日本におけるアメリカ軍機事故の一覧

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日本におけるアメリカ軍機事故の一覧(にほんにおけるあめりかぐんきじこのいちらん)では、アメリカ軍軍用機やアメリカ軍がチャーターした飛行機が日本国内で起こした墜落事故など航空事故についての概要を発生年月日順に表示する。なお、返還前の沖縄県にて発生した米軍の航空機事故についても併せて記載する。

目次

日本におけるアメリカ軍機事故の概要[編集]

第二次世界大戦の終戦のあと、連合国軍を構成する1国としてアメリカ軍が駐留し、国内各地に航空基地を持つに至った。こうして日本の空を数多くの米軍機が飛ぶようになったがそれと合わせて日本国内での米軍機の事故も多発することとなった。

例をあげると1956年(昭和31年)2月4日付の読売新聞に昭和28年度から30年度までの3年間の米軍機の墜落機数と不時着機数が以下のとおり掲載されている。

  • 昭和28年度 - 墜落15機(うちジェット機10機)、不時着12機
  • 昭和29年度 - 墜落30機(うちジェット機23機)、不時着8機
  • 昭和30年度 - 墜落23機(うちジェット機15機)、不時着13機

上記の数字はあくまで墜落や不時着だけのものであり、この他にも増槽の投棄など、落下物の被害も少なくなかった。

米軍機の墜落などにより日本人の身体や財産に被害が生じた場合には日米行政協定第18条により米軍から補償を受ける権利があるが、米軍が公務中の事故の場合は補償額の75パーセントを米軍、25パーセントを日本政府がそれぞれ分担して支払うこととなっている。被害額が調達庁の調査で決まると、まず日本政府が全額立替払いするがこの補償額が低いと問題になっていた。

前述の読売新聞の記事によれば、死亡した者についてはその死者の日収の1000日分で上限100万円まで。子供や年寄りなど無職の者に対しては一律20万円となっている。これは「タクシーに轢かれて死んだ場合の30万円より安い」と書かれていることからかなり低い額となっていた。その後、上限額が100万円から150万円に引き上げられたり、死者の遺族に配偶者がいる場合は1名あたり10万円が加算されるなど、ある程度は改善されたが依然として安い金額であることに変わりはなかった。

なお、1972年(昭和47年)にアメリカによる統治が終わった沖縄県では、復帰以降の米軍航空機関連の事故は2012年(平成24年)12月末現在で540件(うち墜落43件)発生していることが報告されている[1]

1940年代[編集]

1945年(昭和20年)[編集]

1946年(昭和21年)[編集]

1947年(昭和22年)[編集]

  • 5月31日 - 朝鮮から厚木基地へ向かい飛行していた乗員8名のC-54輸送機が、厚木基地西方の山に墜落し全員死亡した。墜落現場は飛行機も犠牲者も原形を留めぬ状態だったという。
  • 7月14日 - 横田基地を離陸したA-26攻撃機がエンジン故障を起こし、多摩川鉄橋を通過中の八高線の列車に接触して1両が河原に転落した。4名が死亡した[5]

1948年(昭和23年)[編集]

1949年(昭和24年)[編集]

  • 1月8日 - 兵庫県西宮市上空で2機の爆撃機が接触、同市内の工場にB-26爆撃機1機が墜落。乗員2名と工員3名が死亡し、26名が重軽傷者を負った[7][8]
  • 3月6日 - 那覇から立川基地へ飛行していたC-46輸送機が墜落。乗員12名のうち6名死亡、2名死亡、その他は行方不明となった。
  • 4月1日 - B-26爆撃機が富士山の標高約2900メートル付近に衝突して大破。乗員4名全員が死亡。

1950年代[編集]

1950年(昭和25年)[編集]

1951年(昭和26年)[編集]

  • 2月8日 - 山口県岩国市室の木で米軍機が焼夷弾を誤投下[6]
  • 5月10日 - 福岡県福岡市二又瀬(現在の東区内)の市街地にジェット戦闘機が墜落し、乗員1名と地上にいた11名が死亡[11]
  • 8月1日 - 山口県岩国市柱島に米軍機が500ポンド爆弾6個を誤投下[12]
  • 9月27日 - 神奈川県小田原市の上空で立川基地へ向かうC-46輸送機(機体番号44-77713)と、同じく立川基地へ向かうC-119輸送機(機体番号49-169)が接触して双方とも墜落。このうちC-46輸送機は足柄上郡寄村(現松田町)にある丹沢山系の五佐原山の中腹に墜落し乗員14名全員が死亡、C-119輸送機は同郡三保村(現山北町)の玄倉川の上流付近に墜落しこちらも乗っていた14名全員が死亡した[13][14][15]
  • 10月 - 沖縄の那覇市に米軍機の増槽が落下して住民6名死亡。
  • 11月5日 - 立川基地を離陸しようとしたF-80戦闘機が、離陸に失敗し立ち木に翼が接触し墜落炎上。操縦士1名が死亡した。
  • 11月18日 - 横田基地を離陸したB-29爆撃機が離陸直後に東京都北多摩郡砂川村(現立川市)へ墜落し、周辺の都営住宅や工場の社宅・民家を巻き込んで炎上した。さらに積んでいた爆弾が誘爆し3戸を全焼し26戸が全半壊、基地の消防隊員10名と地上にいた住民5名が死亡、住民20数名が負傷した。爆弾の爆風が凄まじく、4キロメートル四方の700戸の家々で窓ガラスが割れたり雨戸が落ちるなどの被害が出た。米軍は墜落現場から半径1キロメートルの住民に対して避難勧告を出した[16]

