日本橋 (東京都中央区)
日本橋(にほんばし)とは、東京都中央区の日本橋川に架かる橋のこと。明治44(1911)年完成の現行の日本橋は国の重要文化財。また、この日本橋の在る場所を含む東京都中央区の地名、地域を指す。
日本橋 (橋梁)[編集]
東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋。日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。
現在の橋は19代目[要出典]または20代目[2]にあたるとされる。明治36年(1903年)の市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することに定められため、木造だった以前の橋(明治5年築)に替わり、大都市東京にふさわしい新たな橋として明治41年(1908年)に着工、明治44(1911)年に完成した[3][4]。石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m、設計は米本晋一。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は徳川慶喜のもの。
路面電車を通すことが決まっていた路面はわずかにアーチを描き、橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石で、内部は、最も荷重のかかる両端がコンクリートで、さほど荷重のかからない中央部分が煉瓦[2]。推定寿命1000年程度[2]。
装飾顧問は妻木頼黄、装飾制作は東京美術学校、青銅像の原型製作は渡辺長男があたり、西洋的な基本デザインに、麒麟と獅子の青銅像や一里塚を表す松や榎木を取り入れた柱模様など、日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾になっている[3]。麒麟像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられ、奈良県手向山八幡宮の狛犬やヨーロッパのライオン像などを参考にした獅子像は東京市の紋章を手にしている[3]。
年表[編集]
- 1603年4月14日(慶長8年3月3日)
- 1604年(慶長9年)
- 1618年(元和4年)
- 最初の大改架。『慶長見聞集』に長さ三十七間四尺五寸(約68m)、幅四間二尺五寸(約8m)との記載あり[4]。
- 1657年(明暦3年)- 1858年(安政5年)
- 1872年(明治5年)
- 木造最後となる改架。費用は日本橋魚河岸の魚問屋組合が負担[4]
- 明治初期
- 明治後期、1898年(明治31年)4月12日落成
- 1911年(明治44年)4月3日
- 現在の石造二連アーチ橋が架けられた。19代目[6]。
- 1945年(昭和20年)3月10日
- 1963年(昭和38年)
- 橋の直上に首都高速道路が建設された。
- 1999年(平成11年)
- 国の重要文化財に指定される。
- 2005年(平成17年)7月4日
- アジアハイウェイ道路網に関する政府間協定発効により、日本からトルコとブルガリアとの国境付近に至るアジアハイウェイ1号線の起点となる。
- 2010年(平成22年)
今後の予定[編集]
国土交通省は、日本橋上空を覆う首都高の地下移設に向け、具体策の検討に入ることを決めた[8][9]。事業費は数千億円かかる見込みで、2020年の東京五輪・パラリンピック後の着工を目指している[10]。
道路元標[編集]
戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して日本橋を道路元標とした。道路元標の起源は、1604年(慶長9年)に徳川幕府が日本橋を五街道の起点と定め、全国の里程(りてい)の起点としたことによる[11]。明治以降も、1973年(明治6年)に、日本橋は諸街道の起点と定められ、橋の中央をもって国内諸街道の元標とされた[11]。1911年(明治44年)に現在の日本橋に架け替えられたときに、橋の中央に「東京市道路元標」が設置され、1972年(昭和47年)の道路改修が行われた際に、「東京市道路元標」が日本橋の北西側の袂(たもと)に移設され、その撤去跡に現在の「日本国道路元標」が埋め込まれた[12]。
