日本軍の階級

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日本軍の階級(にほんぐんのかいきゅう、にっぽんぐんのかいきゅう)は旧日本軍において、その構成員の上下関係を明確にするために定められた序列である。

本項に於いては明治時代のヨーロッパ式軍隊設立による旧日本軍の階級について記述する。なお、自衛隊においても同様な階級が定められている。

大日本帝国陸軍[編集]

1944-1945年[編集]

1944年8月10日に技術部の兵技及び航技が統合され、それ以降は陸軍廃止まで階級制度についての改正はなかった。

陸軍軍人の階級(1944年8月10日 - 廃止)
階級 兵科 各部
技術部 経理部 衛生部 獣医部 軍楽部 法務部
憲兵 主計 建技 軍医 薬剤 歯科医 衛生 獣医 獣医務 法務 法事務
大将 陸軍大将  
中将 陸軍中将 陸軍技術中将 陸軍主計中将 陸軍建技中将 陸軍軍医中将 陸軍薬剤中将 陸軍歯科医中将 陸軍獣医中将 陸軍法務中将
少将 陸軍少将 陸軍技術少将 陸軍主計少将 陸軍建技少将 陸軍軍医少将 陸軍薬剤少将 陸軍歯科医少将 陸軍獣医少将 陸軍法務少将
大佐 陸軍大佐 陸軍憲兵大佐 陸軍技術大佐 陸軍主計大佐 陸軍建技大佐 陸軍軍医大佐 陸軍薬剤大佐 陸軍歯科医大佐 陸軍獣医大佐 陸軍法務大佐
中佐 陸軍中佐 陸軍憲兵中佐 陸軍技術中佐 陸軍主計中佐 陸軍建技中佐 陸軍軍医中佐 陸軍薬剤中佐 陸軍歯科医中佐 陸軍獣医中佐 陸軍法務中佐
少佐 陸軍少佐 陸軍憲兵少佐 陸軍技術少佐 陸軍主計少佐 陸軍建技少佐 陸軍軍医少佐 陸軍薬剤少佐 陸軍歯科医少佐 陸軍衛生少佐 陸軍獣医少佐 陸軍獣医務少佐 陸軍軍楽少佐 陸軍法務少佐 陸軍法事務少佐
大尉 陸軍大尉 陸軍憲兵大尉 陸軍技術大尉 陸軍主計大尉 陸軍建技大尉 陸軍軍医大尉 陸軍薬剤大尉 陸軍歯科医大尉 陸軍衛生大尉 陸軍獣医大尉 陸軍獣医務大尉 陸軍軍楽大尉 陸軍法務大尉 陸軍法事務大尉
中尉 陸軍中尉 陸軍憲兵中尉 陸軍技術中尉 陸軍主計中尉 陸軍建技中尉 陸軍軍医中尉 陸軍薬剤中尉 陸軍歯科医中尉 陸軍衛生中尉 陸軍獣医中尉 陸軍獣医務中尉 陸軍軍楽中尉 陸軍法務中尉 陸軍法事務中尉
少尉 陸軍少尉 陸軍憲兵少尉 陸軍技術少尉 陸軍主計少尉 陸軍建技少尉 陸軍軍医少尉 陸軍薬剤少尉 陸軍歯科医少尉 陸軍衛生少尉 陸軍獣医少尉 陸軍獣医務少尉 陸軍軍楽少尉 陸軍法務少尉 陸軍法事務少尉
准尉 陸軍准尉 陸軍憲兵准尉 陸軍技術准尉 陸軍主計准尉 陸軍建技准尉 陸軍衛生准尉 陸軍獣医務准尉 陸軍軍楽准尉 陸軍法事務准尉
曹長 陸軍曹長 陸軍憲兵曹長 陸軍技術曹長 陸軍主計曹長 陸軍建技曹長 陸軍衛生曹長 陸軍獣医務曹長 陸軍軍楽曹長 陸軍法事務曹長
軍曹 陸軍軍曹 陸軍憲兵軍曹 陸軍技術軍曹 陸軍主計軍曹 陸軍建技軍曹 陸軍衛生軍曹 陸軍獣医務軍曹 陸軍軍楽軍曹 陸軍法事務軍曹
伍長 陸軍伍長 陸軍憲兵伍長 陸軍技術伍長 陸軍主計伍長 陸軍建技伍長 陸軍衛生伍長 陸軍獣医務伍長 陸軍軍楽伍長 陸軍法事務伍長
兵長 陸軍兵長 陸軍憲兵兵長 陸軍技術兵長 陸軍衛生兵長 陸軍軍楽兵長 陸軍法事務兵長
上等兵 陸軍上等兵 陸軍憲兵上等兵 陸軍技術上等兵 陸軍衛生上等兵 陸軍軍楽上等兵 陸軍法事務上等兵
一等兵 陸軍一等兵 陸軍技術一等兵 陸軍衛生一等兵
二等兵 陸軍二等兵 陸軍技術二等兵 陸軍衛生二等兵

大日本帝国海軍[編集]

概観[編集]

士官の分類[編集]

海軍草創期は、まず、兵科武官の官が設置され、次いで、軍医官・会計官、その後、機関官の官が順次設けられていった。一時は秘書科もあったがまもなく廃された。これらの官は当初は文官であったが、後に武官に転じた(武官の中で、時期により、「将校・准将校・機関将校・将校相当官」といった区分が設けられていた。)。

また、機関科の高等武官の処遇は徐々に、兵科の高等武官に近づいてゆき、大正8年9月には両者をともに「将校」と称するに至り、昭和17年には士官に関しては兵科と機関科の区別も廃止された(海軍機関科問題)。

軍医は、伝統的に重視され、機関科を除く各部の中では常に最上位に位置づけられていた。軍医総監・軍医中将への任官者については、軍医総監を参照。また、昭和に入ると、歯科医士官が設けられた。第二次世界大戦期になると、文官であった法務関係の職員が武官に転換したが、服制が異なったり、少尉相当官、一等兵及び二等兵の階級を欠くなど特別な扱いもあった。

士官の任用[編集]

草創期は様々な任用がなされた。代表的なものとしては、次のものなどがある。

もっとも、兵科士官候補生を教育する機関は非常に早い時期から設置されており(海軍操練所・海軍兵学寮・海軍兵学校など名前も変遷した(詳細は海軍兵学校 (日本)#沿革参照。)。)、これらの出身者が兵科士官の中核を占めるようになっていった(日本の海軍兵学校が整備された後も外国の海軍兵学校に留学させることはあった[3]。)。

技術部門の高等官は、初期は旧幕府出身者も含めてそれまでの経歴等で任用が行われた時期もあったが[4]、その後の学校制度の確立に伴い、主に東京大学・帝国大学などの出身者を採用するようになっていった。

特務士官[編集]

明治30年12月1日に、下士から昇進した兵曹長等は、「士官」に分類されることとなった。その後、大正4年12月15日に、「士官」に分類されていた兵曹長等が新設の「特務士官」(少尉相当)という区分に分類されることとなった。これによって、卒(兵)出身者は士官に昇進できないのが原則となった。ただ、大正9年4月1日に、特務士官は大尉相当から少尉相当まで昇進が可能となった。昭和17年11月1日には、特務士官も大正9年以来の「海軍特務大尉」等の官名から、正規士官等と同じ「海軍大尉」の官名に変更されたが、特務士官という区分自体は海軍廃止時まで残った。

