日産・プレーリー

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日産・プレーリー
Nissan prairie hnm11 240g7attesa 1 f.jpg
2代目 240G-7アテーサ
概要
別名 日産・スタンザワゴン
日産・マルチ
日産・アクセス
日産・プレーリージョイ(2代目)
日産・リバティ(3代目)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1982年-2004年
ボディ
ボディタイプ 5ドアミニバン
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
系譜
後継 日産・ラフェスタ
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プレーリーPrairie)はかつて日産自動車が生産・販売していたミニバン普通乗用車である。

概要[編集]

初代は当時荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点でオースターJX / スタンザFXをベースに開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めた旧プリンス出身の伊藤修令である。

実質の後継車であったラフェスタと競合したトヨタ・アイシスは、M10型プレーリーに似た片側のみセンターピラーレス構造のドア開口部を採用しているが、初代M10型プレーリーは、両側共にセンターピラーレス構造をアイシスより22年も早く採用し、ベンチシート、3列8人乗り、回転対座などのシートバリエーションを実現していた。VN10型パルサーバンから転用された、トーションバー・スプリングを横置きに配置することでスペース効率を向上させたトレーリングアーム式サスペンションによって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない広い空間を5ナンバーサイズ内に構築し、日本流ミニバンの始祖的存在であった。前席のシートベルトリトラクターは左右フロントドアに内蔵された。

当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けで、いわゆるミニバンタイプである3列シートのJW系(JW、JW-L、JW-G)のほかに後席を折りたたむことで広いラゲッジスペースを得ることができる2列シートのRV系(RV、RV-S)、同じく2列シートながらRV系に比べ前後シートの間隔を広げたうえ、シートバックの厚みをたっぷりとった固定式シートを採用した、リムジン感覚をうたったSS系(SS-G)、さらには商用車のNV系(3人乗り、3 / 6人乗り)という4タイプのワイドバリエーションをそろえていた。搭載するエンジンは直4 OHCCA18S型E15S型

ただし、パワートレーンは、初代プレーリーM10型が発売された前年(1981年)にデビューのバイオレットリベルタ(1982年廃止) / オースター / スタンザのT11型3姉妹と共用され、省燃費仕様のワイドなギア比のトランスミッションとハイギアードなデフを流用したことや、1.3トン近い車両重量に対して明らかに力不足のエンジンスペック、さらには最大のセールスポイントである前述の「センターピラーレス構造」に加え、荷役性の向上を図るため開口見切りを大きく下げ、バックドアがバンパーごと開口する画期的なアイディア(超低床レイアウトゆえの措置)に起因するボディ剛性の低さなどが災いし、コンセプト的には各方面で評価されたものの、走行性能や動力性能の評価は芳しくなく、販売面ではそれらを大きく反映する結果となった。また「センターピラーレス+両側スライドドア」はボディ側ドア側双方ともに負担が大きく、スライドドアの耐久性と言う面でも難があり、当時の設計&生産技術の限界を露呈させる結果となった。さらに、いかにも商用車然とした野暮でチープなエクステリアも不評で、不人気に拍車をかけた。2代目は余裕を持たせ、ブルーバードベースで開発されることとなり、これらの反省点も盛り込まれた。

北米輸出仕様の名前はアメリカではスタンザワゴン(Stanza Wagon )、カナダではマルチ(Multi )の名で販売された。

3代目の設計、開発の一部と生産は日産車体が担当していた。「リバティ」は、「プレーリー」のモデルチェンジに際し、国内向けに車名が変更されたものである。国内生産車の近隣諸国への輸出も多く、それらのブランドは「プレーリー」のままであった。

初代 M10型(1982年-1988年)[編集]