現行の道路法では道路元標に関する規定は無いが、今日でも橋の中央帯には50センチ四方のブロンズ製の「日本国道路元標」が埋め込まれており[12]、裏側には当時の内閣総理大臣、佐藤栄作の名前が刻まれている。橋の北西側にある東京市道路元標の近くにレプリカが展示されており、そばに各都市への里程標が刻まれた黒御影石も設置されている[12]。
現在、日本橋を始点としている一般国道は、以下の7本である。
国道1号(終点:大阪市・梅田新道)東海道
国道4号(終点:青森市・青い森公園前)日光街道/奥州街道
国道6号(終点:仙台市・苦竹IC)水戸街道
国道14号(終点:千葉市・広小路交差点)
国道15号(終点:横浜市・青木通交差点)旧東海道
国道17号(終点:新潟市・本町交差点)中山道
国道20号(終点:長野県塩尻市・高出交差点)甲州街道
橋の中央部が上記7本の国道の起点であり、国道1・15・20号が橋の南方向へ、国道4・6・14・17号が北方向へ伸びている。日本橋近辺ではそれぞれ重複しているので、地図や標識では上位路線である国道1・4号の2本だけが案内されている[12]。うち、国道6・14号以外の5路線が江戸時代の五街道を引き継いでいる(区間は完全一致するものではない)。
- 「日本橋からの距離(国道)の項も参照」
江戸時代も古くから道路の始点であった日本橋の周辺には、早くから商店が軒を連ねていた。現在も、三越や高島屋などの百貨店が存在する。
文化財としての日本橋[編集]
現在の日本橋(第19代)は1999年(平成11年)5月13日国の重要文化財(建造物)に指定されている。しかし首都高速道路(具体的には都心環状線江戸橋出入口と呉服橋出入口の間)に覆われてしまっている現状から、都市景観の在り方を含めた多くの議論を抱える。[13]。2006年(平成18年)には有識者会議である「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が、首都高速道路を地下に移設(江戸橋ジャンクションから竹橋ジャンクションまで[14])して周辺を親水公園などに造り変えるという再開発構想をまとめた。小泉純一郎首相(当時)もこの構想を後押しする発言をしているが、試算5000億円といった莫大な費用が見込まれることもあり、石原慎太郎東京都知事(当時)は反対し、「日本橋の方を移転させるべし」と発言している[15]。
交通[編集]
- 隣の橋〈日本橋川〉
- (上流)西河岸橋 ― 日本橋 ― 江戸橋(下流)
日本橋からの距離(国道)[編集]
国道1号 横浜・静岡・名古屋方面[編集]
- 横浜 30km
- 静岡 197km
- 名古屋 386km
国道4号 宇都宮・福島・仙台方面[編集]
- 宇都宮 109km
- 福島 268km
- 仙台 347km
国道6号 水戸・いわき・仙台方面[編集]
- 水戸 109km
- いわき 193km
- 仙台 346km
国道14号 船橋・千葉方面[編集]
- 船橋 25km
- 千葉 40km
国道15号 川崎・横浜方面[編集]
- 川崎 19km
- 横浜 29km
国道17号 高崎・前橋・新潟方面[編集]
- さいたま 25km
- 高崎 104km
- 前橋 116km
- 新潟 350km
国道20号 八王子・甲府・塩尻方面[編集]
- 八王子 46km
- 甲府 141km
- 塩尻 225km
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ギャラリー(日本橋)[編集]
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日本橋中央柱の麒麟、本来伝説には無い翼があり、飛躍する首都を表している。
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アジアハイウェイ1号線の起点である日本橋の上の首都高速に設置されたAH1の標識
日本橋地域[編集]
日本橋は、中央区日本橋地域の前身にあたる日本橋区全域を指している。日本銀行本店や東京証券取引所の立地する日本を代表する金融街であり、また老舗の百貨店を含む商業施設も多く、他にも問屋街や多くの製薬会社が連なる地域である。
歴史[編集]
近代以前[編集]