大正9年4月1日以降、特務士官である特務大尉[5](兵科以外も含む)から昇進する場合は、士官である少佐(兵科以外も含む)に任じられることとなった。

准士官[編集]

准士官の分類は、明治9年8月に官階10等を「准士官」に分類したことに始まり[6]、少尉補が准士官に分類された[7]。明治15年6月には官階9等、10等を准士官とした。この当時の准士官には機関士補等も含まれていた[8]

下士官(下士)[編集]

明治5年には、准士官はなく、士官より下の乗組官等には「中士」という分類もあり、中士1等(官階10等)が少尉、2等(官階11等)が曹長、下士1等(官階12等)が権曹長、2等(官階13等)が曹長、3等(官階15等)が伍長に相当した[9]。明治6年に中士の称が廃止され、官階11等から15等までを下士と称した。明治15年6月には、官階11等から13等までを下士とした。

兵(卒)[編集]

明治初期の特に下士・卒・准卒の官名・職名制度は、職掌と結びついて複雑なものであった(戦後の海上警備隊以降は、制服隊員であれば、職掌の区別なく単一の階級体系に分類されているのと大いに異なる。)。その後、概ね科毎に整理等されていった。

明治元年 -[編集]

文武官を分ける始めとして、慶応4年(明治元年)閏4月に、軍務官海軍局に、勅任官として、海軍将を置き、一等より三等に至る[10]

明治2年[編集]

明治2年7月に、軍務官を廃止し兵部省が置かれ、大中少将が置かれた。明治3年9月18日の太政官布達第604号により、大佐から少尉までが置かれた[11]。この時期、順次官階の整備が進められるなど海軍の体制が確立されつつあり、明治2年9月に海軍操練所を開設し、海軍士官の養成に着手した[12]。海軍操練所は、明治3年11月に、海軍兵学寮と改称されたが、この時代には、将校と機関官との区別がなかったようで、機関官の淵源は明治3年11月に海軍兵学寮に入校した者に起こり、同8年10月9日に卒業した者が嚆矢である[13]。兵学寮の第1期生は森又七郎らである。ただ、明治3年11月調べの職員録では、海軍の大将以下少尉以上の官にある者は一人もいない[14]

明治3年9月
位階 官名
従二位 大将
従三位 中将
従四位 少将
正五位 大佐
従五位 中佐
正六位 少佐
正七位 大尉
従七位 中尉
正八位 少尉

明治3年11月9日、海兵水卒等を水勇と改称した[15]

明治4年8月 -[編集]

明治4年8月、大元帥、元帥、曹長、権曹長及び軍曹が追加で置かれた。この際、少将(官階4等)以上を勅任、少佐(官階7等)以上を奏任とし、大尉以下を判任とした。兵部省軍医寮に、一等・二等軍医正、一等・二等軍医、一等・二等軍医副、軍医試補(官階5等から11等まで)を、海軍部会計局に、会計監長、監督一等、監督二等、監督三等(官階5等から8等まで)を、また、病院総司(官階8等)を置いた。

明治4年8月
官等 将校等 兵部省軍医寮 海軍部会計局
大元帥
勅任 1等 元帥
2等 大将
3等 中将
4等 少将
奏任 5等 大佐 一等軍医正 会計監長
6等 中佐 二等軍医正 監督一等
7等 少佐 一等軍医 監督二等
判任 8等 大尉 二等軍医 監督三等 病院総司
9等 中尉 一等軍医副
10等 少尉 二等軍医副
11等 曹長 軍医試補
12等 権曹長
13等 軍曹

明治5年正月には、大元帥・元帥が廃止された。会計監長以下が廃止された。1872年4月5日(明治5年2月28日)に、兵部省が、陸軍省・海軍省に分割された。

明治5年3月4日、水勇を海兵と改称した[16]

明治5年8月 -[編集]

明治5年8月には、中士1等・2等、下士1等ないし3等(官階10等ないし14等)を設け、少尉・曹長・権曹長・軍曹・伍長に相当した。卒を5等に分類した。1等中士に、艦内教授役、掌砲上長、水夫上長、工夫上長(この3つを三上長という)等を置いた。

明治5年10月には大元帥・元帥が再度設置されたほか、伍長が追加された。海軍省秘史局に、大少秘書官(官階6等・7等)を、会計局に、主計大少監、大中少主計、主計副(官階6等から11等まで)を、軍医寮に、大中少医監、大中少軍医、軍医副(官階5等から11等まで)を、機関司に、大少監、大中少機関士、機関士副(官階6等から11等まで)を置いた[17]

明治6年5月には大元帥・元帥が再度廃止され、大将が官階1等とされた[18]。明治6年5月8日に大尉が、12日に中少尉が、奏任とされた[19]

明治6年6月 -[編集]

明治6年6月29日[20]には、「少尉試補」は「少尉補」に改称された[21]。准将校について、秘史局・軍務局に、秘書官、権秘書官、大中少秘書、秘書副(官階5等から10等まで)を置き、会計局の主計大監以下の官階を1等ずつ進め、5等から10等とした。また、機関司が廃止され、代わりに、主船寮が置かれ、機関大監以下の官が置かれ(機関士副は廃止)、かつ、官階を1等ずつ進め、5等から9等とした。また、軍医寮大医監以下の官階を1等ずつ進め、4等から10等とした。また、秘書官、主計官、軍医官、機関官を「乗艦ノ4文官」と称した。6月30日、大軍医・大主計を奏任とした(7等相当)[22]

明治6年8月8日[23]、将官・上長官・士官・下士の分類が設けられたほか、権曹長が廃止された。官階は、10等を欠き、曹長を11等とした。機関士副が再置され、下士に分類された。中士の名称を廃止し、官階11等から15等までを下士に分類した。卒5等中より、艦船限りで傭役する者を区別した。

最初の海軍兵学校卒業生は、明治6年11月に卒業した平山藤次郎及び森又七郎である[24]。これらの者が日本国内で近代的な海軍士官教育を受けた最初の世代である。

明治6年11月27日、軍医・秘書・主計・機関の4科の中少尉相当官を奏任とした[25]

明治7年1月14日に、榎本武揚が初の海軍中将に任じられているが[26]、現実に海軍に勤務していたわけではない。また、秘書の例としては、明治7年に大秘書に任じられた児玉利国[27]などがある。

明治7年7月、機関科に機関士補を置いたが、官等には列しなかった。5月、秘史局・軍務局が廃止された。台湾出兵(明治7年)は、この頃である。

明治8年当時の下士の官階を整理すると、次の通りであった[28]。 。

明治8年当時(軍医副等を除く10等官以下)
官等
10等 艦内教授役 掌砲上長 水夫上長 木工上長
11等 曹長 艦内教授役介 警吏 一等筆生 掌砲長 水夫長 木工長 火夫長
12等 軍曹 警吏補 二等筆生 掌砲次長 水夫次長 指揮官端舟長 甲板長 按針長 信号長 帆縫長 造綱長 木工次長 艦内厨宰 火夫次長 鍛冶長
13等 伍長 三等筆生 掌砲長属 水夫長属 艦長端舟長 大端舟長 甲板次長 檣楼長 按針次長 信号次長 帆縫次長 造綱次長 船艙長 木工長属 艦内割烹 鍛冶次長
14等 中端舟長 少端舟長 甲板長属 檣楼長属 按針長属 信号長属 帆縫長属 造綱長属 槙筎工長 塗工長 桶工長 艦内厨宰介 病室厨夫 看病夫長 火夫長属 鍛冶長属 兵器工長

