標準時

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標準時(ひょうじゅんじ、standard time)とは、ある国または広い地域が共通で使う地方時をいう[1]

元々の地方時である平均太陽時は観測地点に依存し、経度の違いで1度あたり4分の時差が発生する。古くは、離れた都市はそれぞれの時刻を用い、同一の時刻に合わせることはなかった。

これに対して標準時は、広い地域が共通の時刻を用いる。現在は、協定世界時 (UTC) との差が1時間もしくは30分単位になる経度の地点の時刻を用いることが多い。その経度の選定は、国や地域が広がる経度の範囲の中心や、人口密度、都市の位置、その標準時が使われる地域間の時差などが考慮される。

共通の標準時を使う地域全体を「標準時間帯」、「時間帯」、「等時帯」、「時刻帯」または「タイムゾーン(time zone)」といい、その地域の標準時を示す際にはUTCとの差で示すことが多い。

標準時の歴史[編集]

標準時が導入される以前は、各々の自治体ごとに(もしその町の時計があれば)その町での太陽の位置に合わせて時計を合わせていた。すなわち都市や観測地点ごとに定めた平均太陽時であった。移動者は移動の度に時計を合わせ直す必要があった。

鉄道が敷設される以前はこれで十分に間に合っていたが、鉄道によってそれまでよりも格段に速く広範囲を移動できるようになると、頻繁に時計を合わせ直す必要が生じた。また鉄道の運行自体に与える影響も無視できなくなった。

この問題を解決するために、ある地域内で鉄道運行に関わる全ての時計に共通の時刻を用いるという「鉄道時間 (railway time)」、後に「標準時」、の仕組みがイギリスで生まれた。この共通時刻としては、基準となる地点の平均太陽時を用いた。イギリスではロンドンの時間、すなわちグリニッジ平均時をこれに用いた。

標準時の考え方を世界全体に適用すると、世界はいくつかの時刻帯 (time zone) に分割される。それぞれの時刻帯は(少なくとも理論的には)15度の経度範囲をカバーする。これら各々の時刻帯内に属する時計は全て共通の時刻に合わせられ、隣り合う時刻帯の間は1時間ずつ時刻がずれている。

1884年国際子午線会議 (International Meridian Conferenceにおいて、グリニッジ子午線本初子午線として国際的に採用され、従ってグリニッジ平均時が世界の各地域の時計を合わせる時刻の基準の地位を獲得した。

この会議ではサンドフォード・フレミング卿が時刻帯の仕組みを提案したが、本初子午線を決定するという会議の目的から外れるという理由で採用は見送られた。しかし、結局1929年までには主要な国のほとんどで時刻帯が採用されることとなった。 また、1918年には、当時は大洋を航行する艦船においては(経度測定用のクロノメーターとは別に)日常使用する時刻を毎日正午に船の位置する(と考えられる)子午線の地方時に合わせていたが、イギリスの通商部においてこの慣習を改めて海上においても、陸上において当時の多くの国が採用している標準時と同様な時刻系を採用することの可否について関係者の詳細な意見を集めた[2]

協定世界時[編集]

その後、現行の協定世界時 (UTC) が実施された翌年の、1973年シドニーで開催された国際天文学連合 (IAU) 第15回総会において、第4委員会()と第31委員会(時)の共同決議第1号(1973年8月採択25)で、SIに基づく単一の世界的に協調された時計の時間が望まれること、協定世界時 (UTC) からSI秒に基づく国際原子時 (TAI) を得ることが一般的に可能であること、および、UTC(標準電波)が航法測量で必要とされる精度の平均太陽時を直接的に提供することを考慮し、すべての国の標準時の通報のための基礎として、UTC を採用することが勧告された[3]。 さらに、1975年の第15回国際度量衡総会では、「協定世界時」(UTC) と称される時系が、極めて広く使用されていること、その時系が多くの場合、報時発信局によって放送されていること、かつ、その放送が利用者に対して、同時に標準周波数、国際原子時及び近似的な一つの世界時(又は平均太陽時としてもよい)を提供していることを考慮し、この協定世界時が、多くの国で法定常用時の基礎となっていることを確認し、この使用が十分に推奨に値するものであると評価することが決議された[4][5]

