようなので、切り取られた下限は1663年となる。

もう一つの奥書は

新院御本自勝浄 僧正至勝穢十三代相伝 其後為妻女被譲畢 正安第一之暦孟秋初日之候 右金吾記

新院は崇徳院で、正安元年(1299年)の8月に右金吾(右衛門督)だったのは藤原嗣実である。勝浄と勝穢については不明。崇徳院から勝浄に渡り勝穢まで13代相伝、その後嗣実夫人に譲られたことが分かる。

脚注[編集]

  1. ^ 「みはるのさたのり/かしはきのもりのわたりをうちすきてみかさのやまにわれはきにけり」。この歌は元永本古今集には870番歌の次に壬生忠岑の詠として載る。
  2. ^ 「かせふけはなみこすいそのそなれまつねにあらはれてなきぬべらなり」。古今和歌六帖第六に柿本人麻呂の詠として載る。

参考文献[編集]

  • 『日本名筆選7 曼殊院本古今集 伝藤原行成筆』 二玄社、1993年。