艦内教授役とは、軍艦・機関の運用及びその他艦内諸機械一切の用法等全てこれらに属する諸般の事務を教授することを掌るものであった [29]

警吏とは、艦内を巡視し、諸員の勤惰及び不慮の災害等全てこれらに属する一切のことを監視することを掌るものであった [30]

槙筎工長とは、本艦或いは端舟等の漏孔に槙筎を填めて潮水が濫入することを防ぐことを掌るものであった[31]

明治9年5月2日、軍楽隊の官等が改正された[32]

明治9年8月 -[編集]

明治9年8月、官階10等を准士官として、少尉補をこれに分類した。軍医科に、軍医総監を置いて、3等官とした。秘書科に、大中少秘史(官階4等から6等まで)を置いた。主計科の主計大監を官階4等とし、新たに主計中監(官階5等)を置いた。機関科も主計科と同様の改正を行ったほか、機関士補を官階11等とした。この時に、主船寮や軍医寮等を廃止した。「水夫」は「水兵」に改称された[33]。軍楽科を武官にした。明治9年12月18日、初の軍医総監の任官があった(戸塚文海)。1876年(明治9年)頃はまだ任官の要件などが確立されておらず、5月13日には、病重い華頂宮博経親王が20代で海軍少将(昇進としてではない)に任ぜられるなど柔軟な運用がなされていた。西南戦争(明治10年)は、この頃である。

明治11年11月、艦船限りで傭役する者を准卒と称することになった。

明治9年8月 -
官階 軍医科 秘書科 主計科 機関科
1等 将官 大将
2等 将官 中将
3等 将官[34] 少将 軍医総監
4等 上長官 大佐 大医監 大秘史 主計大監 機関大監
5等 上長官 中佐 中医監 中秘史 主計中監 機関中監
6等 上長官 少佐 少医監 少秘史 主計少監 機関少監
7等 士官 大尉 大軍医 大秘書 大主計 大機関士
8等 士官 中尉 中軍医 中秘書 中主計 中機関士
9等 士官 少尉 少軍医 少秘書 少主計 少機関士
10等 准士官 少尉補 軍医副 秘書副 主計副 機関士副
11等 下士 機関士補

明治14年当時[編集]

明治14年8月10日制定の改正により、海軍卒・准卒の職名は次のように定められた[35]

卒職名表
等級
一等卒 一等水兵 一等信号夫 一等木工 一等船艙夫 一等桶工 一等帆縫夫 一等造綱夫 一等槙筎工 一等鍛冶 一等兵器工 一等塗工 一等火夫 一等看病夫
二等卒 二等水兵 二等信号夫 二等木工 二等船艙夫 二等桶工 二等帆縫夫 二等造綱夫 二等槙筎工 二等鍛冶 二等兵器工 二等塗工 二等火夫 二等看病夫
三等卒 三等水兵 三等信号夫 三等木工 三等桶工 三等槙筎工 三等鍛冶 三等兵器工 三等塗工 三等火夫 三等看病夫
四等卒 四等水兵 四等信号夫 四等木工 四等桶工 四等槙筎工 四等鍛冶 四等兵器工 四等塗工 四等火夫 四等看病夫
五等卒 一等若水兵 一等若火夫
二等若水兵 二等若火夫
准卒職名表
等級
一等准卒 厨宰介 割烹手介 将官厨宰 将官割烹手
二等准卒 一等割烹手 一等裁縫夫 一等造靴夫 将官従僕 艦長一等厨宰 艦長一等割烹手 士官室一等厨宰 士官室一等割烹手
三等准卒 二等割烹手 二等裁縫夫 二等造靴夫 艦長二等厨宰 艦長二等割烹手 士官室二等厨宰 士官室二等割烹手 士官次室厨宰 士官次室割烹手 機関士室厨宰 機関士室割烹手 艦長従僕 上長官従僕
四等准卒 厨宰使丁 三等割烹手 一等守燈夫 一等剃夫 艦長割烹手介 准士官厨宰 准士官割烹手 士官室使丁 士官室割烹手介 将官附士官従僕 士官室士官従僕 士官次室使丁 機関士室使丁

明治15年6月 -[編集]

明治15年6月、曹長・軍曹・伍長を廃止した。秘書科を廃止した。軍医部だけであった総監を、機関・主計部にも置いた。機関・軍医・主計部の機関士副・軍医副・主計副を廃止し、「〇〇補」を新設等して、これらをともに准士官(官階10等)とした。大中少医監を廃止し、軍医大中少監を置いた。機関・軍医・主計の3部を准将校と称し、武官とした[36]。また、この3部の官階4等ないし6等官を某部上長官、7等ないし9等官を某部士官と称した。9等・10等を准士官と称することになり(9等官には、士官と准士官両方が存在することになる。)、下士を3等に分け、官階11等より13等までを下士とした。准士官・下士は共に判任とされた。また、各部の並びも機関部が軍医部よりも上位に置かれることとなった。1883年(明治15年)12月27日には、新設の機関総監に肥田浜五郎が任じられている。

海軍武官官等表(勅任・奏任)(明治15年)[37]
官階 将校 准将校
機関部 軍医部 主計部
1等 将官 大将
2等 将官 中将
3等 将官[38] 少将 機関総監 軍医総監 主計総監
4等 上長官 大佐 機関大監 軍医大監 主計大監
5等 上長官 中佐 機関中監 軍医中監 主計中監
6等 上長官 少佐 機関少監 軍医少監 主計少監
7等 士官 大尉 大機関士 大軍医 大主計
8等 士官 中尉 中機関士 中軍医 中主計
9等 士官 少尉 少機関士 少軍医 少主計
10等 准士官 少尉補 機関士補 軍医補 主計補
海軍武官官等表(下士等)(明治15年)[39]
9等 准士官 掌砲上長 水兵上長 木工上長 機関工上長
10等 准士官 掌砲長 水兵長 木工長 機関工長 楽長
11等 1等下士 一等兵曹 一等木工長属 一等機関工手 一等水雷工手 火夫長 艦内教授役 警吏 一等筆記 一等主厨 一等看護手 楽次長
12等 2等下士 二等兵曹 二等木工長属 槙筎工長 鍛冶長 兵器工長 塗工長 二等機関工手 二等水雷工手 一等火夫長属 艦内教授役介 警吏補 二等筆記 二等主厨 二等看護手 楽師
13等 3等下士 三等兵曹 三等木工長属 桶工長 槙筎工長属 鍛冶長属 兵器工長属 塗工長属 三等機関工手 三等水雷工手 二等火夫長属 三等筆記 三等主厨 三等看護手 楽手

明治17年の帆縫夫等廃止前の明治17年当時の卒、准卒の職名表は次の通りである[40]

