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春日井薫

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春日井 薫
生誕 1900年1月26日
日本の旗 日本 愛知県豊田市
死没 (1981-02-10) 1981年2月10日(81歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究機関 明治大学
研究分野 金融論
母校 明治大学
学位 商学博士
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春日井 薫(かすがい かおる、1900年1月26日[1] - 1981年2月10日[2])は、昭和期の日本経済学者教育学者。専門は金融論学位は、商学博士明治大学・1939年)[3]。元明治大学マンドリン倶楽部部長。元明治大学総長。

経歴

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1900年、愛知県西加茂郡小原村上仁木(豊田市小原大倉町)生まれ。1921年、明治大学専門部商科を卒業。1923から1926年までアメリカイギリスに留学した。

1928年、明治大学商学部教授に就任。1939年、学位論文『英國に於ける兌換銀行券發行の原則論議の研究』を明治大学に提出して商学博士号を取得。1949年 より明治大学商学部長。1951年、明治大学学長に就任。1970年からは明治大学総長。1959~1969年には「駿台体育会」会長をつとめるなど、大学活動の振興のために大学組織にも積極的に関わった[4]。1972年、明治大学を退職して名誉教授名誉顧問となった。1981年、急性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去[2]。墓所は多磨霊園

受賞・栄典

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研究内容・業績

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  • 明治大学図書館には現在、春日井薫の蔵書がコレクションとして収められている。古典学派前後を中心とする金融関係の洋書が中心となっている。
  • 門下生には原正彦(明治大学名誉教授)や清水義汎(明治大学名誉教授)などがおり、金融・証券分野で活躍した経済学者を多く育てた。
  • 三島由紀夫追悼集会を起源とした憂国忌発起人の一人でもあった。

家族・親族

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  • 息子:春日井敬[6](J・R・コモンズの『集団行動の経済学』を共訳している)

著書

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単著

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  • 『起業金融論』(文雅堂、1923年)
  • 『佛蘭西の金融組織』(文雅堂、1927年)
  • 『貨幣金融及物價の史的研究』(文雅堂、1928年)
  • 『英國の銀行及金融』(文雅堂、1928年)
  • 『國際金融各論』(文雅堂、1929年)
  • 『貨幣學説研究』(文雅堂、1929-1930年)
  • 『貨幣論講義』(文雅堂、1929年)
  • 『貨幣及金融原理』(文雅堂、1933年)
  • 『最近の銀行問題』(文雅堂、1933年)
  • 『金本位通貨論』(文雅堂、1934年)
  • 『不換紙幣通貨論』(文雅堂、1934年)
  • 『米国金融制度の特殊問題』(文雅堂、1935年)
  • 『金融組織及金利問題』(文雅堂、1936年)
  • 『銀行組織及業務問題』(文雅堂、1936年)
  • 『國際金融』(文雅堂書店、1938年)
  • 『戰時の金融と通貨』(文雅堂書店、1941年)
  • 『インフレーション理論』(文雅堂書店、1942年)
  • 『景気の変動』(新銭社、1971年)
  • 『お金と物価』(新銭社、1972年)
  • 『会社経営と分析』(新銭社、1973年)

共著

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訳書

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脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)か101頁
  2. ^ a b 『朝日新聞』 1981年2月11日付朝刊23面
  3. ^ 国立国会図書館. “博士論文『英國に於ける兌換銀行券發行の原則論議の研究』”. 2023年4月2日閲覧。
  4. ^ 歴代会長 | 駿台体育会とは | 明治大学駿台体育会
  5. ^ a b 『明治大学小史―人物編』 62-63頁
  6. ^ 墓は多摩霊園にある

参考文献

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外部リンク

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