早馬神社

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早馬神社
早馬神社拝殿

気仙沼市唐桑町の早馬神社拝殿
所在地 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75
位置 里宮:北緯38度54分11.5秒 東経141度38分19秒 / 北緯38.903194度 東経141.63861度 / 38.903194; 141.63861 (里宮)
奥宮:北緯38度53分44秒 東経141度38分41.7秒 / 北緯38.89556度 東経141.644917度 / 38.89556; 141.644917 (奥宮)
主祭神 倉稲魂命
社格 村社[1]
創建 建保5年(1217年
別名 早馬さま・権現様
例祭 9月19日
主な神事 10月第一日曜日(神幸祭)
地図
早馬神社の位置(宮城県内)
里宮
里宮
奥宮
早馬神社
早馬神社の位置
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早馬神社(はやまじんじゃ)は、宮城県気仙沼市唐桑町宿地区にある神社である。鎌倉幕府御家人梶原景時の兄、梶原景実(専光房良暹)が創建、代々梶原氏が祭祀を司る。

概要[編集]

かつては早馬大権現[1]、早馬権現[2][3]、早馬権現社[4]、早馬山権現[5]とも称された。 唐桑半島に位置する唐桑地域の鎮守であり、唐桑の中心地である宿地区に位置している[6]。唐桑町宿浦に里宮・拝殿が、唐桑町宿の早馬山山頂に奥宮・社殿が鎮座している[7][8]。地域では「早馬さま」「権現様」の名で親しまれている[7][8]

初代の景実が鎌倉を去る前、源頼朝の直々の命により北条政子の安産祈願を行い、無事に男子(源頼家)を安産したことから、古くから安産・子育てに御利益があるといわれている。

参道に植えられたと伝わるそれぞれ樹高20mを越す2本の杉の巨木があり、樹齢数百年といわれ神社の古さを示している[5][9]。かつては上二本杉と呼ばれる杉も存在したが、1999年(平成11年)に吹いた強風の影響によって亀裂が生じ、倒木を防ぐため伐採された[9]。またそれらとは別に老杉も存在していたが、明治元年に伐採されたと伝わる[3]

祭神[編集]

唐桑は漁業のまちとしては珍しいとされるハヤマ信仰がみられ[10]、ハヤマの神が祀られているとする[5]。ハヤマ神社がムラ氏神であることも珍しいという[11]

歴史[編集]

建保5年(1217年)、鶴岡八幡宮の臨時別当であった梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の死去、それを追うかのような梶原一族の没落、また和田氏畠山氏が滅んでいくのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、藤原高衡(本吉四郎高衡)ゆかりの地である石浜(気仙沼市唐桑町)にたどり着いた。家の脇に社を建て、源頼朝、梶原景時梶原景季の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立した。

2年後、一族の梶原景茂(景時の三男)の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子となった。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社を建立し、以来梶原氏直系子孫が宮司を務めている[12]。別当は良厳院[13]。石浜にあった里宮は慶長16年(1611年)の慶長三陸津波によって流され、明戸地区に一旦遷り、その後現在の宿浦に遷座した[12]

東日本大震災[編集]

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う津波により宿地区一帯は壊滅的な被害を受けた[6]。高台の早馬神社にも津波が到達し、海水により神輿を汚損した[14]。通常は海難死があってから1週間ほどで執り行われるウラバライは、港湾における地盤沈下に加えて、犠牲者の多さ、そして被災者の心情も鑑みられて同年6月19日に百か日として行われた[15]。9月の例大祭はルートや手順を変更したうえで実施された[15]

2012年(平成24年)9月には神社内に東日本大震災復興祈願碑が建立された[16]

画像外部リンク
被災後一カ所で行われたウラバライ(2011.6.19小鯖港)
「みやしんぶんデータベース」、東北大学東北アジア研究センター

2015年(平成27年)、東日本大震災の被災地を巡礼地として形成された「東北お遍路プロジェクト」の巡礼ポイントに選定された[17]

祭事・行事[編集]

  • 3月 浦祭(ウラマツリ・ハママツリ)- 漁業の安全と大漁を願う。かつて行われていたカツオ漁において漁期が始まるときの行事として生まれたという[15][18]
  • 9月19日 例祭(フナマツリ) - 航海の安全と大漁を願い、神輿の海上渡御や潮垢離を行う[5][8][15]。かつては7年に1度の神輿降臨であった[5][8]
  • 10月第1日曜日 神幸祭・唐桑早馬カキ祭 - 神輿渡御や船祭りなどが執り行われ、カキ祭では唐桑産のカキがふるまわれる[19]
  • 海難など海での異状死発生時 浜祓い(ウラバライ・ハマバライ) - 浜に供物を捧げるなどの儀礼を行う。唐桑ではこのような不時に、浜に穢れを残した状態で漁をすることは禁忌とされる[15][20]

現地情報[編集]

里宮[編集]

  • 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75
周辺
  • 宿浦港
  • 唐桑城址(唐桑舘[21]) - 土豪・安部氏の居城。北館・小館とも称した[21][22]。宿浦湾を隔てた400mほど南方に宿浦字庵沢に南館があった[21][23]
  • 下二本杉 - 県の天然記念物[24][25]。当地においては夫婦杉と呼ばれている[5][9]