現在の日本橋を中心とした地域は、古くは武蔵国豊嶋郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったという。江戸は鎌倉時代の江戸氏の支配から太田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康が幕府を開くが、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域であった。さらに上でも触れたように日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、現:三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まり、また付近には金座や銀座が置かれるなど、江戸を代表する場所として殷賑を極めた。
近代以降[編集]
1868年(明治元年)、江戸府内は東京府となったが、日本橋の辺りは維新の混乱により一時寂れた。しかしガス灯や鉄道馬車が敷設されるなどほどなく息を吹き返し、江戸の昔に変わらぬ繁栄を見せるようになった。1878年(明治11年)、この年施行された郡区町村編制法により、日本橋を中心とした周辺の地域は日本橋区となり、1889年(明治22年)には東京市に属した。1896年(明治29年)には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられた。また大店の越後屋や白木屋が百貨店として生まれ変わり、1908年(明治41年)には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていった。
関東大震災の復興計画/震災復興再開発事業により、日本橋区内の全域で土地区画整理事業が実施された。これに伴い1928年(昭和3年)12月以降、大規模な町名地番整理も行われた。
1923年(大正12年)、関東大震災により日本橋区は甚大な被害を受ける。しかしその後定められた土地区画整理事業によって河川や道路の改修、拡幅が行われ、昭和通りや浜町公園ができた。古くから日本橋のたもとにあった魚河岸も築地へと移転した[16]。
だが第二次大戦において、日本橋区は1945年(昭和20年)の空襲によりふたたび区内の大半を消失する被害を蒙る。終戦後、東京都の主導により日本橋区は南に接する京橋区(現在の中央区のおよそ南半分)と合併することになった。日本橋区会(現在の区議会に相当)では他区との合併に難色を示す議員が多く、統合後も日本橋の名前だけは残したいとの意向から、京橋区との合併決議に町名に日本橋を冠することとする項目が盛り込まれ、中央区発足時に旧・日本橋区内のすべての町名に日本橋が冠称された[17]。現在中央区のおよそ北半分の地区に見られる数多くの「日本橋○○町」という町名は、中央区発足時の町名変更の名残りである。なお、京橋区側の町名はそのままとなった。
その後、戦災復興期の区画整理により日本橋呉服橋は八重洲一丁目に、1970年(昭和45年)以降の住居表示実施に伴う町名の統合により、日本橋芳町や日本橋北堀町などが隣接する既存の町名に変更され、日本橋を冠する町名の一部は消滅した。また、日本橋や東日本橋(旧:日本橋両国など)といった新しい町名が住居表示実施に伴い誕生した。1973年(昭和48年)、住居表示の実施により、「日本橋通」(一丁目 - 三丁目)と「日本橋江戸橋」(一丁目 - 三丁目)の2町を合併し現在の日本橋となった。
- 「日本橋」を冠する現町名
- 日本橋大伝馬町
- 日本橋蛎殻町一丁目 - 二丁目
- 日本橋兜町
- 日本橋茅場町一丁目 - 三丁目
- 日本橋小網町
- 日本橋小伝馬町
- 日本橋小舟町
- 日本橋富沢町
- 日本橋中洲
- 日本橋人形町一丁目 - 三丁目
- 日本橋馬喰町一丁目 - 二丁目
- 日本橋箱崎町
- 日本橋浜町一丁目 - 三丁目
- 日本橋久松町
- 日本橋堀留町一丁目 - 二丁目
- 日本橋本石町一丁目 - 四丁目
- 日本橋本町一丁目 - 四丁目
- 日本橋室町一丁目 - 四丁目
- 日本橋横山町
- 「日本橋」を冠さない現町名
観光[編集]
- 江戸三大祭り
- 日本橋の地域内に氏子を持つ、社格が高い3つの神社の例大祭で、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」と表した。日本橋北詰大半を範囲とする神田神社の神田祭、日本橋南詰全域を範囲とする日枝神社の山王祭、日本橋北詰東部を範囲とする富岡八幡宮の深川祭と共に規模の大きい祭りでにぎわいを見せている。
- 三井村
