日産・バイオレット

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バイオレットVIOLET)は、日産自動車がかつて生産販売していた小型乗用車

日産・バイオレット
1980 Nissan Violet.jpg
2代目 後期型モデル(日本仕様)
販売期間 1973年1984年
ボディタイプ 2ドアハードトップ
4ドアセダン
5ドアハッチバック
5ドアライトバン
先代 510型日産・ブルーバード
後継 日産・リベルタビラ(セダン)
日産・ダットサンADバン(バン)
日産・ツル(メキシコ仕様)
別名 日産・バイオレットリベルタ(3代目)
日産・オースター(2代目以降)
日産・スタンザ(2代目以降)
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概要[編集]

1973年1月に発売された初代710型バイオレットは、下級車種のサニーと、上級車種の610型ブルーバードUの中間クラスを担う新規車種として発売されたが、実際はブルーバードシリーズの一車種として、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けており、その背景には日産の商品企画や販売政策が影響している。

初代710型バイオレットが発売される前の1971年8月、ブルーバードは、現行の510型よりもクラス・価格ともに上級の車種として、「U」のサブネームを付けた610型ブルーバードUにフルモデルチェンジし発売された。その背景には、ライバル車種であるトヨタ自動車コロナの上級車種として発売されたコロナマークIIの存在や、高度経済成長に伴う物価上昇や所得倍増による経済情勢下であった時期に企画開発された事情がある。このため、ブルーバードUは現行のブルーバードよりもクラス・価格共に上昇し、従前のブルーバードユーザーが代替を躊躇する懸念があったこと、日産サイドの商品企画や販売政策もあって、現行のブルーバードは、ブルーバードUの発売以降も「幸せの1400」のCMキャッチコピーで、1,400ccと1,600ccの4ドアセダンと2ドアセダンの廉価グレードだけを生産し、ブルーバードUと併売していた。この状態は、初代710型バイオレットが発売される直前の1972年12月まで継続された。

なお、初代710型バイオレットは、ブルーバードシリーズの一車種としての役目も担う位置付けから、型式番号は歴代ブルーバードの型式番号である「310型」「410型」「510型」「610型」から連なる「710型」が与えられており、歴代のブルーバードに「710型」が存在していないのはそのためである。

歴史[編集]

初代 710型系(1973年 - 1977年)[編集]

日産・バイオレット(初代)
710型系
2ドアハードトップ(前期型)
1973年1月 - 1976年2月
Datsun Violet 710 001.JPG
Datsun Violet 710 002.JPG
販売期間 1973年1月 - 1977年5月
乗車定員 5人
ボディタイプ 2/4ドアセダン
2ドアハードトップ
5ドアライトバン
エンジン L14 1.4L 直4
L16/L16E/L16P 1.6L 直4
L18/L18P 1.8L 直4
L20B 2.0L 直4
駆動方式 FR
変速機 3速AT / 4速MT / 5速MT
サスペンション 前:マクファーソンストラット式独立懸架
後:セミトレーリングアーム式独立懸架(リーフ式車軸懸架)
全長 4,120mm
全幅 1,580mm
全高 1,385mm(セダンは1,405mm)
ホイールベース 2,450mm
車両重量 925-1,000kg
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
先代 510型ブルーバード
-自動車のスペック表-

1973年1月に新発売。ボディタイプは当初4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類。サスペンションは、前輪にはマクファーソンストラット式独立懸架が全車に採用され、後輪は、スポーツグレードのSSSにのみ510型ブルーバードと同様のセミトレーリングアーム式独立懸架、その他の車種はリーフ式車軸懸架が採用された[注 1]。ラリーでは510型ブルーバード譲りのスポーツグレード・SSS(スリーエス)が活躍していた。510型ブルーバードが直線的でクリーンな外観だったのに対し、710型バイオレットは複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルだったため販売は低迷し、後に4ドアセダンは、ノッチバックスタイルへ大幅なマイナーチェンジを行う。後に5ドアのライトバンが追加された。タクシー仕様車では、710型バイオレットの4ドアセダン(5人乗り・3速コラム・前席ベンチシート、L16型1,600ccLPG)が、510型ブルーバードのタクシー仕様車の実質的な後継車種として発売され(上級クラスへ移行した610型ブルーバードUにはタクシー仕様車が設定されていなかった[注 2])、後にエンジンは、昭和50・51年排ガス規制に絡んでL18型1,800ccLPGに変更されている。なお、当時右側通行であった沖縄向けに左ハンドルのタクシー仕様車もごく少数生産された。1976年7月に、810型ブルーバードにタクシー仕様車が設定された後も1977年5月頃まで販売が継続されていた。

  • 1973年1月 - 710型バイオレット登場。
  • 1974年9月 - セダンのリヤコンビネーションランプ変更。
  • 1975年
    • 9月 - 1600SSS-Eが昭和50年排出ガス規制適合(A-P710型)。
    • 10月 - 残りの全車種が昭和50年排出ガス規制適合。
  • 1976年2月 - マイナーチェンジ。タクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上するため4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更、型式も711型になった。1,600ccが昭和51年排ガス規制に適合。2ドアセダンは廃止。CMキャラクターは俳優の藤岡弘(現・藤岡弘、)を起用。
    • 5月 - 1,400ccが51年規制に適合
  • 1977年5月 - 販売終了。A10型に移行。


