日枝神社 (高山市)
| 日枝神社 | |
|---|---|
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拝殿 ![]() | |
| 所在地 | 岐阜県高山市城山156 |
| 位置 | 北緯36度7分59.5秒 東経137度15分41.1秒 / 北緯36.133194度 東経137.261417度座標: 北緯36度7分59.5秒 東経137度15分41.1秒 / 北緯36.133194度 東経137.261417度 |
| 主祭神 | 大山咋神(おおやまくいのかみ) |
| 社格等 | 旧県社・金幣社 |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 例祭 | 4月14日・15日(高山祭) |
| 主な神事 | 式年大祭 |
| 地図 |
Japan Gifu |
日枝神社(ひえじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社である。別名飛騨山王宮 日枝神社(ひださんのうぐう ひえじんじゃ)。春の例祭(山王祭)は、秋の櫻山八幡宮の例祭とともに高山祭として知られる。
高山市の高山城下町南半分(安川通り以南)の氏神である。
祭神は大山咋神。
沿革
[編集]1141年(永治元年)、飛騨国国司で三仏寺城(現在の高山市三福寺町に存在した飛騨国最古の城)城主である飛騨守平時輔が、近江国日吉神社を勧請し、三仏寺城の近くに創建した。言い伝えによれば、平時輔が狩りを行なっていたところ、一匹の老狼を見つける。これを仕留めようと矢を射たが獲物は見当たらず、矢は大杉に深くつき立っていたという。平時輔は「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国より日吉大神を勧請し、日枝神社としたという。この時の大杉が、日枝神社の大杉という。
1181年(養和元年)、源義仲により三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失した。御神体は無事であり、片野村杉ヶ平(現、高山市片野町杉ヶ丘)に移され、片野村の産土神として祀られた。1586年(天正13年)、金森長近が飛騨国に入り、高山城に入城した。1605年(慶長10年)、日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転した。
1692年(元禄5年)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神とされた。このころ、「両部習合神道」「山王一実神道」を以って松樹院が設けられ、山王権現宮と呼ばれた。飛騨国分寺との関係をもっていたという。1748年(寛延元年)、本殿が再建された。この本殿は現在移築修復され、末社の富士神社社殿として使用されている。1826年(文政9年)、真言宗仁和寺末となる。1869年(明治2年)、神仏分離により日枝神社に改称する。
1935年(昭和10年)、豪雨で裏山が崩れて本殿が倒壊した。現在の本殿は1938年(昭和13年)再建である。
1952年(昭和27年)7月1日、岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定(金9号)を受ける[1]。
主祭神
[編集]境内社・末社
[編集]- 富士社
- 産霊社
- 天満社
- 祭神 菅原道真
- 稲荷社
- 祭神 倉稲魂命
- 高椅神社
境外末社
[編集]- 杉箇谷神明社
- 祭神 天照皇大神。高山市神明町1丁目97に鎮座。別名「高山神明神社」。
- 秋葉神社
- 祭神 火之迦具土大神。高山市神明町1丁目97に鎮座。
御旅所
[編集]高山市川原町49(高山陣屋)隣接。
文化財
[編集]- 日枝神社拝殿 附棟札
- 富士社社殿 附棟札
- 日枝神社の旧本殿(寛延元年(1748年)再建)である。1935年(昭和10年)破損したが、破損箇所を修理して富士社社殿として移築。1958年(昭和33年)9月27日、高山市の文化財(建造物)に指定される[3]。
天然記念物
[編集]- 日枝神社の大スギ
- 高山神明神社の大スギ
交通機関
[編集]- 高山本線高山駅より徒歩25分。
- 高山濃飛バスセンター5番のりばよりのらマイカー(高山市コミュニティバス)南線右回り「日枝神社前」バス停下車、徒歩5分。
画像
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社号標
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本殿下の鳥居
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本殿
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富士神社社殿(旧本殿)
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御旅所
脚注
[編集]- ^ 木村 1997, p. 25.
- ^ “日枝神社拝殿 附棟札”. 高山市. 2026年2月2日閲覧。
- ^ “富士神社拝殿 附棟札”. 高山市. 2026年2月2日閲覧。
- ^ “日枝神社の大スギ”. 岐阜県. 2026年2月2日閲覧。
- ^ “日枝神社の大スギ”. 高山市. 2026年2月2日閲覧。
- ^ “高山神明神社の大スギ”. 岐阜県. 2026年2月2日閲覧。
- ^ “高山神明神社のスギ”. 高山市. 2026年2月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 木村照 編『岐阜県の主要神社巡り』長良天神神社、1997年。
外部リンク
[編集]- 飛騨山王宮 日枝神社 - 公式サイト