- 現在日本橋には三越や三井不動産を始めとする三井グループの本社が建ち並び、丸の内の三菱村と並ぶ三井村と言われている[18][19]。2005年には重要文化財である三井本館の隣に大型複合再開発ビル、日本初のマンダリン・オリエンタル東京も入居する日本橋三井タワー(三井新館)が開業した。
- 時の鐘跡
- 江戸時代、市中に時を告げるため鐘を撞いた所の旧跡で、本石町三丁目(現:日本橋室町四丁目)にあった。当時は江戸の9か所に時の鐘が設けられたが、本石町にあったこの時の鐘は一番初めに置かれたものといわれる。時の鐘は1873年まで用いられた。日本橋小伝馬町の十思公園には、1779年に造られた本石町の鐘が移されて残り、都の文化財に指定されている。
- 箱根駅伝
- 1999年以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しいと判断されたからである。
- 日本橋美人
- 日本橋を活性化する目的で2005年10月1日より発足した、「日本橋美人プロジェクト」にて外見の美しさだけを求めず内面の美しさも求めた女性を定義する語として誕生。提唱者は日本橋OLクラブ部会長の山田晃子。
創作物[編集]
日本橋もしくは同町を題材とした創作作品
- 絵画
- 『東海道五十三次之内 日本橋』:歌川広重の浮世絵。「#日本橋(橋梁)」に画像資料あり。
- 『木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪の曙』:渓斎英泉の名所絵(浮世絵)。画像について上に同じ[20]。
- 『熈代勝覧』:作者不明の絵巻物。
- 小説
- 民謡
- 『お江戸日本橋』
ギャラリー[編集]
-
日本橋付近の航空写真。橋は首都高速道路の真下にあり、空からは見えない。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
-
三越日本橋本店新館
日本橋 (町名)[編集]
| 日本橋 Nihonbashi |
|
|---|---|
| 国 | |
| 都道府県 | 東京都 |
| 特別区 | 中央区 |
| 地域 | 日本橋地域 |
| 等時帯 | JST (UTC+9) |
| 郵便番号 | 103-0027 |
東京都中央区の地名で、旧:日本橋区にあたる日本橋地域内である。
歴史[編集]
- 旧町名
- 日本橋通、日本橋江戸橋
地理[編集]
中央区日本橋地域の南部に位置し、日本橋南詰の町として古今賑わいを見せている。
施設[編集]
- 榮太樓總本鋪 本社
- オンワードホールディングス 本社
- コーセー 本社
- コーセーコスメニエンス 本社
- 国分グループ本社 本社
- 東海東京フィナンシャル・ホールディングス 本社
- 東日本銀行 本店
- 第一三共ヘルスケア 本社
- 三菱UFJメリルリンチPB証券 本社 - 日本橋一丁目三井ビルディング内
- メリルリンチ日本証券 本社 - 日本橋一丁目三井ビルディング内
- 第一三共 東京支店
- 武田薬品工業 東京本社
- 野村證券 日本橋本社
- 天藤製薬 東京営業所
- 東海東京証券 東京本部
- 柳屋ビルディング -柳屋本店創業の地
- 日本メナード化粧品関東支社[21] - 東京建物日本橋ビルディング内
観光[編集]
- タケダビル
- 高島屋日本橋店 - 日本橋駅直結、本館が重要文化財に指定された。
- 日本橋一丁目三井ビルディング(COREDO日本橋) - 商業複合施設、日本橋駅直結
- 日本橋西川
- 日本橋郵便局 - 日本における郵便発祥の地
- 榮太樓總本鋪 本店
- 丸善 日本橋店 - 日本橋丸善東急ビル内、日本橋駅直結
交通[編集]
- 首都高速道路・出入口
名称のローマ字表記[編集]
架橋の英字案内および中央区の正式な訓令式ローマ字表記としては 『Nihonbashi』 が使用されている(これと同様な訓令式の使用例は千代田区三番町・四番町が挙げられる)。日本橋地域の地名の中には、1つの地名の中に訓令式とヘボン式のスタイルが混ざっている表記の町名が存在する(例:Nihonbashi-odemmacho)。
ただし、地下鉄の駅名やJRの案内表示など、一部ではヘボン式ローマ字での表記 Nihombashi が使用されている。
脚注[編集]
- ^ あけ-むつ。夜明け頃のことで不定時法に基づく名称。
- ^ a b c 奇跡の地球物語 日本橋~世界に誇る名橋の真実~. テレビ朝日ネットワーク. テレビ朝日. 2011年3月20日放送.