1952年(昭和27年)[編集]

1953年(昭和28年)[編集]

  • 1月26日 - 静岡県御殿場で小型連絡機が墜落し2名死亡。
  • 2月13日 - 大分飛行場を離陸したSA16型機が門司烏山の山中に墜落し乗員7名が死亡。
  • 2月27日 - 気象観測のため飛行していたB-29爆撃機から全乗員7名が埼玉県所沢市付近の上空でパラシュートで脱出し機体を放棄。無人のB-29爆撃機はそのまま相模湾まで迷走飛行したのちに伊豆大島から約25キロメートルほど離れた海上に墜落。
  • 3月17日 - 北海道夕張市滝ノ上上空でF-84戦闘機2機が接触して墜落し2名死亡。
  • 6月18日 - 立川基地を離陸したC-124輸送機が墜落し、乗員と搭乗者129名全員が死亡、地上の住民1名が負傷した[20]
  • 6月23日 - 芦屋飛行場を離陸した双胴輸送機が山口県の角島の西約28キロメートルの海に墜落し、乗組員7名が行方不明となった。
  • 7月27日 - 長崎県の対馬に小型ジェット機が墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し海に降下したところを漁船に救助された。
  • 7月29日 - 日本海B-50爆撃機が墜落。米軍は墜落地点の海域を捜索したが、搭乗員16名は行方不明のまま7月31日10時に捜索を打ち切った。
  • 8月13日 - 神奈川県鎌倉市沖約3キロメートルの海上に双発機が墜落。乗員1名は無事で漁船に救助された。
  • 8月14日 - 静岡県田方郡函南村(現函南町)丹那の玄岳に単発機が激突し乗員1名死亡。
  • 8月17日 - 千歳基地を離陸したジェット機が北海道苫小牧市沖約9キロメートルの海に墜落し1名死亡。
  • 8月24日 - 沖縄から横田基地へ向かう途中のB-29爆撃機がエンジン故障により飛行できなくなり、神奈川県津久井郡内郷村(現相模原市)の上空で全乗員13名のうち9名が飛行機を放棄してパラシュートで脱出し、内郷村に無事降下した。残り4名のうち3名もその後にパラシュートで脱出して同郡青野原村(現相模原市)に降下して生還したが、1名が行方不明となった。その後、B-29爆撃機は東京都西多摩郡檜原村藤原白岩にある犬掛山の山腹に墜落して大破炎上した。
  • 8月26日 - 板付空港(現福岡空港)を離陸したF-80戦闘機2機が空中で接触し、博多湾外の地ノ島付近に2機とも墜落し1名死亡。
  • 8月27日 - 東京都と埼玉県の都県境付近を飛行していたB-29爆撃機で火災事故が発生し、全乗員7名が飛行機を放棄してパラシュートで飛び降りた。このうち4名は埼玉県所沢市に無事に降下。飛行機は無人のまま飛び続け相模湾へ出たのち伊豆大島の近くに墜落した。
  • 9月4日 - 木更津基地を離陸したF-86戦闘機5機が悪天候により燃料切れとなり全機墜落。
  • 11月1日 - 北海道千歳郡千歳町(現千歳市)で連絡機が墜落。乗員1名重傷。
  • 11月26日 - 岩国基地から美保基地へ飛んでいたC-46輸送機が日本海に墜落。乗員30名は全員助かった。
  • 12月19日 - 小牧飛行場で火災を起こしたB-29爆撃機が炎上したまま不時着し大破。2名死亡。

1954年(昭和29年)[編集]

1955年(昭和30年)[編集]

1956年(昭和31年)[編集]