卒職名表
等級
一等卒 一等水兵 一等帆縫夫 一等造綱夫 一等船艙夫 一等木工 一等槙筎工 一等塗工 一等桶工 一等火夫 一等鍛冶 一等兵器工 楽生
二等卒 二等水兵 二等造綱夫 二等帆縫夫 二等船艙夫 二等木工 二等槙筎工 二等塗工 二等桶工 二等火夫 二等鍛冶 二等兵器工
三等卒 三等水兵 三等木工 三等槙筎工 三等塗工 三等桶工 三等火夫 三等鍛冶 三等兵器工
四等卒 四等水兵 四等木工 四等槙筎工 四等塗工 四等桶工 四等火夫 四等鍛冶 四等兵器工
五等卒 五等若水兵 五等木工 五等槙筎工 五等塗工 五等桶工 五等火夫 五等鍛冶 五等兵器工
二等若水兵 二等若火夫
准卒職名表
厨宰介 割烹手介 看病夫長介 将官厨宰 将官割烹手
一等看病夫 一等裁縫夫 一等造靴夫 艦長一等厨宰 艦長一等割烹手 士官室一等厨宰 士官室一等割烹手
一等割烹手 二等看病夫 二等裁縫夫 二等造靴夫 艦長二等厨宰 艦長二等割烹手 士官室二等厨宰 士官室二等割烹手 士官次室厨宰 士官次室割烹手 機関士室厨宰 機関士室割烹手 艦長従僕 上長官従僕
二等割烹手 一等造麺夫 三等看病夫 一等守燈夫 一等剃夫 艦長割烹手介 准士官厨宰 准士官割烹手 士官室使丁 士官室割烹手介 将官附士官従僕 士官室士官従僕 士官次室使丁 機関士室使丁
厨宰使丁 三等割烹手 二等造麺夫 二等守燈夫 二等剃夫

明治17年7月海軍省丙第108号達にて、信号夫・船艙夫・帆縫夫・造綱夫・槙筎工は廃止され[41]、信号夫・船艙夫・帆縫夫・造綱夫は水兵に、槙筎工は木工に統合された[42]。明治18年1月31日制定の改正により、卒・准卒の職名に変更があった[43]

明治19年7月 -[編集]

海軍武官官等表(勅任・奏任)(明治19年勅令52号)
機技部 軍医部 主計部
勅任 大将
一等 中将
二等 少将 機技総監 軍医総監 主計総監
奏任 一等・二等 大佐 機関大監 大技監 軍医大監 主計大監
三等 少佐 機関少監 少技監 軍医少監 薬剤監 主計少監
四等・五等 大尉 大機関士 大技士 大軍医 大薬剤官 大主計
六等 少尉 少機関士 少技士 少軍医 少薬剤官 少主計

准士官の官名が変更された。「兵曹上長」・「兵曹長」が「上等兵曹」とされ、「木工上長」・「木工長」が「船匠師」と改められた。なお、明治19年7月13日に、上等兵曹・軍楽師・機関師・船匠師への一斉任官が行われている[44]。中尉階級が廃止されたため(大尉に統合された[45])、明治30年12月1日に中尉階級が再度設置されるまでの時期に当たっていた海軍兵学校7期から17期出身者は、中尉階級を経験していない。

海軍武官官等表(判任)(明治19年勅令52号)
機技部 軍医部 主計部
判任一等 准士官 上等兵曹 軍楽師 機関師 上等技工 船匠師
判任二等 下士一等 一等兵曹 一等艦内教授 一等警吏 一等軍楽手 一等機関手 一等技工 一等船匠手 一等水雷工 一等鍛冶手 一等看護手 一等筆記 一等主厨
判任三等 下士二等 二等兵曹 二等艦内教授 二等警吏 二等軍楽手 二等機関手 二等技工 二等船匠手 二等水雷工 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等主厨
判任四等 下士三等 三等兵曹 三等艦内教授 三等警吏 三等軍楽手 三等機関手 三等技工 三等船匠手 三等水雷工 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等主厨

明治19年10月1日調べの海軍武官准士官以上名簿によると、上等兵曹は71名、軍楽師は3名、機関師は51名、船匠師は12名いた[46]

その後、艦内教授や警吏が廃止された。

明治21年12月1日[47]、一等若水兵・一等若火夫を廃止して、二等若水兵・二等火夫を五等水兵・五等火夫と改めた。これは、元々、若水兵・若火夫が、新募兵で、練習が修了するに及び一等若水兵・一等火夫として艦船の定員に充てていたが、恩給令の服役年の計算に入らず、また、実際これを2分する必要がないことからの改正である。これに伴って、若木工も五等木工に、若鍛冶も五等鍛冶に改められた[48]

明治22年4月 -[編集]

明治22年4月29日の改訂では、卒を5等級とした。

海軍卒職名等級表(明治22年勅令第58号)
一等 一等水兵 一等軍楽生 一等水雷夫 一等火夫 一等工夫 一等木工 一等鍛冶 一等看病夫 一等厨夫
二等 二等水兵 二等軍楽生 二等水雷夫 二等火夫 二等工夫 二等木工 二等鍛冶 二等看病夫 二等厨夫
三等 三等水兵 三等軍楽生 三等水雷夫 三等火夫 三等工夫 三等木工 三等鍛冶 三等看病夫 三等厨夫
四等 四等水兵 四等軍楽生 四等水雷夫 四等火夫 四等工夫 四等木工 四等鍛冶 四等看病夫 四等厨夫
五等 五等水兵 五等軍楽生 五等水雷夫 五等火夫 五等工夫 五等木工 五等鍛冶 五等看病夫 五等厨夫

その後、明治23年3月14日に工夫が廃止された[49]。明治23年12月27日には水雷夫が廃止され、信号兵が新設された[50]

明治22年7月 -[編集]

明治22年7月23日の明治22年勅令第98号では、下士について改訂が行われた。機技部の水雷工が廃止されたほか、主計部の筆記と主厨とが統合されて主帳とされ、主計部に准士官である上等主帳が置かれた。

海軍武官官等表(判任)(明治22年勅令第98号)
機技部 軍医部 主計部
判任一等 准士官 上等兵曹 軍楽師 機関師 上等技工 船匠師 上等主帳
判任二等 下士一等 一等兵曹 一等軍楽手 一等機関手 一等技工 一等船匠手 一等鍛冶手 一等看護手 一等主帳
判任三等 下士二等 二等兵曹 二等軍楽手 二等機関手 二等技工 二等船匠手 二等鍛冶手 二等看護手 二等主帳
判任四等 下士三等 三等兵曹 三等軍楽手 三等機関手 三等技工 三等船匠手 三等鍛冶手 三等看護手 三等主帳

その後、准士官に上等看護手を(明治23年9月8日[51])、下士に信号手を新設する改訂(明治24年2月16日[52])と、技工を廃止する改訂とが行われた。また、明治24年8月26日に「海軍武官官階表」が施行された(明治24年勅令第157号)。

1894年(明治27年)10月3日には、陸軍中将であった西郷従道が海軍に転じ、海軍初の大将となった。

日清戦争中[編集]