奥宮[編集]

  • 宮城県気仙沼市唐桑町鮪立
周辺

脚注[編集]

  1. ^ a b 唐桑町史編纂委員会 1968, p. 537
  2. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1978, p. 186『〔近世〕唐桑村
  3. ^ a b 西田 1977, p. 281
  4. ^ 田辺 1772, p. 684
  5. ^ a b c d e f 平凡社地方資料センター 1987, p. 704『早馬山
  6. ^ a b 高倉, 滝澤 & 政岡 2012, p. 279
  7. ^ a b 観光スポット 早馬神社”. 気仙沼市産業部観光課・気仙沼観光コンベンション協会. 2017年6月22日閲覧。
  8. ^ a b c d 小野寺 2000, p. 222
  9. ^ a b c 気仙沼市秘書広報課 (2007-07-01), “ふるさと再発見 下二本杉”, 広報けせんぬま, 気仙沼市, p. 20, NDLJP:8208745 
  10. ^ 金野 1990, p. 21
  11. ^ 金野 1990, p. 26
  12. ^ a b 早馬神社について”. 早馬神社. 2017年6月22日閲覧。
  13. ^ 小野寺 2000, p. 220
  14. ^ 復興庁宮城復興局気仙沼支所 (2014-11-07), つちおと, 復興庁, p. 2, NDLJP:10114703 
  15. ^ a b c d e 高倉, 滝澤 & 政岡 2012, pp. 282–283
  16. ^ 宮城県震災復興本部 (2013-03), みやぎ・復興のあゆみ2, 宮城県, p. 12, NDLJP:9420190 
  17. ^ “被災地「巡礼」53カ所、有志団体が発表 福島第一原発も”. 朝日新聞 宮城全県・2地方 朝刊: p. 20. (2015年2月7日) 
  18. ^ 川島 2003, p. 294
  19. ^ 年中行事 神幸祭(しんこうさい)・唐桑早馬カキ祭”. 早馬神社. 2017年6月22日閲覧。
  20. ^ 尾形 et al. 2013, pp. 20–26
  21. ^ a b c 日本城郭大系3 (1981)、197頁 「城郭解説〔本吉郡〕」『唐桑舘 13
  22. ^ 気仙沼市秘書広報課 (2009-08-01), “ふるさと再発見 唐桑城”, 広報けせんぬま, 気仙沼市, p. 16, NDLJP:8208795 
  23. ^ 日本城郭大系3 (1981)、377頁「その他の城郭一覧」『65 南館
  24. ^ 指定文化財|県指定天然記念物|唐桑町上二本杉・下二本杉”. 宮城県文化財保護課保存活用班 (2012年9月10日). 2017年6月22日閲覧。
  25. ^ 第14編 教育、第2章 社会教育、文化財等の指定 昭和23年12月20日 教育委員会告示第6号”. 宮城県例規集. 宮城県教育委員会. 2017年6月22日閲覧。

出典[編集]

  • 尾形幸輝、加藤亜里紗、木村麻亜子、平田翔也「地域調査報告 伝統行事がもたらす防災意識 : 気仙沼市唐桑町における東日本大震災後のウラバライを事例として」『地域構想学研究教育報告』第3号、東北学院大学教養学部地域構想学科、2013年、19-33頁、2024年3月29日閲覧 
  • 小野寺正人 著「第3篇 陸前の修験道と山岳信仰 - 陸前の山岳信仰とはやま信仰」、月光善弘 編『東北霊山と修験道』名著出版〈山岳宗教史研究叢書 7〉、2000年11月。ISBN 4626015913 
  • 川島秀一『漁撈伝承』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 109〉、2003年1月20日。ISBN 9784588210914 
  • 金野啓史「唐桑のハヤマ信仰」『常民文化』第13号、成城大学、1990年3月、21-32頁、CRID 10508457624023745282024年3月29日閲覧 
  • 高倉浩樹、滝澤克彦、政岡伸洋東日本大震災に伴う被災した民俗文化財調査2011年度報告集」『東北アジア研究センター報告』第五分冊、東北大学東北アジア研究センター、2012年6月30日、hdl:10097/53900ISBN 97849014498092017年6月22日閲覧 
  • 西田耕三 編『けせんぬま史話 : 千葉桑園記録』NSK地方出版社、気仙沼、1977年4月。全国書誌番号:45020256 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 4 宮城県』角川書店、1978年。ISBN 404001040X 
  • 唐桑町史編纂委員会 編『唐桑町史』唐桑町、1968年。全国書誌番号:73001092 
  • 小井川和夫(本吉郡執筆) 著「宮城県」、児玉幸多坪井清足監修、平井聖村井益男村田修三編修、藤沼邦彦宮城県責任編集 編『日本城郭大系 第3巻 山形・宮城・福島』新人物往来社、1981年。 NCID BN00451184 
  • 平凡社地方資料センター 編『宮城県の地名』平凡社日本歴史地名大系 4〉、1987年7月。ISBN 4582490042 

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]