  • 2月3日 - 愛知県名古屋市千種区の住宅にT-33練習機が墜落。住民1名が負傷。乗組員2名は空中で脱出したものの、パラシュートが開かず墜落して死亡。
  • 2月3日 - 東京都葛飾区にある新小岩駅北口から100メートルほど離れた商店街にFJ-2戦闘機が墜落。民家5戸が全焼し住民4名の重軽傷者を出した。住宅密集地で発生した事故でありながら、幸いにも住民に死者は出なかった。戦闘機の乗員1名は死亡した。
  • 3月1日 - 8時20分ごろ、横浜市戸塚区汲沢の民家の庭先に厚木航空隊所属のジェット機が墜落。墜落地点には直径15メートル、深さ8メートルほどの穴ができた。乗員1名死亡、民家2軒が一部損壊[18][21]
  • 5月5日 - 名古屋市内の畑にF-86D戦闘機が墜落し乗員1名死亡。
  • 5月22日 - 埼玉県入間郡坂戸町(現坂戸市)の民家にジョンソン基地を飛び立ったF-86戦闘機が墜落し4歳の幼児が即死。乗組員は負傷。
  • 6月25日 - 神奈川県秦野市の農家にジェット機が墜落し物置や牛舎などを全焼。パイロットはパラシュートで脱出し、平塚海岸に無事降下した[18]
  • 6月27日 - 茨城県下館市(現筑西市)下平塚の上空で厚木基地のAD型単発式練習機が爆発し墜落。パイロットはパラシュートで脱出したが火傷を負った。
  • 7月20日 - 福岡県門司市(現北九州市門司区)の沖約9キロメートルの海上にC107型輸送機が墜落し4名死亡。
  • 9月5日 - 名古屋市の上空で小牧基地を飛び立ったF-84戦闘機とF-86戦闘機が接触し、F-84戦闘機は同市北区中富町に墜落、F-86戦闘機は同市西区天塚町に墜落した。乗員1名はパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう1名は死亡。
  • 9月11日 - 島根県隠岐島RB-50観測機が墜落。
  • 9月28日 - 岡山県高梁市落合町の秋葉山中腹に、岩国基地所属の単発低翼機が墜落炎上、乗員1名が焼死した。後に、高梁市消防団が現場近くに慰霊碑を建立した。
  • 11月6日 - 神奈川県相模原市磯部の桑畑に座間基地を飛び立ったビーチクラフト機が墜落し大破。乗員は重傷を負った[22]
  • 11月8日 - 栃木県下都賀郡間々田町(現小山市)平和農の雑木林にF3D戦闘機が墜落し爆発炎上。農家3棟を焼いて3名が火傷を負った。乗員は助かった。
  • 11月9日 - 千葉県君津郡清和村(現君津市)東日笠に厚木基地のジェット機がエンジン故障で墜落し、付近の住民1名が負傷。乗員1名はパラシュートで脱出し無事だった。
  • 11月23日 - 東京都南多摩郡忠生村(現町田市)下小山田の雑木林に厚木基地の小型海軍機が墜落し乗員1名死亡。
  • 12月28日 - 埼玉県飯能市高山に横田基地から飛び立ったWB-50気象観測機が墜落。この事故で農家裏の大木が倒れて農家を直撃し1名が死亡した。また墜落機は火災を起こし、近くにあるキャンプ場の高山展望台バンガローなど5棟を焼いた。乗員11名のうち9名が死亡、2名重傷。

1957年(昭和32年)[編集]