2代目 A10型系(1977年 - 1984年)[編集]

日産・バイオレット(2代目)
A10型系
ダットサン510 2ドアセダン(前期型)
1978 Datsun 510 two-door sedan front left.jpg
4ドアセダン(後期型)
1979年6月 - 1981年6月
1980 Nissan Violet.jpg
南オーストラリアラリーチャンピオンズ1981 参戦車
Datsport Rally Team 1980 - Barry Burns (Driver) and David Milne (Co-Driver) 1981 South Australian Rally Champions.jpg
販売期間 1977年5月 - 1984年
デザイン 山下敏男
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアノッチバックセダン
3ドアハッチバッククーペ
5ドアハッチバックセダン
5ドアライトバン/ステーションワゴン
2ドアセダン
(日本市場未投入)
エンジン A14 1397cc 直4
L16/L16S/L16E 1595cc 直4
Z16S/Z16E 1595cc 直4
Z18/Z18E 1770cc 直4
L20B 1952cc 直4
Z20S 1952cc 直4
駆動方式 FR
変速機 3速AT / 4速/5速MT
サスペンション 前マクファーソン式ストラットコイル:
後:4リンクコイル式リジッド(リーフ式リジッド)
全長 4,080mm(クーペは4,260mm、コンビは4,150mm)
全幅 1,600mm
全高 1,390mm(クーペは1,350mm、コンビは1,410mm)
ホイールベース 2,400mm
車両重量 870-990kg
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
別名 北米:ダットサン510
後継 セダン:日産・バイオレットリベルタ
バン:ダットサンADバン
メキシコ仕様:日産・ツル
-自動車のスペック表-

1977年5月20日、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の型式名が与えられた。デビュー時のボディタイプは4ドアセダンと、「オープンバック」と称する3ドアハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類(海外市場向けはライトバンの代わりにステーションワゴンが設定)。その後1980年には姉妹車のスタンザリゾートに準じた5ドアハッチバックセダンを追加している。サスペンションは、前輪は先代モデルと同じマクファーソン式ストラットコイル、後輪は、全車種4リンクコイル式リジッド(ライトバンはリーフ式リジッド)であった。セダンは510型ブルーバードを意識したボクシーで機能的なスタイルに戻っている。2代目バイオレット登場と同時に、スポーティ志向で若者向けの「バイオレットオースター」(後の「オースター」)が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」的な性格の「スタンザ」がそれぞれ姉妹車として登場。さらに、モデルチェンジで下級クラスに回帰した910型ブルーバード登場後は、同じ販売店で競合することとなる。またオーストラリアではバイヤーに人気があったものの、スタイリングやドライブトレーンに関して特にホイールマガジンによって大きく批判されていた。

  • 1977年5月 - モデルチェンジでB-A10/PA10型が登場。
  • 1978年
    • 5月 - 昭和53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。
    • 9月 - スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加。
  • 1979年6月 - マイナーチェンジによりヘッドランプが丸型4灯から角型4灯に変更。
  • 1981年6月 - FFのバイオレットリベルタにフルモデルチェンジ。
  • 1982年10月 - 5ドアバンが販売終了。事実上の後継車種は5代目サニー派生のダットサンADバン(後のADバン)となる。


3代目 T11型 (1981年 - 1982年)[編集]

日産・バイオレットリベルタ (3代目)
T11型系
スタンザ 4ドアセダン(北米仕様)
Nissan-Stanza-T11.jpg
スタンザ 5ドアハッチバック(ドイツ仕様)
Stanza-Schrägheck.jpg
販売期間 1981年6月 - 1982年6月
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアノッチバックセダン
5ドアハッチバックセダン
エンジン CA16S 1.6L 直4
CA18DE 1.8L 直4
Z20E 2.0L 直4
CA20E 2.0L 直4
CD17T ターボディーゼル 1,680cc 直4
駆動方式 FF
変速機 3速AT / 5速MT
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:ストラット
全長 4,405mm
全幅 1,665mm
全高 1,385mm
ホイールベース 2,550mm
車両重量 970kg
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
姉妹車 日産・オースター(2代目)
日産・スタンザ
後継 日産・リベルタビラ
-自動車のスペック表-

チェリーF-IIとその後継車パルサーに次ぐ日産の前輪駆動車であり、新開発のCAエンジンを搭載し、日産の世界戦略車として位置づけられた。競合車種はトヨタ・カムリホンダ・アコードマツダ・カペラ三菱・ギャラン。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックの2種類。ボディと一体化したウレタンバンパーが採用され、CD値は0.38(セダン)で、当時としては先進的なスタイルであったものの、カラードバンパー、サイドプロテクターは上級グレードのみの装備であった。なお、当時の日産のFF(前輪駆動)技術には未熟な点があったため、エンジンの振動とトルクステアの挙動が大きい・マニュアル車のギアレシオが高すぎるなどの欠点があった。また、駆動方式と2,000ccのモデルの有無を除けば、日産店での主力車種のブルーバード(排気量は1,600cc、1,800cc、2,000cc)と同クラス・同排気量のバイオレットリベルタ(排気量は1,600cc、1,800cc)が競合したことも販売面で不利だった。