日産・プレーリー(初代)
M10型
Nissan Prairie 1982 Sawston.JPG
前期型(1982年8月-1985年1月、欧州仕様)
Nissan Prairie 19880311.jpg
後期型(1985年1月-1988年9月)
1800エクストラJW-G
Nissan Prairie 19880311-02.jpg
車内(後期型)
1800エクストラJW-G
概要
別名 日産・スタンザワゴン(アメリカ)
日産・マルチ(カナダ)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1982年8月 - 1988年
設計統括 伊藤修令
ボディ
乗車定員 8名
ボディタイプ 5ドアミニバン
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン CA20S/CA18S/E15S
変速機 3速AT/4速MT/5速MT
サスペンション
前:ストラット式サスペンション
後:トレーリングアーム式サスペンション(FF)
リバースAアーム式ストラットサスペンション(4WD)
車両寸法
ホイールベース 2,510mm
全長 4,090mm
全幅 1,655mm
全高 1,600mm
車両重量 1,020kg
その他
ベース車 日産・オースターJX
日産・スタンザFX
販売終了前月までの新車登録台数の累計 5万857台[1]
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  • 1982年8月、発売開始。この時はフェンダーミラーが装着されていた。
  • 1983年3月、特別仕様車「50スペシャル」発売。
  • 1983年6月、特別仕様車「エクストラ」発売。
  • 1984年1月、エクストラ JW、エクストラ JW-G追加。
  • 1984年6月、車種体系見直し。JW、JW-G廃止。
  • 1985年1月、マイナーチェンジ。フロントグリルの意匠変更やリアクォーターウインドウがルーフまで回り込むなど、内外装のデザインが一部変更される。特に外観上大きく変わった点では、ボディ剛性の向上策としてバンパーごと開口していたリアハッチゲートをバンパー上端から開口する様に変更し、ボディ後端部への補強が施された。商用(4ナンバー)のNVシリーズは変更無。搭載されるエンジンは直4 OHCのCA18S型・E15S型。
  • 1985年9月、2.0L CA20Sエンジン搭載のパートタイム4WD車(リヤサスペンションはB12型サニー4WD系のリバースAアーム式ストラットサスペンションを使っている)を追加設定。翌10月には4WD特別仕様車「ウィンタースペースワゴン」を発売。
  • 1986年11月、一部変更。駐車灯が廃止される。
  • 1987年8月、車体色変更。
  • 1987年9月、特別仕様車「4WD JW-L ノルディカバージョン」発売。
  • 1988年5月、サイクルキャリアが標準装備の特別仕様車「サイクルスポーツバージョン」発売。

2代目 M11型(1988年-1998年)[編集]

日産・プレーリー/プレーリージョイ(2代目)
M11型
Nissan Prairie 1988.jpg
240 G
Nissan Prairie Joy 003.JPG
ジョイ エアロエクスプレス
概要
別名 日産・アクセス(北米)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1988年9月 - 1998年11月
ボディ
乗車定員 5-7名
ボディタイプ 5ドアミニバン
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン CA20S 1,973cc 直列4気筒OHC
KA24E 2,388cc 直列4気筒OHC12バルブ
SR20DE 1,998cc 直列4気筒DOHC16バルブ
最高出力 1,973cc 91ps/5,200rpm
2,388cc 140ps/5,600rpm
145ps/6,400rpm
最大トルク 1973cc 14.8kg・m/2,800rpm
2,388cc 20.2kg・m/4,400rpm
18.2kg・m/4,800rpm
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
プレーリー 前:独立懸架トランスバースリンク式ストラット
後:独立懸架パラレルリンク式ストラット
プレーリージョイ 前:独立懸架ストラット式
後:トーションビーム式トレーリングアーム(FF車)
5リンク式コイルスプリング(4WD車)
車両寸法
ホイールベース 2,595-2,610mm
全長 4,350mm
全幅 1,690mm
全高 1,625-1,650mm
車両重量 1,180-1,360kg
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 11万8692台[2]
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1988年9月発売。キャッチコピーは「シーマBe-1も素敵でした。でも、私の日産はプレーリーです。」。ブルーバードをベースに開発された。後席スライドドアは踏襲したが、センターピラーを持つ構造となる。当初は2.0LのCA20S型のみで、グレードもJ系(J-6、J-7、J-8)とM系(M-5、M-7)の2種類と、初代デビュー時に比べて大幅に簡略化されている。A/Tが4速化される。初代はシート配置でシリーズを分けていたが、2代目では豪華装備のJ系に対して廉価仕様のM系という分け方をされていた(アルファベット後の数字は乗車定員)。このため、2列シート仕様はM-5のみとなり、一般ユーザーにとっては選びにくいものになってしまった。M-5はカタログ上では商用車を想定したようなグレードでもあった。ベースとなったブルーバードが採用していたストラット式リヤサスペンションを受け継いでいるため、このストラット・タワー部が3列目の居住空間を狭めていた。先代の大きな弱点であったエクステリアはかなり洗練され、スタイリッシュな見た目になったものの、パッケージングの中途半端さにより、依然人気、売り上げ共に低迷した。