  • 1月29日 - 岐阜県大野郡の山林に米軍機が墜落し1名死亡。
  • 2月8日 - 厚木基地で双発機が離陸直後に墜落し炎上。乗員3名死亡。
  • 2月18日 - 東京都台東区坂本町1丁目の民家の屋根にジェット機の車輪格納庫の部品が落下。そのすぐ後に荒川区日暮里町1丁目でも路上に駐車していた小型トラックの屋根に米軍機の部品が落下。続いて同区浅草石浜町2丁目の路上にも米軍機の部品が落下した。これらの落下物は全て同じ米軍機によるもので、車輪格納庫カバーが風で壊れてめくれあがり、風圧で次々と剥がれ落ちたためと推察された。この米軍機は墜落せず、厚木基地に着陸した。
  • 2月26日 - 福岡県福岡市F-100戦闘機C-47輸送機が衝突した。この事故により民家2戸が全焼し、乗員3名が死亡した。
  • 3月12日 - 羽田空港を離陸したC-47輸送機が、10時40分ごろに新潟市の上空から位置報告したのを最後に消息を絶つ。この飛行機は後日長野県の白馬岳に墜落しているのが発見され、乗員4名全員が死亡しているのが確認された。
  • 3月12日 - 横田基地を離陸したKB-50空中給油機ウェーク島に向かう途中で行方不明。
  • 3月22日 - カリフォルニア州にあるトラヴィス空軍基地からウェーク島を経て横田基地へ飛行していたC-97輸送機が、八丈島の370キロメートル東方で墜落。米軍人の家族など合計67名が乗っていたが全員死亡した[23]
  • 3月29日 - 三沢基地所属のF-86戦闘機太平洋に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したがそのまま行方不明となった。
  • 4月22日 - 福岡県八幡市(現北九州市八幡東区)河内上奥田の山中にC-119輸送機が墜落。乗員4名死亡。
  • 4月22日 - 福岡県八幡市(現北九州市八幡西区)市瀬の山中に、同日に発生した事故の捜索のために出動したH191型ヘリコプターが墜落し、天狗岩と呼ばれる岩山の壁に激突して大破。乗員3名のうち1名死亡、2名重傷。
  • 4月27日 - 静岡県田方郡上大見村(現伊豆市)地蔵堂の万三郎岳ビーチクラフト機が墜落し乗員4名全員死亡。
  • 5月7日 - 神奈川県高座郡綾瀬町(現綾瀬市)蓼川の麦畑にジェット機が墜落し大破。乗員1名重傷[18]
  • 5月8日 - 静岡県賀茂郡南伊豆町波勝崎の沖約15キロメートルの海にKB-50空中給油機が墜落。乗員8名のうち2名は近くにいた漁船に救助されたが、6名は行方不明となった。
  • 5月27日 - 岩国基地の沖約1キロメートルの海上にAD-6攻撃機が墜落[12]
  • 6月15日 - 山口県岩国市の今津川河口より東へ約1キロメートルの瀬戸内海でAD-6攻撃機が墜落[12]
  • 6月22日 - 熊本県玉名市上空を飛行していたF-86戦闘機2機が接触し2機とも墜落した。乗員2名が死亡。
  • 7月19日 - 横浜市港北区(現緑区)小山町の畑にジョンソン基地を飛び立ったジェット機が燃料切れで墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し無事だった[18]
  • 7月25日 - 神奈川県高座郡大和町(現大和市)下鶴間に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名死亡。
  • 8月3日 - 茨城県那珂湊市(現ひたちなか市)で自転車に乗っていた母子(当時63歳と24歳)が、水戸補助飛行場から離陸後超低空で飛行してきたL-22単発連絡機に接触されて母親は胴体を切断されて即死。息子は腹部に重傷。
  • 8月29日 - 岩国基地所属のAD-6攻撃機が羽田空港で離陸に失敗して墜落。飛行機は大破炎上し乗員1名重傷。
  • 10月15日 - 沖縄を飛び立ち鹿屋基地へ向っていたA3D攻撃機が、鹿児島県揖宿郡山川町にある山川港の沖約15キロメートルの海に墜落。乗員3名はパラシュートで脱出し無事だった。
  • 10月20日 - 横浜市戸塚区瀬谷町上瀬谷にある厚木街道の三叉路の近くに、ジョンソン基地所属のB-57爆撃機が火を吹きながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事だったがもう1名は死亡した[18]
  • 10月28日 - 山口県岩国市阿品でAD-6攻撃機が爆弾を誤投下[12]
  • 11月8日 - 埼玉県狭山市上奥富地内にある入間川の河原にジョンソン基地所属のB-57爆撃機が墜落し炎上。乗員2名死亡。
  • 12月12日 - 東京都八王子市犬目町の山に横田基地に着陸するため高度を下げて飛行していたC-46輸送機が送電線に接触して墜落。乗員5名全員死亡。
  • 12月29日 - 高知県足摺岬南方の太平洋上で飛行訓練していた米軍機が海に不時着。乗員2名が死亡。

1958年(昭和33年)[編集]

