普遍文法

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普遍文法(ふへんぶんぽう、Universal Grammar)は、ノーム・チョムスキーが『Syntactic Structures』(1957年)で提唱した[1]仮説であり、ヒトの言語的な能力は、ヒトの生得的なfaculty of language(言語の機構)に由来するものであると仮定し、その機構が持っているものだと考えられる「文法」を「普遍文法」と呼んだ。「普遍」(universal)としたのは、そのように説明した場合、その機構は(英語とか日本語といったような)実際の言語とは無関係に生物としてのヒトが持っているものとなるからである。英語においては、理論そのものはcapitalizeした「Universal Grammar(UG)」で表し、研究対象である文法については小文字の「the universal grammar」で表す。

なおここでいう「文法」とは、その英語が grammar であるように、統語(syntax)の同義語としての「文法」ではないのはもちろんだが、「文脈自由文法」(context-free grammar)のそれなどよりも広く他の言語規範も含むことがある広義の「文法」である。

概要[編集]

チョムスキー生成文法で有名であると同時に、その初期の研究の成果であるチョムスキー階層形式言語の階層の理論として発展するなどしたため、そういった形式言語などの側からチョムスキーの名や生成文法を知っている向きからは、以下のような議論は若干奇異に見えるかもしれない(例えば、そちら側の観点からは生成文法における文法は「人間の存在を離れた客体として存在しているもの」に他ならないからである)。自然言語言語学に特有な人間と言語というテーマに関係する仮説である、という点をまず注意しておく。

チョムスキーは、仮説として、ヒトの自然言語において「E-language」と「I-language」がある、とした。E と I はそれぞれ externalized と internalized から来ているが、その後の研究の発展にともなうチョムスキーの「方向修正」によって意味が揺れているといった批判[2]もあり、ここではそれぞれの定義という形では述べない。また、E-language については説明を省略する(おおまかには、次で述べる I-language に対するものとして、外在的なものとされる)。

この仮説において、I-language は、人間の存在を離れた客体として存在しているものではなく、人間のの中に存在しているもので、ある言語の母語話者がその言語を話すために保持している知識体系 (language competence) のようなものとされた。人間がこの知識を獲得するためには、外界からの適切な言語刺激(一時言語データ、PLD)が必要である。しかしながら同時に、インプットとしてのPLDと獲得されたI-languageには大きな質的隔たりがあることもまた事実である。PLDには、言い間違いによる非文法的な会話の中断による不完全な文などの非常に質の悪いデータが多く含まれている。それなのに、言語を獲得する子供は完全で豊かな文法を(他の能力の獲得に比べ)比較的短時間に獲得する。ここに注目すれば、人間の言語獲得にはプラトンの問題と呼ばれる認識論的問題が存在していることは明らかである。すなわち、獲得されたアウトプットの文法がインプットとしてのPLDよりも質的に豊かであるという問題である。この事実は、言語を獲得しようとしている子供の脳の中に、それを可能にさせているなんらかの生得的なシステム(言語機能)が心的器官として存在していることを強く示唆している。この生得的な器官としての言語機能の初期状態の理論のことを普遍文法 (UG) と呼んでいる。また、初期状態そのもののことは言語獲得装置 (LAD) とも呼ばれている。

原理とパラメータのアプローチにおいて普遍文法は有限個の普遍的な原理とそれに付随する可変的なパラメータによって構成されると考えられている。このパラメータとはUGの原理に付随する離散的なスイッチのようなもので初期状態では固定されておらず、言語獲得の過程で固定される。異なるPLDのデータは異なったパラメータの値を設定する。個別文法における言語ごとの変異はパラメータの値の差異に還元することができる。この仮説(原理とパラメータのアプローチ)が正しければ人間の言語獲得の過程は有限個のパラメータの設定(と語彙の獲得)の過程であるといえるだろう。この点において個別言語の文法は無限のバリエーションを持つのではなくUGによって制限された範囲内においてのみ変異をあらわしていると言える。

それ以前は無限の文法から可能な文法を選び出す評価尺度が普遍文法を構成すると考えられていたが、多様な個別言語の記述が進むにつれ、記述的妥当性は満たされるものの、説明的妥当性はそれだけ遠くなるという、記述的妥当性説明的妥当性の間に緊張関係がもたらされた。この緊張関係を解消するものとして、言語の可変部分は無限に多いわけではない、と考えられるようになり、普遍文法の内実に大きな転換がもたらされた。

現状[編集]

1990年代以降、チョムスキーらを中心とするグループは、ミニマリスト・プログラムと呼ばれる方針で研究などを進めている。そこでは、「人間の言語の文法にだけあるもの」とされているもの(すなわち、例えばいわゆる「動物の言語」(en:Animal language)の文法には無いもの)は、再帰的な規則ないしそのような構造であり、専門的には Merge と呼ばれている( en:Merge (linguistics) )。

批判[編集]

この仮説が説明することのひとつに、ヒトが第一言語の習得に際して、特別に「文法の学習」といったようなことを通常はしないにもかかわらず、驚くべき早さで文法を獲得している、ということがあるが、認知言語学認知文法)の用法基盤モデルでは、この仮説のような言語のみに特有の機構(faculty)といったようなものではなく、他のことの認知にも関与するような能力によって言語は学習可能であり、そのようにして学習しているとする研究がなされている。

脚注[編集]

  1. ^ Chomsky - definition of Chomsky by the Free Online Dictionary, Thesaurus and Encyclopedia
  2. ^ チョムスキーは揺れがあるとは認めていない、という。

関連項目[編集]