日蘭和親条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

日蘭和親条約(にちらんわしんじょうやく)とは、安政2年12月(グレゴリオ暦1856年1月)に江戸幕府オランダが締結した和親条約1854年日米和親条約が締結されたことを受けて、江戸幕府はオランダとも新たな関係を規定することになった。

鎖国」体制においては、朝鮮王朝及び琉球王国との関係は「通信」とされ、貿易が行われたのみならず国交があった。しかし、オランダと中国との関係は「通商」とされ、貿易は行われたものの国交はなかった。1641年オランダ商館平戸から、現在の長崎市出島へ移されて以降、オランダ人の行動範囲は出島に限定された。この条約の締結の結果として、オランダとの関係は「通商」から「通信」となり、両国間の国交が結ばれることとなった。また、オランダ人の長崎市街への出入りが認められるようになった。