  • 1月25日 - 岩国基地を飛び立ったF-84G戦闘機3機が離陸直後に空中で相次ぎ接触し、門前川河口から2.5キロメートル沖の瀬戸内海に墜落。乗員3名死亡[12]
  • 2月8日 - 東京都八王子市小比企町にある多摩少年院近くの麦畑に、板付基地を離陸し横田基地に向かっていたT-33練習機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出して1名は無事に降下したが、1名は腕を骨折する重傷を負った。
  • 3月6日 - 横浜港沖の東京湾F9F戦闘機が公開訓練中にロケット弾発射のため急降下したところ、そのまま機首上げできずに東京湾に墜落。乗員1名死亡。
  • 3月7日 - 沖縄の那覇市南方の海でR4Q輸送機とレーダー哨戒機が空中衝突し両機とも墜落。
  • 3月16日 - 東京都北多摩郡田無町(現西東京市)の大同機械株式会社の工場近くの畑に、立川基地所属のT-33練習機が炎上しながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事に降下したが1名は死亡した。
  • 4月6日 - 岩国基地の沖約3.2キロメートルの海上にP5M飛行艇が墜落[12]
  • 4月7日 - 岩国基地の沖約2.5キロメートルの海上にヘリコプターが墜落[12]
  • 6月7日 - 広島県大竹市にある阿多田島F9戦闘機が墜落[12]
  • 6月12日 - 板付基地を離陸したジェット戦闘機が山口県長門市仙崎の沖約28キロメートルの海上に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し無事。
  • 6月12日 - 板付基地を離陸したジェット戦闘機が五島列島福江島から約28キロメートル離れた海上に墜落。乗員1名が死亡。
  • 6月13日 - 山口県岩国市でヘリコプターが高圧線を切り愛宕橋南側の川洲に墜落[12]
  • 7月8日 - 横田基地を離陸したC-47輸送機が離陸直後にエンジンが故障して墜落。乗員2名死亡。1名負傷。
  • 7月25日 - ジョンソン基地を離陸したB-57爆撃機が埼玉県狭山市入間川にある豆腐業を営む民家の屋根に接触して墜落。この事故により民家8戸が全半焼し、住民1名と乗員1名が死亡、7名が重軽傷を負った[24]
  • 8月26日 - 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現伊方町)川之浜の南方約4キロメートルの海上に岩国基地所属のA-1攻撃機が墜落。
  • 8月31日 - 神奈川県横浜市神奈川区神大寺にある住宅地裏手に厚木基地所属のFJ-4戦闘機が東京湾方面より飛来し、そのまま墜落し大破炎上。これにより民家2戸全壊、4戸半壊、人的被害として住民1人が重傷、7人が軽傷を負い、戦闘機のパイロットが死亡した[25][26]。墜落現場は直径15メートルもの大穴が開いて破片は100メートル四方に飛び散った。これだけの事故でありながら住民に死者が出なかったのは不幸中の幸いと言える。
  • 9月9日 - 神奈川県厚木市七沢にある丹沢山系大山の北東側斜面に、米軍がチャーターしウェーク島から東京へ向って飛行していたフライング・タイガー航空の旅客機ロッキード コンステレーションが墜落。パイロット客室乗務員など乗員8名全員が死亡した[18]
  • 10月29日 - 茨城県猿島郡岩井町(現坂東市)の上空で、第16飛行隊に所属するジェット機2機が接触し相次いで墜落した。この事故で畑仕事をしていた20歳の農夫1名に事故機の部品が直撃し怪我を負った。
  • 12月23日 - 埼玉県北足立郡朝霞町(現朝霞市)のキャンプ・ドレイクに所属する陸軍の兵士1名が、クリスマス休暇を利用して調布飛行場にてセスナ機を借り東京湾方面へフライトしたところ、東京都江東区東雲の10号埋立地沖の東京湾に墜落。兵士は重傷を負い病院へ搬送された。

1959年(昭和34年)[編集]

  • 1月 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が、軍用ジープの投下訓練中に投下目標地点から遠く離れた一般住民の住む地域に誤投下した。幸いに怪我人などは出なかった。
  • 3月10日 - 群馬県甘楽郡下仁田町栗山にある久保山の頂上付近にT-33練習機が墜落した。パイロットはパラシュートで脱出したが足に怪我を負った。
  • 3月30日 - 埼玉県狭山市入間川地内入間川に架かる新富士見橋の上流約100メートルの地点に、ジョンソン基地から飛び立ったT-33練習機がエンジン故障で墜落し乗員2名が即死。付近の民家に被害はなかった。
  • 5月20日 - 硫黄島から芦屋基地に飛来したC-130輸送機が、着陸に失敗し同基地内の兵舎に激突。この事故で死者2名、負傷者12名、火傷2名。
  • 6月30日 - 沖縄の石川市(現うるま市)にある石川市営宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)に嘉手納飛行場を離陸した空軍のF-100D戦闘機が墜落し爆発炎上。エンジントラブルのためパイロットは機体を放棄してパラシュートで脱出したが、無人となった戦闘機は小学校周辺の住宅地に墜落した後、付近の民家を巻き込みながら小学校へと激突した。この事故により小学生11名を含む民間人17名が死亡、210名(うち小学生156名)が重軽傷を負った[27][28][29][30][注 2]
  • 9月24日 - 神奈川県藤沢市にある藤沢飛行場CIA所属のU-2偵察機が胴体着陸してオーバーラン。不時着の原因は燃料切れによる。
  • 10月2日 - 愛知県海部郡十四山村(現弥富市)で、伊勢湾台風の被災者の救出活動を行っていたヘリコプターが墜落。救助しようとしていた被災者2名が死亡、パイロット1名が重傷。
  • 10月5日 - 和歌山県潮岬南方約270キロメートルの太平洋上で、空母ミッドウェイ所属のF3H戦闘機2機が空中で接触し墜落。
  • 10月24日 - 茨城県那珂湊市(現ひたちなか市)にある米軍射爆場の沖合で、ジョンソン基地所属の戦闘機1機が海に墜落。
  • 12月22日 - 厚木基地を離陸したジェット戦闘機が、離陸直後に誤ってAIM-7スパロー・ミサイルを落下させた。安全装置がかかっていたので爆発の危険はなかったが、基地の外の道路を歩いていた工員のすぐ近くにミサイルが落下し、落下時に飛び散った破片などで3名が負傷した[13]

