フィリピン第二共和国
- フィリピン共和国
- Repúbliká ng Pilipinas
República de Filipinas -
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1943年10月14日 - 1945年8月17日
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(国旗) (国章) - 国の標語: Kapayapaan, Kalayaan, Katarungan
(タガログ語: 平和、自由、正義) - 国歌: 最愛の地

フィリピンの位置-
公用語 タガログ語、スペイン語、日本語 首都 マニラ
バギオ通貨 ペソ 現在
フィリピン
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フィリピン第二共和国(フィリピンだいにきょうわこく)は、日本軍がアメリカ植民地フィリピンを占領した後の1943年10月14日に独立を宣言したフィリピンの現在における呼称である[1]。正式国名はフィリピン共和国(タガログ語: Repúbliká ng Pilipinas)。
経緯[編集]
1899年にフィリピンはエミリオ・アギナルド大統領のもとでフィリピン第一共和国を建国したが、独立を認めないアメリカ合衆国と激しい戦いを行った後(米比戦争)、アメリカ軍に鎮圧され解体された。米比戦争中にはフィリピン政府は武器を調達するためにマリアーノ・ポンセを日本に派遣したり、日本人志士たちがフィリピン独立を支援するために独立戦争に身を投じるなど日比関係が築かれていた。フィリピン第一共和国崩壊後は、アルテミオ・リカルテ将軍は日本に亡命し、フィリピン独立の機会に備えていた。
太平洋戦争が勃発し、1942年1月2日に日本軍がフィリピンに上陸すると、アメリカ合衆国の植民地であるフィリピン・コモンウェルスのマニュエル・ケソン大統領は、首都マニラを無防備都市であると宣言し、ホルヘ・B・バルガス(en)をマニラ市長として残して脱出した。日本軍はコレヒドール島の戦いの後、1942年5月6日にフィリピンを完全に制圧した。本間雅晴中将はフィリピン・コモンウェルスを解体し、フィリピン行政委員会(en)という臨時政府をバルガスを第一議長に据えて設立した。政党は党派色の無いカリバピ(en)に取って代わられた(KALIBAPI又はKapisanan sa Paglilingkod sa Bagong Pilipinasという名称は、タガログで「新比島建設奉仕団」という意味)。カリバピの長官はベニグノ・アキノ(en)(後に暗殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアの父。第15代大統領ベニグノ・アキノ3世の祖父)だった。また、リカルテはフィリピンに凱旋すると親日武装組織マカピリを組織した。アメリカによって失脚させられた初代大統領のアギナルドも日本を支援した。
独立[編集]
1943年9月4日、フィリピン国会議事堂では特別全島代表者会議(ホセ・ラウレルを中心とする独立準備委員会やカリバピなどで構成)によってフィリピン憲法草案が提出され、9月7日に可決された[2][3][4][5]。 1943年9月20日までに、各地域の議会や市議会でのカリバピの代議員が、職権上兼帯するメンバーとして54人の知事と市長と彼ら自身の中からフィリピン下院(国会)の54人の議員を選んだ。 1943年9月20日、ラウレルを首班とする独立準備委員会が結成された[3]。9月25日には国会でラウレルを大統領に選出することが満場一致で可決された[3]。9月30日にはラウレル独立準備委員会委員長を始めとするフィリピン政府首脳が東京を訪れ、東條英機首相を始めとする日本政府首脳と会談を行った[3]。この際、対日協力の功績により、ラウレル、バルガスに対し勲一等旭日大綬章、アキノに対し勲二等瑞宝章が授与された[6]。
1943年10月14日午前9時45分、マニラの国会議事堂前広場で独立旗記念式典が盛大に行われた[1]。比島派遣陸軍最高指揮官黒田重徳中将はバルガス行政府長官に軍政の撤廃を通達した[1]。式典ではラウレル大統領が、勲一等旭日大綬章を佩用して就任演説を行なった[1][7]。
1943年11月5日には東京で開かれた大東亜会議に独立国家として参加した。
アメリカ軍が再びフィリピンを占領するとフィリピン第一共和国のときと同様に瓦解することとなった。ラウレル大統領らは山下奉文大将の助言で1945年3月末、命からがらフィリピンを脱出し、台湾経由で日本へ亡命した。同年8月15日に日本が降伏すると、その2日後の8月17日にラウレルは第二次共和国の解散を宣言した。
関連項目[編集]
注釈[編集]
- “写真週報 第293号”. 内閣情報局 (アジア歴史資料センター). (1943年10月13日) 2010年10月13日閲覧。
- “写真週報 第295号”. 内閣情報局 (アジア歴史資料センター). (1943年10月27日) 2010年10月13日閲覧。
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