1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた日清戦争中の海軍の階級は次の通りであった。

日清戦争中の階級表(士官以上)
機技部 軍医部 主計部
将官 大将
将官 中将
将官[53] 少将 機技総監 軍医総監 主計総監
上長官 大佐 機関大監 大技監 軍医大監 主計大監
上長官 少佐 機関少監 少技監 軍医少監 薬剤監 主計少監
士官 大尉 大機関士 大技士 大軍医 大薬剤官 大主計
士官 少尉 少機関士 少技士 少軍医 少薬剤官 少主計
日清戦争中の階級表(准士官以下)
准士官 上等兵曹 軍楽師 機関師 船匠師 上等看護手 上等主帳
下士一等 一等兵曹 一等信号手 一等軍楽手 一等機関手 一等船匠手 一等鍛冶手 一等看護手 一等主帳
下士二等 二等兵曹 二等信号手 二等軍楽手 二等機関手 二等船匠手 二等鍛冶手 二等看護手 二等主帳
下士三等 三等兵曹 三等信号手 三等軍楽手 三等機関手 三等船匠手 三等鍛冶手 三等看護手 三等主帳
卒一等 一等水兵 一等信号兵 一等軍楽生 一等火夫 一等木工 一等鍛冶 一等看病夫 一等厨夫
卒二等 二等水兵 二等信号兵 二等軍楽生 二等火夫 二等木工 二等鍛冶 二等看病夫 二等厨夫
卒三等 三等水兵 三等信号兵 三等軍楽生 三等火夫 三等木工 三等鍛冶 三等看病夫 三等厨夫
卒四等 四等水兵 四等信号兵 四等軍楽生 四等火夫 四等木工 四等鍛冶 四等看病夫 四等厨夫
卒五等 五等水兵 五等信号兵 五等軍楽生 五等火夫 五等木工 五等鍛冶 五等看病夫 五等厨夫

明治27年10月3日、初の海軍大将の任命が行われた(西郷従道)。これまでは、海軍大将は官自体はあっても、実際の任命例はなかった。

戦後の明治28年9月25日に、「火夫」が「機関兵」に、「看病夫」が「看護」に、「厨夫」が「主厨」(「主厨」はかつての主計部下士の官名であった。)に、それぞれ改められた[54]

明治29年4月1日 -[編集]

明治29年4月1日には士官以上・准士官・下士について比較的大きな改訂が行われた(明治29年勅令第39号)。機技部の士官以上の官が、機関、造船、造兵、水路に分割された。1896年(明治29年)4月、機技部の分割に伴い、造兵官に転じた者には、澤鑑之丞などがいる。

海軍武官官階表(士官以上)(明治29年勅令第39号)
大将
中将
少将 機関総監 軍医総監 主計総監 造船総監 造兵総監
上長官 大佐 機関大監 軍医大監 主計大監 造船大監 造兵大監
上長官 少佐 機関少監 軍医少監 薬剤監 主計少監 造船少監 造兵少監 水路監
士官 大尉 大機関士 大軍医 大薬剤官 大主計 造船大技士 造兵大技士 水路大技士
士官 少尉 少機関士 少軍医 少薬剤官 少主計 造船少技士 造兵少技士 水路少技士

信号手・機関手が信号兵曹・機関兵曹に改称された。主計科の下士については、以前に衣糧部門と烹炊部門とが統合されて「主帳」とされたが、再度分離して「筆記」と「厨宰」とに別れた。

海軍武官官階表(准士官以下)
准士官 上等兵曹 船匠師 軍楽師 上等機関兵曹 看護師 上等筆記
下士 一等兵曹 一等信号兵曹 一等船匠手 一等軍楽手 一等機関兵曹 一等鍛冶手 一等看護手 一等筆記 一等厨宰
下士 二等兵曹 二等信号兵曹 二等船匠手 二等軍楽手 二等機関兵曹 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等厨宰
下士 三等兵曹 三等信号兵曹 三等船匠手 三等軍楽手 三等機関兵曹 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等厨宰
卒一等 一等水兵 一等信号兵 一等木工 一等軍楽生 一等機関兵 一等鍛冶 一等看護 一等主厨
卒二等 二等水兵 二等信号兵 二等木工 二等軍楽生 二等機関兵 二等鍛冶 二等看護 二等主厨
卒三等 三等水兵 三等信号兵 三等木工 三等軍楽生 三等機関兵 三等鍛冶 三等看護 三等主厨
卒四等 四等水兵 四等信号兵 四等木工 四等軍楽生 四等機関兵 四等鍛冶 四等看護 四等主厨
卒五等 五等水兵 五等信号兵 五等木工 五等軍楽生 五等機関兵 五等鍛冶 五等看護 五等主厨

明治30年12月1日 -[編集]

明治30年12月1日に、中佐・中尉を再設置し、少佐相当官として薬剤正・水路正を新設し、下士卒出身者を予定した「士官」として兵曹長・軍楽長・船匠長・機関兵曹長・看護長・筆記長が置かれたが、「特務士官」の区分はなく、兵曹長等は少尉等と同等の官即ち士官であった[55]。また、准士官として上等信号兵曹が置かれた[56]。中尉階級の再設置に伴い、海軍兵学校第18期出身者[57]は、12月1日付で少尉から中尉に、同月27日付で中尉から大尉になった。

海軍武官官階表(士官以上(兵曹長等を除く))(明治30年勅令第310号)
大将
中将
少将 機関総監 軍医総監 主計総監 造船総監 造兵総監
上長官 大佐 機関大監 軍医大監 主計大監 造船大監 造兵大監
上長官 中佐 機関中監 軍医中監 薬剤監 主計中監 造船中監 造兵中監 水路監
上長官 少佐 機関少監 軍医少監 薬剤正 主計少監 造船少監 造兵少監 水路正
士官 大尉 大機関士 大軍医 大薬剤官 大主計 造船大技士 造兵大技士 水路大技士
士官 中尉 中機関士 中軍医 中薬剤官 中主計 造船中技士 造兵中技士 水路中技士
士官 少尉 少機関士 少軍医 少薬剤官 少主計 造船少技士 造兵少技士 水路少技士
海軍武官官階表(士官のうち兵曹長等のみ及び准士官以下)(明治30年勅令第310号等)
士官 兵曹長 船匠長 軍楽長 上等機関兵曹長 看護長 筆記長
准士官 上等兵曹 上等信号兵曹 船匠師 軍楽師 上等機関兵曹 看護師 上等筆記
下士 一等兵曹 一等信号兵曹 一等船匠手 一等軍楽手 一等機関兵曹 一等鍛冶手 一等看護手 一等筆記 一等厨宰
下士 二等兵曹 二等信号兵曹 二等船匠手 二等軍楽手 二等機関兵曹 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等厨宰
下士 三等兵曹 三等信号兵曹 三等船匠手 三等軍楽手 三等機関兵曹 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等厨宰
卒一等 一等水兵 一等信号兵 一等木工 一等軍楽生 一等機関兵 一等鍛冶 一等看護 一等主厨
卒二等 二等水兵 二等信号兵 二等木工 二等軍楽生 二等機関兵 二等鍛冶 二等看護 二等主厨
卒三等 三等水兵 三等信号兵 三等木工 三等軍楽生 三等機関兵 三等鍛冶 三等看護 三等主厨
卒四等 四等水兵 四等信号兵 四等木工 四等軍楽生 四等機関兵 四等鍛冶 四等看護 四等主厨
卒五等 五等水兵 五等信号兵 五等木工 五等軍楽生 五等機関兵 五等鍛冶 五等看護 五等主厨