1960年代[編集]

1960年(昭和35年)[編集]

1961年(昭和36年)[編集]

  • 1月11日 - 神奈川県厚木市妻田にある麦畑に海軍所属のジェット機が墜落して大破。乗員はパラシュートで無事に脱出[33]
  • 1月11日 - 八丈島の南東約100キロメートルの太平洋上に、1人が乗った海軍所属のF4D戦闘機が墜落。墜落前に無線で脱出するとの連絡があったため、その後数日間にわたり米軍や海上保安庁が付近の海域を捜索したが乗員は見つからなかった。
  • 1月18日 - 10時15分ごろ、神奈川県大和市上草柳の相模鉄道本線相模大塚駅から東へ約600メートル離れた線路脇に、離陸直後の厚木基地所属のA4D攻撃機が、基地北側のフェンスに張られた鉄線に車輪を接触させたために墜落し大破炎上。乗員1名が逃げ遅れて機内で焼死した[13][33]。この事故で架線や線路が損傷したため相鉄本線は運行できなくなり、復旧するまで5時間ほどかかった。また電話回線も切断されため付近一帯で電話が使えなくなった。
  • 3月22日 - 茨城県那珂郡東海村照沼原の畑に米軍機の模擬爆弾が落下した。落下地点からわずか15メートル離れた場所では住民2人が農作業中だったが幸いに無事だった。この爆弾は地中4 - 5メートルの深さにまで突き刺さっており、現場検証にきた米軍は「模擬爆弾だから爆発の危険はないし、深く刺さっているから掘り起こすのが大変だ」との理由でこの模擬爆弾の撤去作業を拒否した。
  • 4月21日 - 岩国海兵隊航空基地所属のA4D攻撃機が厚木基地を離陸直後に高圧電線に接触、藤沢市高倉の民家に墜落。パイロットと住民1人が死亡、2人が負傷した[25]
  • 4月24日 - 静岡県吉原市(現富士市)の沖に空母レキシントン所属のF-4D戦闘機が墜落。
  • 6月3日 - 東京都青梅市上成木下分二本竹にある雑木林に、横田基地を離陸したジョンソン基地所属のF-102戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出したが、うち1名は脱出時の高度が低かったためパラシュートが完全に開く前に地面に激突して死亡した。
  • 6月23日 - 伊豆大島波浮港より南へ約11キロメートル離れた太平洋にB-57爆撃機が墜落。
  • 9月6日 - 茨城県内で米軍のP33機から増槽が落下。民家の屋根に落ちたあと転がって民家の庭先で遊んでいた6歳の児童の上に落下し児童は即死した。
  • 11月2日 - 神奈川県中郡大磯町の南約11キロメートルの相模湾に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名は墜落後にゴムボートで漂流したが無事に立川基地のヘリコプターに救助された[33]
  • 11月20日 - 長野県東筑摩郡麻績村叶里の農家横の桑畑に厚木基地所属のF-4D戦闘機が火を吹きながら墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したが地上降下後に死亡した。
  • 11月20日 - 茨城県那珂湊市(現ひたちなか市)にある米軍射爆場を飛行中のB-57爆撃機が、射撃の訓練中に誤って付近の繁華街へ向けて20ミリ機関砲を誤射。これにより同市釈迦町の旅館やその近辺の民家8軒などに多数の砲弾が打ち込まれた。この事故により民家の屋根瓦や窓ガラスなどが破損した。現場から警察と住民が合計13発の20ミリ機関砲弾を回収した。この事件では幸いに死者やけが人は出なかった。
  • 11月27日 - 神奈川県横浜市戸塚区瀬谷町本郷3丁目の民家の近くにA4D攻撃機が墜落。乗員1名はパラシュートでの脱出を試みたがパラシュートが開かず、地面に激突して即死[33]
  • 12月7日 - 沖縄の具志川村(現うるま市)川崎に米軍のジェット機が墜落。住民2名が死亡、4名が重軽傷を負った[34][35]
  • 12月7日 - 福岡県福岡市香椎にある民家にF-100戦闘機が墜落。墜落現場のすぐ近くにあった民家3戸は事故機から飛び散ったジェット燃料を浴びて瞬く間に炎上、家の中にいた3名が焼死し、3日後に病院に運ばれていた住民1名も死亡。最終的にこの事故による一般人の死者は4名となった。パイロットは墜落前にパラシュートで飛行機から脱出したものの負傷した。

1962年(昭和37年)[編集]