なお、経度によらない国際的な基準時刻の意味でグリニッジ平均時 (GMT) や世界時 (UT) などの用語が用いられるが、これについて1976年グルノーブルで開催された国際天文学連合 (IAU) 第16回総会において、第4委員会(暦)及び第31委員会(時)の共同決議第1号で、GMT と UT の使用に関する明確化の望ましさを考慮し、GMT と UT は時刻の最大精度整数秒である法令通信民生用その他の目的では UTC の意味で使用されること、また、GMT と UT は天測航法及び測量におけるの独立引数としては世界時の UT1 の意味で引き続き使用されることを指摘した。これらを踏まえて、UT0、UT1、UT2 および UTC の区別が必要ない場合には、それらの代わりに UT が使用され得ることを認める一方で、GMT は適切な名称に置き換えられることが強調される。以上の諸点を確認した上で、曖昧さのない表記 UT0、UT1、UT2 および UTC は、それらを区別する必要がある全ての科学刊行物において使用されるよう勧告された[6][7]

北米・ニュージーランド[編集]

アメリカカナダでは、1883年11月18日に両国の鉄道会社によって標準時刻帯による鉄道時間が導入された。当時の新聞はこの日を「2つの正午をもつ日」と書いた。このとき、政府は時刻についての立法措置や決定を特に行わなかった。鉄道会社は5つの時刻帯を単純に採用し、市民もこれに従うものと考えた。鉄道経営者の組織であるアメリカ鉄道協会 (American Railway Association, ARA) は、時刻を標準化することに対して一般の科学的関心が高まりつつあることに気づいていた。そこでARAは、当時存在していたそれぞれの鉄道路線の境界に合わせて不規則な境界線をもつ独自の時刻帯を考案した。これは一部には、政府によって鉄道経営に不便な時刻帯が採用されてしまうのを前もって避けるためであったと考えられる。

多くの人々はこの新しい時刻「鉄道時間」を単純に受け入れたが、これには法的裏付けがまったくないとして拒否する市や郡も少なくなかった。法律に規定がないと、例えば契約書の満了期限として深夜 (midnight) と書かれていた場合、この深夜はいつを意味するのかといったことが問題になる。アイオワ州の最高裁判所で審理されたある裁判では、閉店時間の違反に問われたある酒場の経営者が自分は「鉄道時間」ではなく地方(太陽)時に基づいて営業していると主張して無罪となった例があった。その後も標準時は地域の問題となっていたが、1918年サマータイムの導入の一部として標準時が法律で制定された。

1868年11月2日にはニュージーランドが全国で使われる標準時を公式に採用した。名称はニュージーランド平均時 (New Zealand Mean Time)。おそらくこれが国内で単一の標準時を採用した最初の国であったと考えられる。ニュージーランドの標準時は東経172度30分の経度に基づくもので、グリニッジ平均時より11時間30分進んだ時刻となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 日本では本来の標準時のことを「地方標準時」と呼ぶことがある。これは日本ではグリニッジ平均時を「グリニッジ標準時」と訳すことが多いので、「標準時」という言葉の概念の混乱が起きやすいためである。
  2. ^ 日本天文学会, ed.「雑報 海上にて万国共通標準時採用の議 (PDF) 」 、『天文月報』第11巻第8号、日本天文学会、東京市1918年11月、 131頁、 ISSN 0374-2466NCID AN00154555NDLJP:33039792014年1月12日閲覧。
  3. ^ IAU (1973-08). “ⅩⅤth General Assembly, Sydney, Australia, 1973 / ⅩⅤe Assemblee Generale, Sydney, Australie, 1973” (英語/フランス語) (pdf). IAU General Assembly. Paris: The International Astronomical Union. p. 20. http://www.iau.org/static/resolutions/IAU1973_French.pdf 2014年1月17日閲覧。 
  4. ^ BIPM (pdf) 『国際文書第8版 (2006) 国際単位系(SI) 日本語版』、訳・監修 (独)産業技術総合研究所 計量標準総合センター (8版)、茨城県つくば市: (独)産業技術総合研究所 計量標準総合センター、2006年6月、70頁。原書コード:ISBN 92-822-2213-6https://www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf2014年1月30日閲覧 
  5. ^ BIPM (1975年). “BIPM - Resolution 5 of the 15th CGPM (html)” (英語). Resolutions of the CGPM: 15th meeting. BIPM. 2014年1月30日閲覧。
  6. ^ 飯島重孝「IAU第16回総会に出席して」、『日本時計学会誌』第80号、日本時計学会、東京都1977年3月15日、 51-58頁、 ISSN 0029-0416NAID 110002777551NCID AN001957232014年1月26日閲覧。オープンアクセス
  7. ^ IAU (1976). “ⅩⅥth General Assembly, Grenoble, France, 1976 / ⅩⅥe Assemblee Generale, Grenoble, France, 1976” (英語/フランス語) (pdf). IAU General Assembly. Paris: The International Astronomical Union. p. 27. http://www.iau.org/static/resolutions/IAU1976_French.pdf 2014年1月17日閲覧。 

関連項目[編集]