旧田中家住宅

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旧田中家住宅
情報
用途 川口市立文化財センター
旧用途 住居
設計者 櫻井忍夫(洋館)、府場陽二(和館)
建築主 田中徳兵衛
管理運営 川口市
構造形式 洋館、和館、文庫蔵、煉瓦(れんが)塀
建築面積
※洋館:174,57 m²、和館:160.05
竣工 洋館:大正12年(1923年)竣工、和館:昭和9年(1934年)上棟
所在地 埼玉県川口市末広1丁目796番地
座標 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度 / 35.804528; 139.733167座標: 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度 / 35.804528; 139.733167
文化財 国の重要文化財
指定・登録等日 2018年平成30年)12月25日
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旧田中家住宅(きゅうたなかけじゅうたく)は、埼玉県川口市にある歴史的建造物である。2018年平成30年)12月25日に国の重要文化財に指定された。川口市内では初の重要文化財指定物件である。

概要[編集]

田中家は川口の旧家で、当主は代々徳兵衛を名乗った。江戸時代末期の初代徳兵衛は農業を営んだが、2代徳兵衛の時代、1871年(明治4年)からは麦味噌醸造と材木商を営んで繁栄した。現存する住宅は4代徳兵衛(1875 - 1947年)が建てたものである。同人は家業のほか、埼玉県議会議員や貴族院議員も務めた。洋館は1921年(大正10年)上棟、1923年竣工。設計監督は櫻井忍夫である。洋館の裏手に建つ和館は1934年(昭和9年)上棟。設計監督は府場陽二である。洋館の北側に建つ文庫蔵(旧仕込倉)は明治末年頃の建立である[1]

洋館、和館、文庫蔵(旧仕込倉)、煉瓦塀2基の3棟2基が2006年(平成18年)に国の登録有形文化財になった後、2018年(平成30年)12月25日には国の重要文化財に指定された[2]。敷地内には上記建物のほか、茶室と池泉回遊式の日本庭園があり、川口市立文化財センター分館として一般公開されている。

この住宅は、地元の名士の住居として、接客空間が充実しているのが特色である。洋館は関東大震災以前に上棟した煉瓦造3階建ての住宅建築として貴重な存在である[1]

建造物[編集]

洋館は日光御成道に面して建つ、煉瓦造3階建ての建物。西を正面とし、北から蔵部、主体部、台所部の3つに分かれている。建築面積は蔵部16.73平方メートル、主体部93.41平方メートル、台所部64.43平方メートル、計174.57平方メートルである。主体部の一部が西側へ張り出して、ファサード(正面外観)に変化を与えている。外観は化粧煉瓦積みで、建物の角にあたる部分には柱形を造り出し、人造石洗い出しによる窓枠を1階から3階まで通して、縦方向の線を強調している。屋上は西側突出部の正面にはペディメント(破風)を設け、他は欄干風のパラペット(胸壁)を設け、これらを銅板張りとする。柱形の上部には銅板のメダイヨン(円形装飾)を設ける。1階には玄関、家人用の食堂、台所があり、西側突出部は洋間の応接室とする。2階には座敷、次の間があり、西側突出部は洋間の書斎とする。3階には洋間の大広間があり、西側突出部は洋間の「控えの間」とする。1階の玄関は天井が和式の格天井で、神棚を設けるなど、古い商家の帳場のような構えとする。以上のように、この建物は、3階の大広間などに西洋古典式の内装をほどこす一方で、和風の空間も混在している[1]

和館は木造一部2階建てで、寄棟造桟瓦葺き。建築面積は160.05平方メートル。洋館の裏手(東)に接続する東西棟の建物である。1階は西から東へ仏間(10畳)、次の間(12畳半)、座敷(15畳)が並ぶ。間仕切りの襖を取り払うと、37畳半の広大な空間になる。仏間の上に2階を設け、8畳の和室と次の間(4畳半)がある[1]

文庫蔵(旧仕込倉)は木造平屋建て、切妻造、桟瓦葺き。建築面積は99.15平方メートル。この蔵は、洋館より先に建っていたことが古写真から明らかで、明治末年頃の建立である[1]

アクセス[編集]

徒歩[編集]

国際興業バス[編集]

  • 川口駅東口、11 - 13系統
    • 末広1丁目停留所より徒歩3分。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 文化庁文化財部『月刊文化財』第664号、第一法規、2019年、2,35-40頁、NCID AN00221652 
  2. ^ 平成30年12月25日文部科学省告示第231号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]