  • 4月11日 - 三沢基地所属のT-33練習機が青森県上北郡で畑に墜落し2名死亡。
  • 5月24日 - 埼玉県秩父郡横瀬村(現横瀬町)芦ケ久保にある北根入山の山腹に、立川基地を離陸したC-124輸送機が墜落し乗員7名全員が死亡した。
  • 6月21日 - 三沢基地を離陸したF-100戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こして行方不明となり、翌朝東津軽郡平内町と上北郡野辺地町の境界にある烏帽子岳に墜落しているのが発見された。
  • 8月11日 - 11時30分ごろ神奈川県大和市上草柳で厚木基地を離陸したA4D攻撃機が県道を走っていたトラックに接触したのち、相模鉄道相模大塚駅から約500メートル離れた線路の架線にも接触して墜落。パイロットは墜落の衝撃で重傷を負った[13][33]。これにより架線が切断されて相模鉄道は不通となり復旧は夕方になった。
  • 12月20日 - 嘉手納基地に着陸しようとしたKB-50J空中給油機が、滑走路手前にある電柱に接触して嘉手納村(現嘉手納町)字屋良に墜落。飛行機は滑走路近くの民家に墜落し大破炎上した。住民2名が死亡し8名が重軽傷、乗員は5名が死亡し2名が重軽傷を負った[28]
  • 12月20日 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が、投下訓練用のドラム缶を誤って投下目標地点から300メートル離れた民家の裏に投下した。幸いに負傷者等は出なかった。
  • 12月21日 - 沖縄の糸満町(現糸満市)の海岸にFJ-3戦闘機が墜落。パイロットは無事脱出し、住民にも被害はなかった。

1963年(昭和38年)[編集]

  • 1月 - 横田基地を離陸したT-33練習機が東京都昭島市の民家の庭先に模擬爆弾を誤投下[5]
  • 1月18日 - 板付空港(現福岡空港)でF-100戦闘機が離陸直後に爆発炎上し、そのまま民間旅客機のターミナルビル前のエプロンに墜落。破片はターミナルビルなどに降り注ぎ、空港ロビー内は一時騒然となった。この事故で空港警備員1名が割れた窓ガラスで負傷。パイロットは死亡。
  • 5月16日 - 埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷にある毛呂病院の看護婦用宿舎の近くにB-57爆撃機が墜落。この事故で病院の食堂にいた職員1名が死亡、看護婦1名が足を骨折する重傷、その他病院関係者や消防団など10数人が重軽傷を負った。
  • 5月23日 - 座間基地から羽田空港へ飛来したU-8D軽輸送機が、車輪の故障で羽田基地に胴体着陸し激しく損傷した。幸い乗員3名は軽傷で済んだ。
  • 7月18日 - 神奈川県中郡伊勢原町(現伊勢原市)下粕屋にある水田にH-43Bヘリコプターが墜落し、乗員3名全員が死亡した[33]
  • 8月2日 - 青森県東津軽郡平内町清水川の沖約300メートルにF-100戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。
  • 8月29日 - 三沢基地所属のF-102戦闘機が、基地から約90キロメートル東方に離れた太平洋に墜落。乗員2名は無事に生還した。
  • 11月19日 - 神奈川県秦野市にある春岳の山腹に、沖縄から横田基地に向けて飛行中のT-33練習機が墜落し乗員2名が死亡[33]

1964年(昭和39年)[編集]

