智ギ

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538年 - 597年11月24日
TiantaiPatriarch.jpg
尊称 智者大師
生地 荊州華容県(湖南省
没地 西門石城寺
宗派 天台宗(中国)
寺院 天台山修禪寺(後の国清寺)
南岳慧思
弟子 章安灌頂
著作 『維摩經玄疏』、『四教義』
(以下は、章安灌頂による筆録)
天台五小部」・「天台三大部

(ちぎ、拼音: zhì-yǐ538年 - 597年) は、中国南北朝時代からにかけての僧侶[1]。天台教学の大成者であり[2]天台宗の開祖であるが[1]慧文慧思に次いで第三祖ともされている(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)[3]天台大師智者大師ともいう[4][1]

事績[編集]

潁川の陳氏として、[要出典]荊州華容(湖南省華容県)に生まれた[1]。8歳で法諸について出家し、天嘉元年(560年光州大蘇山の慧思の許へ行く[1]。23歳のとき、法華三昧を修行して得悟[3]

光大2年(568年)から7年間、金陵瓦官寺で『法華経』や『大智度論』を講義[3][1]

太建7年(575年)からは浙江省天台山に登って天台教学を確立した。南朝の同族であるため、皇帝や貴族層からの信任が厚く、要請により、至徳2年(584年)再び[要出典]金陵に出て、光宅寺で『法華文句』を講義した[1]

陳末の兵乱を廬山に避け、開皇11年(591年の晋王であった楊広(のちの煬帝)の懇請で晋王に菩薩戒と「總持」の法名[要出典]を授け、晋王から[要出典]「智者大師(だいし)」の号を賜わった[1]。また、三論宗の嘉祥大師吉蔵とも交遊した。

その後、荊州[要出典]玉泉寺を開創して『法華玄義』、『法華文句』、[要出典]摩訶止観』の天台三大部を講義した[1]。ほかにも『観音玄義』、『観音義疏』、『金光明玄義』、『金光明文句』、『観無量寿経疏』の天台五小部を講義した。いずれも弟子章安灌頂により筆録される。

10年ぶりに天台山に帰り、国清寺を修復して教団の生活規定を制定した[要出典]。開皇15年、晋王楊広の要請で『維摩経疏』を著述し[1]、揚州に向かう途中、(597年)西門石城寺で入滅。

著書[編集]

天台三大部[編集]

天台五小部[編集]

その他[編集]

  • 維摩経玄疏[1]
  • 維摩経文疏[1]

など[1]

関連文献[編集]

著書の解説・訳書[編集]

  • 法華玄義
    • 菅野博史訳注 『法華玄義』(全3巻) 、レグルス文庫・第三文明社、のち新装版(2016年)
    • 菅野博史 『法華玄義を読む 天台思想入門』 大蔵出版、2013年
    • 菅野博史訳注 『新国訳大蔵経中国撰述部 法華・天台部 法華玄義』 大蔵出版、2011年-刊行中(全3分冊)。現代語訳も収録
    • 多田孝正注・解説 『法華玄義 〈佛典講座26〉』 大蔵出版、のち新装版
  • 法華文句
    • 菅野博史訳注 『法華文句』(全4巻)、レグルス文庫・第三文明社、のち新装版(2017年)
  • 摩訶止観
    • 関口眞大校注 『摩訶止観岩波文庫(上・下)
    • 菅野博史訳注 『一念三千とは何か 摩訶止観-正修止観章』 レグルス文庫(抜粋での現代語訳)、のち新装版(2017年)
    • 村中祐生訳注 『摩訶止観 〈大乗仏典 中国・日本篇6〉』 中央公論社(同上)
    • 新田雅章注・解説 『摩訶止観 〈佛典講座25〉』 大蔵出版、のち新装版
  • 天台小止観

資料・伝記[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 総合仏教大辞典編集委員会(編) 『総合仏教大辞典』下巻、法蔵館、1988年1月

関連項目[編集]

師:南岳慧思 天台宗(中国) 弟子:章安灌頂