1989年5月、特別仕様車「アウトドアバージョン」発売。

1989年9月、A/Tシフトロック変更およびオーディオフェーダー機構変更。

1990年9月、直4 2.4L OHC KA24E型を搭載した「240 G-5」と、「240 G-7」の240G系が追加される。これらは5人乗りと7人乗りでの装備の差は特になく、北米向けモデルを国内の基準に合わせた仕様としたもの。

1993年に北米でクエストが発売されたため北米仕様は前期型のみとなった。ちなみに北米での販売名はアクセス(Axxess )と名付けられていた。

1995年2月、「RVリミテッド」設定。

1995年8月、限りなくフルモデルチェンジに近い大規模なマイナーチェンジを実施し、車名を「プレーリージョイ」に変更。北米向けを考慮する必要がなくなったことから、日本国内市場に特化し、一般消費者には不評であったスタイルの変更を中心に、リサーチ結果をできる限り盛り込むこととなった。

リアオーバーハングを延長し、車内を拡大するとともに、フロント部分は、以前のスムーズなワンモーションフォルムから一転して、R50系テラノにも通じる、RV風のボリュームのあるものとするなど、大幅に変更し、グレード名に「ジョイ」を冠することから営業上の車名も「プレーリージョイ(Prairie joy) 」とした(正式な車名はプレーリーのまま)。時流に乗り、純正エアロパーツ装着の「エアロエクスプレス」というグレードも設定された。2.0LエンジンはCA20S型からSR20DE型へと世代交代され4速A/Tのみが組み合わされる。また、北米でのスタンダードであった2.4Lエンジンと、初代からの特徴でもあった、コラムシフトベンチシートが廃止されたが運転席SRSエアバッグが全車標準装備となる。リアサスペンションは同じ日産のステーションワゴンW10型アベニール同様2WD車がトーションビーム式トレーリングアーム、4WD車は5リンクとなる。これにより従来型にあったストラット・タワー部の張り出しがなくなり3列目の居住空間が改善された。

この変更で、特にスタイリングについては識者やマニアからは大変な不評をかったが、日産の目論見どおりファミリー層や高齢層の支持を得て、販売台数は一気に増加した。しかし、ジョイになってから極端な営業車並みの仕様は消え、当時の日産の安全基準に合わせた安全装備や快適装備も増え最低価格も200万円近くに値上がりしたためプレーリージョイより車格が上でありながらほとんど売れ筋グレードの価格に差がないホンダ・オデッセイやのちに発売された三菱・シャリオグランディスには勝てなかった。

1997年5月、一部改良。主な変更点は「助手席エアバッグ&ABSの標準装備化」、「車内の抗菌化(インナーグリーン)」、「UVカット断熱グリーンガラス採用」、「テールゲートにガラスハッチを採用」など。 尚、ガラスハッチは次のM12型にも引き続き採用された。

1998年10月[3]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1998年11月、リバティのサブネームを付けた3代目と入れ替わって販売終了。

3代目 M12型(1998-2004年)[編集]