- ^ a b c 日本橋の麒麟像東京都公文書館
- ^ a b c d 日本橋架橋百周年竹内誠(東京都江戸東京博物館館長)、まち日本橋第6号、2011年04月
- ^ 日本橋の焼失が記録されているのは1657年(明暦3年)、1682年(天和2年)、1698年(元禄11年)、1711年(正徳元年)、1716年(享保元年)、1772年(安永元年)、1806年(文化3年)、1829年(文政12年)、1846年(弘化3年)、1858年(安政5年)である。そのうち1711年と1858年が半焼で、残りの8回は全焼であった。 - 西山松之助「火災都市江戸の実体」『江戸町人の研究 第5巻』同編、吉川弘文館、1978年、P.57
- ^ “日本橋川・日本橋”. 日本橋川・亀島川・隅田川の徒歩と舟の旅. 2011年1月14日閲覧。
- ^ [けいざいフラッシュ:日本橋を洗って再生]毎日jp 2010年10月25日
- ^ “日本橋周辺のまちづくりと連携し、首都高速道路の地下化に向けて取り組みます。” (プレスリリース), 国土交通省道路局, (2017年7月21日) 2017年7月22日閲覧。
- ^ “日本橋周辺のまちづくりと連携し、首都高速道路の地下化に向けて取り組みます。” (プレスリリース), 東京都都市整備局, (2017年7月21日) 2017年7月22日閲覧。
- ^ “日本橋の真上を走る首都高が地下に 費用は数千億円(17/07/21)”. ANNニュース(YouTube) (Asahi News Network). (2017年7月21日) 2017年7月21日閲覧。
- ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 47.
- ^ a b c d ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 48.
- ^ 2005年(平成17年)12月に「美しい景観を創る会」(代表:伊藤滋〈早稲田大学教授〉)によって「悪い景観百景」の第1弾七十選の一つにも選定された。この一方、「日本橋よりも、日本の高度な土木技術史の象徴となった首都高速道路の方が歴史的価値が高い」との五十嵐太郎(東北大学助教授)からの反論がある[2006年(平成18年)11月20日付 読売新聞]。
- ^ http://www.mlit.go.jp/road/ir/kihon/15/s1.pdf
- ^ “日本橋の首都高を地下に 首相は具体化検討を指示”. 47NEWS (2006年9月15日). 2009年10月17日閲覧。
- ^ 斗鬼正一「橋から見た都市」『情報と社会 』(18)、江戸川大学、2008年、11頁。
- ^ 昭和22年東京都告示第149号。これと同様の町名変更には神田地区などがある。
- ^ 東京の三井村
- ^ “三井村”に野村不動産が殴りこみ!日本橋再開発で火花
- ^ 歌川広重・渓斎英泉の木曽海道六拾九次 - 江戸時代の旅について
- ^ 千代田区神田東紺屋町より拠点移動(移動前は東京支社だった。)
参考文献[編集]
- ロム・インターナショナル(編) 『道路地図 びっくり!博学知識』 河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。
関連項目[編集]
- 中央警察署- 同町周辺の管轄にあたる(所在地:日本橋兜町)
- 日本橋消防署 - 同町周辺の管轄にあたる(所在地:日本橋兜町)
- 東京15区
- ケルヒャー - 2011年4月の日本橋架橋100周年に合わせ、2010年10月にクリーニングプロジェクトを施行した。
外部リンク[編集]
- 中央区ホームページ
- 八重洲一丁目・日本橋地区 町名の由来 - 中央区ホームページ
- 古今・お江戸日本橋 日本橋“町”物語
- 日本橋 - 古今・お江戸日本橋 日本橋“町”物語
- 東京国道事務所
- 日本橋・日本国道路元標 - 中央区観光協会
- 日本橋美人“Japan Beauty from Edo-Tokyo” - 東京中央ネット
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