明治天皇駐蹕之処の碑

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明治天皇駐蹕之処の碑

明治天皇駐蹕之処の碑(めいじてんのうちゅうひつのところのひ)は、千葉県船橋市指定文化財の一つである。「習志野地名発祥の地」を示す史跡となっている。習志野名所のひとつ。

概要[編集]

「駐蹕」とは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること。一時、その土地に駐留すること。駐輦(ちゅうれん)と同義である[1]江戸幕府直轄の小金牧の一部だった大和田原で、1873年(明治6年)4月29日から5月1日、明治天皇近衛兵を率いて野営し演習を天覧した。皇居還幸した後、5月13日、この地を「習志野原」と命名した[2]。その故事を記念するため、陸軍省の認可を得て、“明治50年”に相当する1917年(大正6年)10月に、陸軍省を中心とする有志によってが建立された。

石碑[編集]

高さ3.9m、幅1.6mの仙台石製。船橋市本町の石国の職人が文字を担当した。文字は陸軍大将山縣有朋の筆。石碑の裏には、明治天皇がここに露営し、演習を統監したこと、この地が演習に適すると認め、永く陸軍操錬場と定めたことが記されている。

所在地と地名[編集]

この石碑の所在地は当初、明治天皇が天幕を張ったとされる場所[3](船橋市習志野台四丁目59番)に建っていたが、現在は、船橋市の郷土資料館の近くの薬円台公園内に移されている。

この石碑が元々建っていた習志野台四丁目59番付近は御幸台と呼ばれ、明治期の小字、戦後の習志野開拓時代の地区名、現在の習志野台4丁目町内会の名前、周辺にある船橋市立薬円台小学校の校歌にも「御幸台から登る日の…」という歌語で見受けられる。

写真[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本国語大辞典 第二版 9巻』小学館、2001年。
  2. ^ 宮内庁『明治天皇紀 第3巻』吉川弘文館、1969年。
  3. ^ 大正2年、二宮村の林流之助村長が地元の古老の意見などを参考に「明治天皇御野立所」と記した木標を立てた場所

参考文献[編集]

  • 船橋市郷土資料館、『地域研究資料3 薬園台の歴史 正伯物語』、平成15年3月31日
  • 習友会、開拓50周年記念誌「砂塵を越えて」、平成7年
  • 船橋市郷土資料館、絵はがき写真に残された明治~大正~昭和-、平成17年3月23日
  • 船橋市立薬円台小学校公式ホームページ

関連項目[編集]