明治32年には、機関総監・軍医総監・主計総監・造船総監・造兵総監を、中少将相当官とした[58]義和団の乱(明治33年 - 34年)は、この頃である。

明治36年11月10日には、薬剤・水路の上長官について、大佐相当官を設け、また、官名を他の将校相当官と同様のものに改めた[59]

明治36年12月5日の改訂では、鍛冶手が機関兵曹に[60]、鍛冶が機関兵に[61]、それぞれ統合された。また、海軍卒職名等級表中の機関兵・木工の順序が逆になった。日露戦争(明治37年 - 38年)は、この頃である。

明治38年頃の松枝新一の解説によると、海兵団に初めて入団した者は一律に五等卒となるが、水兵・信号兵・機関兵・主厨は6か月、軍学生は10か月、木工は12か月の教程を終業して試験に及第すると、四等卒となる。その後、海上勤務4か月又は陸上勤務6か月以上続けて、進級試験に合格すると、四等卒よりも上級に進む。一等卒は海上勤務6か月又は陸上勤務8か月以上で、進級試験に合格すると、一等卒となれる[62]

明治39年には、機関官の官名を将校に準じたものに改められた(なお「機関官」という呼称は存続した。)[63]

明治43年6月1日、信号兵曹が兵曹に[64]、信号兵が水兵に[65]、それぞれ統合された。第一次世界大戦(大正3年 - 7年)は、この頃である。

大正4年12月15日 -[編集]

大正4年12月15日に、「機関官」を「機関将校」に改め、造機官が新設され、兵曹長等が新設の特務士官という区分に分類されることとなった[66]。また、海軍武官官階表の官名に「海軍」が冠称されている。この、技術部門の士官を造船・造機・造兵・水路科に分類する制度は昭和17年まで長期にわたって続いた。

海軍武官官階表(士官以上)(大正4年勅令第216号)(「海軍」の冠称を省略)
将校 機関将校 軍医官 薬剤官 主計官 造船官 造機官 造兵官 水路官
将官 大将 機関将官 将官相当官
中将 機関総監 軍医総監 主計総監 造船総監 造機総監 造兵総監
少将 機関総監 軍医総監 主計総監 造船総監 造機総監 造兵総監
佐官 大佐 機関佐官 機関大監 佐官相当官 軍医大監 薬剤大監 主計大監 造船大監 造機大監 造兵大監 水路大監
中佐 機関中監 軍医中監 薬剤中監 主計中監 造船中監 造機中監 造兵中監 水路中監
少佐 機関少監 軍医少監 薬剤少監 主計少監 造船少監 造機少監 造兵少監 水路少監
尉官 大尉 機関尉官 大機関士 尉官相当官 大軍医 大薬剤官 大主計 造船大技士 造機大技士 造兵大技士 水路大技士
中尉 中機関士 中軍医 中薬剤官 中主計 造船中技士 造機中技士 造兵中技士 水路中技士
少尉 少機関士 少軍医 少薬剤官 少主計 造船少技士 造機少技士 造兵少技士 水路少技士
海軍武官官階表(特務士官以下)・卒職名(大正4年勅令第216号等)(「海軍」の冠称を省略)
特務士官 兵曹長 軍楽長 上等機関兵曹長 船匠長 看護長 筆記長
准士官 上等兵曹 軍楽師 上等機関兵曹 船匠師 看護師 上等筆記
1等下士 一等兵曹 一等軍楽手 一等機関兵曹 一等船匠手 一等看護手 一等筆記 一等厨宰
2等下士 二等兵曹 二等軍楽手 二等機関兵曹 二等船匠手 二等看護手 二等筆記 二等厨宰
3等下士 三等兵曹 三等軍楽手 三等機関兵曹 三等船匠手 三等看護手 三等筆記 三等厨宰
1等卒 一等水兵 一等軍楽生 一等機関兵 一等木工 一等看護 一等主厨
2等卒 二等水兵 二等軍楽生 二等機関兵 二等木工 二等看護 二等主厨
3等卒 三等水兵 三等軍楽生 三等機関兵 三等木工 三等看護 三等主厨
4等卒 四等水兵 四等軍楽生 四等機関兵 四等木工 四等看護 四等主厨
5等卒 五等水兵 五等軍楽生 五等機関兵 五等木工 五等看護 五等主厨

大正8年 -[編集]

大正8年には、将校相当官の官名が兵科や機関科に準じたものに改められた。また、「将校」・「機関将校」の区別を廃止し、両者を一括して「将校」と称し、その中で「兵科将校」・「機関科将校」に分けることとした。また、従来、「将官・佐官・尉官」を将校・機関将校のみに用いて、将校相当官を含んで総称する場合は「上長官・士官」の語を用いてきたのを改め、将校相当官についても、「将官・佐官・尉官」と呼称することとなり、また、従来の「軍医官」等の呼称を廃止した[67]

海軍武官官階表(士官)
将校 将校相当官
兵科 機関科 軍医科 薬剤科 主計科 造船科 造機科 造兵科 水路科
将官 大将
中将 機関中将 軍医中将 主計中将 造船中将 造機中将 造兵中将
少将 機関少将 軍医少将 主計少将 造船少将 造機少将 造兵少将
佐官 大佐 機関大佐 軍医大佐 薬剤大佐 主計大佐 造船大佐 造機大佐 造兵大佐 水路大佐
中佐 機関中佐 軍医中佐 薬剤中佐 主計中佐 造船中佐 造機中佐 造兵中佐 水路中佐
少佐 機関少佐 軍医少佐 薬剤少佐 主計少佐 造船少佐 造機少佐 造兵少佐 水路少佐
尉官 大尉 機関大尉 軍医大尉 薬剤大尉 主計大尉 造船大尉 造機大尉 造兵大尉 水路大尉
中尉 機関中尉 軍医中尉 薬剤中尉 主計中尉 造船中尉 造機中尉 造兵中尉 水路中尉
少尉 機関少尉 軍医少尉 薬剤少尉 主計少尉 造船少尉 造機少尉 造兵少尉 水路少尉

大正9年4月1日 -[編集]

大正9年4月1日に行われた改訂では、士官については変更はされなかった。但し、特務士官の官名を「○○特務○尉」として、従来特務士官の官名として使われていた「兵曹長」を准士官の官名として、従来下士の官名として使われていた「上等兵曹」や「〇〇師」などの官名を廃止した。卒を兵と改め、5等級から4等級に再編した等の大規模な改訂が行われた。これによって、下士官・兵ともに、従来のような複雑な階級名は一掃され、一律に「兵曹・兵」と科の名称を組み合わせた階級名に整理された。

また、特務士官が従来の1階級(兵曹長等)から3階級(特務大尉・特務中尉・特務少尉)に改められ、従来の兵曹長等は特務少尉等に任じられたほか、「下士」を「下士官」に改めた[68]