日産・プレーリーリバティ/リバティ(3代目)
M12型
1999 Nissan Liberty.jpg
前期型(1998年11月-2001年5月)
NISSAN LIBERTY 01.jpg
中期型(2001年5月-2002年9月)
NISSAN LIBERTY 02.jpg
後期型(2002年9月-2004年12月)
概要
販売期間 1998年11月 - 2004年12月(生産終了)
ボディ
ボディタイプ 5ドアミニバン
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン SR20DE 1,998cc 直列4気筒DOHC16バルブ
SR20DET 1,998cc 直列4気筒DOHC16バルブターボ
QR20DE_NEO 1,998cc 直列4気筒DOHC
最高出力 1,998cc 140ps/5,600rpm
1,998cc 230ps/6,000rpm
1,998cc 147ps/6,000rpm
最大トルク 1,998cc 19.0kg・m/4,800rpm
1,998cc 28.0kg・m/3,600rpm
1,998cc 20.2kg・m/4,000rpm
変速機 ハイパーCVT/4速AT
サスペンション
前:独立懸架ストラット式サスペンション
後:マルチリンク式サスペンション
車両寸法
ホイールベース 2,690mm
全長 4,545 - 4,575mm
全幅 1,695mm
全高 1,630 - 1,690mm
車両重量 1,470 - 1,630kg
その他
販売期間中の新車登録台数の累計 15万1651台[4]
系譜
後継 日産・ラフェスタ
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1998年11月16日、M12型にモデルチェンジ、車名を「プレーリーリバティ」へと改称。パワートレインやサスペンションをW11型アベニールと共用する。

登場時の搭載エンジンは直4 DOHC SR20DE型のみの1機種。2WD車は全てハイパーCVTを採用し、4WD車は4速ATを採用した。セレナラルゴエルグランドにも設定された純正エアロパーツ装着の「ハイウェイスター」も設定された。

1999年10月12日、「ハイウェイスター4WD」にターボエンジン SR20DET型を搭載し、内外装にも手を加えた「ハイウェイスターGT4」を追加。合わせてオーテックジャパンによる「アクシス」を設定した。

2000年5月15日、特別仕様車「キタキツネ」発売。2WD車と4WD車に用意され、専用フロントオーバーライダーの有無を選択できた。専用装備としてダークスケルトンタイプでCD、カセット一体型のAM/FM電子チューナーラジオや専用サイドストライプ、専用シート地、専用フロントカーペットなどが装備された。またオーテック扱いのオプションで後席テレビ&ビデオ端子が選択できた。

2001年5月7日、マイナーチェンジに伴い車名から「プレーリー」が消滅し、「リバティ」に変更。フロントグリル、バンパーなどのデザインを変更し、搭載するエンジンをQR20DE型に変更し、助手席側にリモコンオートスライドドアを装備した。また、「ハイウェイスターGT4」を廃止し、「アクシス」に替わりオーテックジャパンによる「ライダー」を設定。あわせて、正面のリバティのエンブレムは、日産のCIに変更された。

2001年5月8日、同年8月31日までの期間限定車「コールマンバージョン」を発売。専用シート、電源コンセント、大容量バッテリー 、コールマンエンブレムなどが装備された。

2001年6月19日、福祉車両「オーテックドライブギア」を追加。

2002年1月28日、「コールマンバージョンII」を発売。第1弾からシート地の色が変更された。

2002年9月2日、フロントグリルのスモークメッキ化、フルホイールカバー、ステアリングホイールの変更など、内外装を一部変更。全車が「超-低排出ガス(★★★)」認定を取得し、ハイウェイスターは廃止され、期間限定車「コールマンバージョンIII」を発売。

2003年5月8日、日産自動車70周年記念特別仕様車「G 70th」、「Gナビパッケージ 70th」を発売。MD・CD一体AM/FM電子チューナーラジオ、専用シート、電源コンセント、スライドドアオートクロージャー、ETCユニットなどを装備した。

2004年5月6日、特別仕様車「L-Edition」を発売。キセノンヘッドランプ、専用シートなどを装備した。

2004年11月[5]、オーダーストップに伴い生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

2004年12月、ラフェスタの登場に伴い、販売終了。22年の歴史に幕を閉じた。

取り扱いは日産・ブルーステージ

プラットフォームを共有する車種[編集]

初代
2代目
3代目

車名の由来[編集]

  • プレーリーは「大草原」の意味。
  • ジョイは「喜び」、「歓喜」の意味。
  • リバティは「自由」、「気まま」の意味。なお、スバル・レガシィの輸出名もリバティだが関係は無い。

脚注[編集]

注釈[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第36号9ページより。
  2. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第56号15ページより。
  3. ^ プレーリージョイ(日産)のカタログ” (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  4. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第72号21ページより。
  5. ^ リバティ(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]