日谷城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
logo
日谷城
石川県
別名 日屋城、檜屋城、檜ノ屋城
城郭構造 山城
築城主 一向一揆勢
築城年 天文年間
主な改修者 戸次広正
主な城主 一向一揆勢、朝倉氏佐々長穐
廃城年 不明
遺構 土塁
指定文化財 なし
位置 北緯36度16分44.4秒
東経136度20分12.5秒

日谷城(ひのやじょう)は石川県加賀市戦国時代に存在した日本の城山城)。日屋城檜屋城檜ノ屋城などとも書かれる。

直下川日谷川の合流点の東にある標高118m丘陵に位置し、北西約4kmの所にある大聖寺城の支城として運用された。約10個の土塁などで囲まれ、主郭は一辺40m程であった。また、北側の尾根にも小郭群があったという。

歴史[編集]

天文年間に加賀国一向一揆勢が築城したとされる。1555年天文24年)の朝倉宗滴の加賀侵攻の際、大聖寺城とともに落城し朝倉氏の勢力下になった[1]1567年永禄10年)に堀江景忠が一向一揆とともに朝倉義景に反乱をおこした後、足利義昭による調停の条件として同年12月15日1568年1月24日)に大聖寺など他の4城とともに焼払われた[2]。その後、1575年天正3年)に織田信長が加賀に侵攻して、江沼郡・能美郡を占領した際に大正寺城とともに修復され、戸次広正佐々長穐らが城主となっている[3]。広正らは加賀の平定に失敗したため、後任として佐久間盛政が入った。廃城年代は不明。

所在地[編集]

石川県加賀市日谷町

アクセス[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館
  1. ^ 『白山宮荘厳講中記録』
  2. ^ 『越州軍記』
  3. ^ 『信長公記』