特務士官・准士官・下士官・兵(大正9年勅令第10号)(大正9年勅令第11号)
兵科 機関科 軍楽科 船匠科 看護科 主計科
特務士官 特務大尉 機関特務大尉 軍楽特務大尉 船匠特務大尉 看護特務大尉 主計特務大尉
特務士官 特務中尉 機関特務中尉 軍楽特務中尉 船匠特務中尉 看護特務中尉 主計特務中尉
特務士官 特務少尉 機関特務少尉 軍楽特務少尉 船匠特務少尉 看護特務少尉 主計特務少尉
准士官 兵曹長 機関兵曹長 軍楽兵曹長 船匠兵曹長 看護兵曹長 主計兵曹長
一等下士官 一等兵曹 一等機関兵曹 一等軍楽兵曹 一等船匠兵曹 一等看護兵曹 一等主計兵曹
二等下士官 二等兵曹 二等機関兵曹 二等軍楽兵曹 二等船匠兵曹 二等看護兵曹 二等主計兵曹
三等下士官 三等兵曹 三等機関兵曹 三等軍楽兵曹 三等船匠兵曹 三等看護兵曹 三等主計兵曹
一等兵 一等水兵 一等機関兵 一等軍楽兵 一等船匠兵 一等看護兵 一等主計兵
二等兵 二等水兵 二等機関兵 二等軍楽兵 二等船匠兵 二等看護兵 二等主計兵
三等兵 三等水兵 三等機関兵 三等軍楽兵 三等船匠兵 三等看護兵 三等主計兵
四等兵 四等水兵 四等機関兵 四等軍楽兵 四等船匠兵 四等看護兵 四等主計兵

大正13年の改正で、機関科将官である「海軍機関中将・海軍機関少将」を「海軍中将・海軍少将」に統合し、将官に限っては兵機の一応の統合を見た[69]。これによって、機関科出身者でも大将に昇進する道が開けたが、結局、機関科出身の大将は生まれなかった(杉政人上田宗重も参照)。

大正15年の改正で、薬剤科将校相当官に「海軍薬剤少将」が新設された[70]

昭和5年1月10日、特務士官以下に、航空科が新設された[71]

昭和5年12月1日、特務士官以下の船匠科が機関科に統合された[72]第一次上海事変(1932年(昭和7年)1月 - 3月)は、この頃である。

昭和9年4月1日には、特務士官以下に、航空機等の整備を担当する「整備科」が新設された。その際、海軍航空隊において航空兵器術を修め、特修兵となっていた兵曹・機関兵曹を、航空兵曹に転換させた。また、海軍航空隊において整備術を修め、特修兵となっていた特務中少尉・機関特務中少尉・兵曹・機関兵曹を、整備特務中尉以下に転換させた[73]。航空科と整備科の区別としては、航空科は「飛行業務を本務とする者、航空兵器(飛行機搭載兵器)の地上整備を本務とする者及び飛行機の地上整備を本務とする者(整備科)の補助者」の3種類が、整備科は「飛行機その他の地上整備を本務とする者」が科別・兵種の区分として考えられていた[74]支那事変(昭和12年 - )勃発や、第二次上海事変(1937年(昭和12年)8月 - 10月)は、この頃である。

昭和13年12月1日には、特務士官以下に「工作科」が新設された[75]

昭和16年6月1日には、昭和16年勅令第624号による改正によって、士官に歯科医科を新設し(海軍歯科医少将以下)、特務士官以下の航空科・整備科を、飛行科・整備科に再構成した(兵については昭和16年勅令第625号による。)。

大東亜戦争中[編集]

昭和16年12月8日から昭和20年にかけて行われた大東亜戦争(太平洋戦争)中には、複数の改訂が行われた。

開戦時の海軍武官官階表(士官)(いずれも本来は「海軍」が冠称されている。)
将校 将校相当官
兵科 機関科 軍医科 薬剤科 主計科 造船科 造機科 造兵科 水路科 歯科医科
将官 大将
中将 軍医中将 主計中将 造船中将 造機中将 造兵中将
少将 軍医少将 薬剤少将 主計少将 造船少将 造機少将 造兵少将 歯科医少将
佐官 大佐 機関大佐 軍医大佐 薬剤大佐 主計大佐 造船大佐 造機大佐 造兵大佐 水路大佐 歯科医大佐
中佐 機関中佐 軍医中佐 薬剤中佐 主計中佐 造船中佐 造機中佐 造兵中佐 水路中佐 歯科医中佐
少佐 機関少佐 軍医少佐 薬剤少佐 主計少佐 造船少佐 造機少佐 造兵少佐 水路少佐 歯科医少佐
尉官 大尉 機関大尉 軍医大尉 薬剤大尉 主計大尉 造船大尉 造機大尉 造兵大尉 水路大尉 歯科医大尉
中尉 機関中尉 軍医中尉 薬剤中尉 主計中尉 造船中尉 造機中尉 造兵中尉 水路中尉 歯科医中尉
少尉 機関少尉 軍医少尉 薬剤少尉 主計少尉 造船少尉 造機少尉 造兵少尉 水路少尉 歯科医少尉

昭和17年4月1日には、法務科が新設され、法務中将から法務中尉まで新設された[76]。文官であった法務官等が、武官である法務科士官に転官した。

昭和17年11月1日には、造船・造機・造兵・水路科が新設の技術科に統合(下士官・兵についても技術科を新設。)、機関科が兵科に統合、特務士官の官名が士官と同じものとされ(特務士官という区分自体は残った。)、看護科が衛生科に改称、将校相当官に軍楽科・看護科が設けられて海軍軍楽少佐・海軍看護少佐が新設(少佐相当官しかないのは、特務士官である軍楽大尉・衛生大尉からの昇進者を予定しているため。)、下士官の「一等・二等・三等」の官名が「上等・一等・二等」に改称されるなどの改正が行われた[77]。また、兵についても、水兵・飛行・整備・機関・工作を「兵科」に統合したが、必要に応じて「水兵科兵・飛行科兵・整備科兵・機関科兵・工作科兵」と称することとなり、また、職階名としてはこれらの区別は残った。「一等・二等・三等・四等」の職階が「兵長・上等・一等・二等」に改められた[78]。兵を「兵長・上等兵・一等兵・二等兵」に分類するのは当時の陸軍と同じ区分である。

