日本大学藤沢高等学校・中学校

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日本大学藤沢高等学校・藤沢中学校
地図北緯35度22分46秒 東経139度28分8.9秒 / 北緯35.37944度 東経139.469139度 / 35.37944; 139.469139座標: 北緯35度22分46秒 東経139度28分8.9秒 / 北緯35.37944度 東経139.469139度 / 35.37944; 139.469139
過去の名称 日本大学農林高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人日本大学
併合学校 日本大学横須賀高等学校
校訓 健康、有為、品格
設立年月日 1949年昭和24年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D114320500057 ウィキデータを編集(高等学校)
C114320500068 ウィキデータを編集(中学校)
高校コード 14553A
所在地 252-8505
神奈川県藤沢市亀井野1866番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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日本大学藤沢高等学校・藤沢中学校(にほんだいがくふじさわこうとうがっこう・ふじさわちゅうがっこう)は、神奈川県藤沢市亀井野にある私立中学校高等学校

日本大学正付属校で、生物資源科学部(旧・農獣医学部)併設校。通称は「日大藤沢」、略称「日藤」(にちふじ)[1]

概要[編集]

部活動が盛んであり、全国大会出場経験もある(野球部・サッカー部等)。1990年選抜高校野球に初出場して初戦を突破、1995年には夏の甲子園に出場して、その年のセンバツ優勝校である観音寺中央にサヨナラ勝ちした。1998年に選抜出場し、元ヤクルト館山昌平を擁してベスト4に進出した。2007年にも選抜出場。サッカー部も平成29年度高校総体で準優勝。水泳部も2018年と2019年高校総体で女子が優勝。

開校時から男女共学である。1970年代までは極端に女子生徒が少なかったが、1980年以降女子生徒が急増した。

校舎は2001年度に新築されたもので、冷暖房が完備されている。

開校60周年を記念して、2009年4月には、日本大学藤沢中学校を併設した。

2012年9月より新たな中学校校舎の使用が始まった。NFグラウンドというトラックと人工芝を兼ねたグラウンドができ、サッカーやラグビーの大会等で使われている。

沿革[編集]

前史

以下 (沿革節の主要な出典は公式サイト[5]


本校は、今を遡ること140有余年前、初代司法大臣日本大学学祖山田顕義伯爵(称号)<大日本帝國陸軍中尉正二位勲一等旭日桐花大綬章>により、明治15年1882年)創設開黌された日大の前身「皇典講究所」に、明治21年1888年)文学科農業課程が設置開黌、昭和12年1937年)3月創立の 旧制日本大学法文学部専門部拓殖科生物資源科学部の礎)を源流とし、戦後の混乱未だ治まらない昭和24年1949年)に創設、幾多の困難を乗り越え現在に至るまで、日大伝統を脈々と正しく受け継ぐ由緒ある日本大学正付属校であるのは史実が明確に記す所以である。

交通[編集]

著名な出身者[編集]

野球選手[編集]

サッカー選手[編集]

ラグビー選手[編集]

柔道家[編集]

芸能関係[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 昭和20年代~40年代は「藤高」(ふじこう)・「日大藤高」と教諭・事務職員・在校生・卒業生・日本大学学内外で広く永きに渡り愛称されていた。
  2. ^ 更に遡ること明治21年(1888年)に日大の前身「皇典講究所」文学科に農業課程が設置された。
  3. ^ 古代より染料、生薬として使われていた「ムラサキ」がこの地亀井野一帯に多数繁殖自生していた。
  4. ^ 1942年昭和17年3月10日高座郡六会村藤沢市へ編入された為、表記変更。
  5. ^ 沿革/校歌”. 日本大学藤沢高等学校・藤沢中学校. 2019年1月24日閲覧。
  6. ^ 1949年昭和24年)に横須賀市馬堀陸軍重砲兵学校跡地に創設されたが、わずか2年で廃止された(日本大学百年史編纂委員会 『日本大学百年史』 第三巻、571頁)
  7. ^ 1983年昭和58年)、1984年昭和59年)入学の男子生徒は詰襟のまま卒業。従って1987年昭和62年)年3月の卒業式を以て詰襟学生服終了。
  8. ^ 2009年平成21年)にも男女ともブレザーのデザイン変更。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]