  • 1981年6月 - バイオレットリベルタ発売。4ドアセダンと5ドアハッチバックのラインナップだった。先代モデルにあった3ドアハッチバッククーペのオープンバックは消滅。なお、アイルランドでは、セミペットアイルランドカーオブザイヤー1981を受賞している。
  • 1982年6月 - バイオレットリベルタはわずか1年で販売終了する。その後継として、日産店の取扱車種として1クラス下のN12型パルサーセダンベースのリベルタビラを新たに投入する。バイオレットリベルタの実質的な後継車であることを示す「リベルタ」の名前が使われている[注 3]


モータースポーツ[編集]

1979年サファリラリー優勝車
第13回サザンクロスラリー参戦車

初代 710型系[編集]

  • 1974年 - マレーシアの「スランゴール・グランプリ」にて「バイオレットターボ」が総合優勝を飾る。
  • 1977年 - 第12回サザンクロスラリーに直列4気筒DOHC・16バルブの競技用エンジン、LZ18型を搭載する2ドアハードトップがラウノ・アルトーネンのドライブで参戦、総合優勝を飾る。この車両は現在、日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。

2代目 A10型系[編集]

A10/A11型は日産のWRC参戦の主力マシンとなり、1979年-1982年の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」を達成した(ちなみに、1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦)。

この4連覇は全て元FIA評議委員長でケニア在住のシェカー・メッタ日産ワークス時代にドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバーで同一イベント4連覇」を記録している。日本国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。PA10型のサファリラリー歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全てが日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。

  • 1979年 - 第27回サファリラリーに参戦し、総合優勝。富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャーを装着したLZ20B/T型エンジンを搭載した「バイオレットターボ[注 4]が参戦。ドライバーは柳田春人が務めた。
    • 3月 - 富士300キロスピードレース 10位
    • 5月 - 富士グラン250キロレース 7位
    • 9月 - 富士インター200マイルレース 7位
    • 10月 - 富士マスターズ250キロレース 優勝
  • 1980年 - 5ドアハッチバック(1,600ccのみ)・女性仕様1,400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加。
    • 第28回サファリラリーで総合優勝(連覇)。前年に引き続き、富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦、ドライバーは柳田春人が務めた。
    • 3月 - 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝
    • 9月 - 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝
    • 10月 - 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝
  • 1981年 - 第29回サファリラリーで総合優勝(3連覇)。
  • 1982年 - 第30回サファリラリーで総合優勝(4連覇)。この年は後継ラリーマシンとしてS110型シルビアベースの新型グループ4マシンが用意されていたが、信頼性などの問題を抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタはすでに生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシンを選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否。このためメッタはプライベーターとして参戦することになってしまった。参戦したメッタのマシンは前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。結果としてS110型シルビアベースの新型マシンは信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位は3位。対するメッタのバイオレットは総合優勝し、4連覇を達成した。勝負を優先したメッタはラリー史に名を残したが、この一件以降日産とのワークス契約がかわされることはなかった。
  • 2010年11月03日 - 神奈川県厚木市にある日産テクニカルセンターの公開日に、1982年のサファリ総合優勝マシンが、マールボロレッドのカラーリングで完全レストアされ、特別展示された。
レストアメンバーの解説によると、レストア作業中資料を見返すうちに、前年2位入賞のマシンとシャシナンバーが同一であることが判明。カラーリングの復元にあたり、マールボロ側に許可を取り、ペイント、ステッカー張りが行われたとのことである。

車名の由来[編集]

「バイオレット」は英語で「スミレ」の意味である。
「リベルタ」はイタリア語で「自由」と「独立」の意味である。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 後者は整備性を考慮しての採用とする文献もある[1]
  2. ^ 日産車としては同時期に発売されたスカイラインC110型にもタクシー仕様車が設定された。
  3. ^ 『GEIBUN MOOKS No.419 70年代の名車たち PART2』における2代目の紹介記事の中の解説文でも「後にバイオレットリベルタに、さらにリベルタビラとなってバイオレットは消滅した」との一文があり、バイオレットリベルタの生産終了とリベルタビラの登場が同時だったこともあって一般的には「バイオレットリベルタがフルモデルチェンジされて1クラス下のリベルタビラとなった」とされている[2]
  4. ^ 二代目のA10ではなく、初代の710 3ドアハッチバックモデルをベースとした車輌で出場。尚インターネット上でも「バイオレットターボ画像」で画像検索可能・又、単行本 サーキットの狼 第12巻 巻末付録世界の名車図鑑で確認可能

出典[編集]

  1. ^ 安達貴樹 『NISSANバイオレットの整備ハンドブック』 ナツメ社〈車種別マイカー整備シリーズ〉、1973年、69頁。
  2. ^ 『70年代の名車たち PART2』 芸文社〈GEIBUN MOOKS No.419〉、2003年、38-41頁。ISBN 4-87465-674-9

関連項目[編集]