昭和20年5月15日に、特務士官以下にも「法務科」が新設され、海軍監獄看守・海軍警査等を法務科の武官・兵に転換させた。

終戦時の海軍武官官階表(士官)(いずれも本来は「海軍」が冠称されている。)
将校 将校相当官
兵科 軍医科 薬剤科 主計科 技術科 歯科医科 法務科 軍楽科 衛生科
士官 将官 大将
中将 軍医中将 主計中将 技術中将 法務中将
少将 軍医少将 薬剤少将 主計少将 技術少将 歯科医少将 法務少将
佐官 大佐 軍医大佐 薬剤大佐 主計大佐 技術大佐 歯科医大佐 法務大佐
中佐 軍医中佐 薬剤中佐 主計中佐 技術中佐 歯科医中佐 法務中佐
少佐 軍医少佐 薬剤少佐 主計少佐 技術少佐 歯科医少佐 法務少佐 軍楽少佐 衛生少佐
尉官 大尉 軍医大尉 薬剤大尉 主計大尉 技術大尉 歯科医大尉 法務大尉
中尉 軍医中尉 薬剤中尉 主計中尉 技術中尉 歯科医中尉 法務中尉
少尉 軍医少尉 薬剤少尉 主計少尉 技術少尉 歯科医少尉
終戦時の特務士官・准士官・下士官・兵
兵科 軍楽科 衛生科 主計科 技術科 法務科
特務士官 大尉 軍楽大尉 衛生大尉 主計大尉 技術大尉 法務大尉
特務士官 中尉 軍楽中尉 衛生中尉 主計中尉 技術中尉 法務中尉
特務士官 少尉 軍楽少尉 衛生少尉 主計少尉 技術少尉 法務少尉
准士官 兵曹長 飛行兵曹長 整備兵曹長 機関兵曹長 工作兵曹長 軍楽兵曹長 衛生兵曹長 主計兵曹長 技術兵曹長 法務兵曹長
上等下士官 上等兵曹 上等飛行兵曹 上等整備兵曹 上等機関兵曹 上等工作兵曹 上等軍楽兵曹 上等衛生兵曹 上等主計兵曹 上等技術兵曹 上等法務兵曹
一等下士官 一等兵曹 一等飛行兵曹 一等整備兵曹 一等機関兵曹 一等工作兵曹 一等軍楽兵曹 一等衛生兵曹 一等主計兵曹 一等技術兵曹 一等法務兵曹
二等下士官 二等兵曹 二等飛行兵曹 二等整備兵曹 二等機関兵曹 二等工作兵曹 二等軍楽兵曹 二等衛生兵曹 二等主計兵曹 二等技術兵曹 二等法務兵曹
兵長 水兵長 飛行兵長 整備兵長 機関兵長 工作兵長 軍楽兵長 衛生兵長 主計兵長 技術兵長 法務兵長
上等兵 上等水兵 上等飛行兵 上等整備兵 上等機関兵 上等工作兵 上等軍楽兵 上等衛生兵 上等主計兵 上等技術兵 上等法務兵
一等兵 一等水兵 一等飛行兵 一等整備兵 一等機関兵 一等工作兵 一等軍楽兵 一等衛生兵 一等主計兵 一等技術兵
二等兵 二等水兵 二等飛行兵 二等整備兵 二等機関兵 二等工作兵 二等軍楽兵 二等衛生兵 二等主計兵 二等技術兵

脚注[編集]

  1. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054378200 、3頁。
  2. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054378200 、3頁。
  3. ^ 1893年(明治26年)3月30日に海軍少尉候補生に任じられた華頂宮博恭王(当時)などがいる。
  4. ^ 肥田浜五郎渡辺忻三浜口興右衛門岩田平作及び岡田井蔵など多数。
  5. ^ 昭和17年11月1日以降は「特務」を冠さない。
  6. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000、13頁
  7. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000、10頁
  8. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000、13頁
  9. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000、12頁-13頁。
  10. ^ 以下、明治元年から明治15年頃までの記載は主に、アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000による。
  11. ^ 明治3年9月18日 太政官布達 第604号 海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(ウィキソース)
  12. ^ 澤鑑之丞 (1942年). 海軍七十年史談. 文政同志社. p. 27. 
  13. ^ 海軍機関学校 (1908年). 海軍機関学校生活. 一二三堂. 
  14. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054274900 、147-149頁。
  15. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、12頁。
  16. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、25頁。
  17. ^ 明治5年10月12日の海軍省官等表は、アジア歴史資料センター、レファレンスコードC09120059600を参照。
  18. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC09111782900。
  19. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、40頁。
  20. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、41頁。
  21. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 164頁。
  22. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、41頁。
  23. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、42頁。
  24. ^ 澤鑑之丞 (1942年). 海軍七十年史談. 文政同志社. p. 28. 
  25. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、45頁。
  26. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054378200 、3頁。
  27. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC07040168300、2頁。
  28. ^ 物集高材 (1875年). 官職一覧. 星野松蔵. p. 48. 
  29. ^ 物集高材 (1875年). 官職一覧. 星野松蔵. p. 49. 
  30. ^ 物集高材 (1875年). 官職一覧. 星野松蔵. p. 50. 
  31. ^ 物集高材 (1875年). 官職一覧. 星野松蔵. p. 57. 
  32. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062089000、80頁。
  33. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 169頁。
  34. ^ 将官なのは、少将のみで、軍医総監は含まれない。
  35. ^ 海軍武官官等表。アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 159頁。
  36. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04017113000、12頁によると、この時転換したように読めるが、他方、物集高材によると、明治8年当時に既に大医監以下や、機関士副らを海軍武官の項に載せている(物集高材 (1875年). 官職一覧. 星野松蔵. p. 57. }。
  37. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC07040061800。
  38. ^ 将官なのは、少将のみで、機関総監以下は含まれない。
  39. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC07040061800。
  40. ^ 森貞次郎 (1884年). 兵士の心得 営中策府. 春陽堂. p. 145. 
  41. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 159頁。
  42. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 189頁。
  43. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07090067400 161頁。
  44. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054378200 、34-38頁。
  45. ^ 中尉は奏任5等であったが、この時期の大尉は奏任4等及び奏任5等とされていた。
  46. ^ 海軍武官准士官以上名簿、アジア歴史資料センター、レファレンスコードA09054378200。
  47. ^ 日付については、アジア歴史資料センター、レファレンスコードC06091341900、5頁も参照。
  48. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA07062099500。
  49. ^ 明治23年勅令第25号。
  50. ^ 明治23年勅令第293号。
  51. ^ 明治23年勅令206号。
  52. ^ 明治24年勅令第11号。
  53. ^ 将官なのは、少将のみで、機技総監以下は含まれない。
  54. ^ 明治28年勅令第132号。
  55. ^ 小栗孝三郎 (1900年). 最新海軍通覧. 海軍通覧発行所. p. 58. 内閣書記官室記録課編 (1907年). 明治職官表 明治39年. 三省堂. p. 58. 帝国海事協会 (明治38年). 海事年鑑. 帝国海事協会. p. 15. 
  56. ^ 明治30年勅令第310号
  57. ^ 佐藤皐蔵など。
  58. ^ 明治32年勅令第19号。
  59. ^ 明治36年勅令第164号。
  60. ^ 明治36年勅令第269号。
  61. ^ 明治36年勅令第270号。
  62. ^ 松枝新一 (1906年). 海軍生活案内 一名・入団者心得. 博文館. p. 76. 
  63. ^ 明治39年勅令第9号。
  64. ^ 明治43年勅令第241号。
  65. ^ 明治43年勅令第242号。
  66. ^ 大正4年勅令第216号
  67. ^ 大正8年勅令第427号。
  68. ^ 大正9年勅令第10号。
  69. ^ 大正13年勅令第401号。
  70. ^ 大正15年勅令第256号。
  71. ^ 昭和4年勅令第386号。
  72. ^ 昭和5年勅令第227号・第228号。
  73. ^ 昭和9年勅令第66号。
  74. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードA02030266200 20頁。
  75. ^ 昭和13年勅令第143号。
  76. ^ 昭和17年勅令第298号。
  77. ^ 昭和17年勅令第610号。
  78. ^ 昭和17年勅令第611号。

関連項目[編集]