  • 1月16日 - 神奈川県高座郡座間町(現座間市)相模台の畑に、海軍のF-8C戦闘機が墜落しパイロット1名が死亡[32][33]。この事故による破片が周囲の民家にも飛び散り、13世帯が爆発による爆風と飛んできた破片などで窓ガラスが割れたり屋根に穴が開いたりした。
  • 1月18日 - 板付空港(現福岡空港)の上空でF-100戦闘機が空中爆発。これにより破片が空港施設に飛び散ったため空港は閉鎖された。パイロット1名が死亡。
  • 2月15日 - 鹿児島県南部の開聞岳の南約9キロメートルの海上に、空母から発進した哨戒機が燃料切れにより墜落、乗員2名が死亡。
  • 3月18日 - 神奈川県横須賀市太田和にある山林に、海軍横須賀基地所属の艦艇から発進した無人ヘリコプターが墜落した[33]
  • 4月5日 - 東京都町田市にある横浜線原町田駅(現町田駅)近くの商店街に、沖縄の嘉手納基地から飛来し厚木基地へ向かう途中のF8U-2戦闘機[注 3]が墜落。この事故で住民4名が死亡、32名が重軽傷を負う惨事となった[32][36][37]。パイロットは墜落前にパラシュートで飛行機から脱出して無事だった。
  • 7月22日 - 茨城県鹿島郡鹿島町(現鹿嶋市)にある県立鹿島高校の北約100メートルにある養鶏場の敷地内に米軍機の標的用の吹流しとその付属品が落下した。
  • 7月31日 - 神奈川県藤沢市大庭の畑にF-4戦闘機が墜落炎上。乗員2名はパラシュートで脱出し軽傷[33]。この事故により畑や雑木林など約200平方メートルが焼失。
  • 8月13日 - 岩手県下閉伊郡新里村(現宮古市)刈屋堀谷下神立にある山林に三沢基地を離陸したWB-50気象観測機が炎上して墜落。乗員11名のうち4名はパラシュートによる脱出に成功したが他の7名は死亡した。
  • 9月8日 - 神奈川県厚木市厚木にある相模川の河川敷にF-105戦闘機が墜落し乗員1名が死亡[33]
  • 9月8日 - 厚木基地を離陸したF-8C戦闘機が離陸直後にエンジン故障を起こし、高度が上がらず低空飛行を続けた末、滑走路北端から約1キロメートル離れた大和市上草柳の舘野鉄工所に墜落し大破した。この事故で鉄工所内にあったアセチレンガスのタンクに引火したため、工場棟で作業をしていた3人が即死、重傷を負って入院した2人も後日死亡、負傷者4人、家屋全壊4棟、一部損壊6棟をもたらす惨事となった[注 4]。パイロットは墜落の直前に脱出していて無事だった[32][38][39][40]
  • 10月6日 - 神奈川県横浜市金沢区富岡町字滝にある山林に海軍のUH-2Aヘリコプターが墜落し乗員4名が死亡[33]
  • 10月29日 - 長野県南佐久郡小海町の五箇地区にある唐松林に嘉手納基地所属のF-105D戦闘機が墜落。またこの墜落の少し前に同県諏訪郡原村の柏木地区の民家近くに同機の増槽2個が落下して爆発炎上し民家248平方メートルを全焼した。パイロットは墜落の直前にパラシュートで脱出し無事だった。
  • 12月 - 横田基地の近くにある昭島市の堀向地域でF-105戦闘機が超低空を猛スピードで飛行し、その時に発生した衝撃波により付近一帯の民家14戸で窓ガラスが割れ負傷者が出るなどの被害が出た[5]。同地区にある銭湯でも窓ガラスが多数割れて中にいた人々に割れた窓ガラスが降り注ぎ、入浴中の女性が血だるまになるなどの被害がでた。
  • 12月8日 - 神奈川県愛甲郡清川村煤ケ谷金翔にある農家の庭先にF-8A戦闘機が墜落。墜落の衝撃でジェット燃料が周りの農家に飛び散って火災となり家屋3棟を全焼したが、住民はいち早く逃げ出して無事だった。パイロットもパラシュートで脱出して無事だった[41]

1965年(昭和40年)[編集]

  • 1月 - 横田基地所属のF-105戦闘機が曳行標的を昭島市内に誤投下[5]
  • 1月10日 - ウェーク島を飛び立ち沖縄へ向っていたC-133輸送機太平洋に墜落し乗員6名が行方不明。
  • 2月2日 - 埼玉県入間郡西武町(現入間市)野田芝の入間川の横にある茶畑にT-33練習機が燃えながら墜落。墜落現場近くに燃えて穴の開いたパラシュートがあり、そのすぐ近くで乗員2名が死んでいるのが発見された[5][42]
  • 2月16日 - 東京都青梅市新町小藤塚にある麦畑にF-105戦闘機が墜落[5][42]。乗員2名はパラシュートで無事に降下した。
  • 2月18日 - 板付空港(現福岡空港)の南約21キロメートルの山中にF-100戦闘機が墜落。乗員1名はパラシュートで無事に降下した。
  • 5月 - 横田基地所属のF-105戦闘機から部品が脱落し、福生市内の住宅地に落下[5]
  • 5月5日 - 神奈川県相模原市上鶴間の米軍家族住宅に横田基地を離陸したF-105戦闘機が墜落。この事故で3人が死亡し、8人が負傷した[5][22][32][41][42][注 5]
  • 6月15日 - 神奈川県中郡二宮町沖の相模湾F-4B戦闘機が墜落し乗員が行方不明となった[33]
  • 6月25日 - 厚木基地を出発したA-4C攻撃機が離陸直後に失速し、神奈川県大和市上草柳にある相模鉄道のコンクリート製トンネルに接触したのち麦畑に墜落し大破[13][33]。現場は1962年(昭和37年)8月11日に起きた墜落事故地点とほとんど同じ所で、1962年の事故を受けて1964年(昭和39年)11月に厚さ40センチメートルのコンクリート壁でトンネルを作ったばかりだった。もしこのトンネルがなかったら相模鉄道への被害は免れなかったと言われている。なおパイロット1名はこの事故で重傷を負った。
  • 9月27日 - 福岡県遠賀郡岡垣町糠塚の森林に米軍機が模擬爆弾を誤投下した。模擬爆弾の落下した場所からわずか10メートル離れた所には松の伐採をしていた作業者7名がいたが、幸いに負傷者は出なかった。
  • 12月5日 - 沖縄東方の太平洋で空母タイコンデロガのエレベーターからB43核爆弾1発を搭載したA-4E攻撃機が海に転落、パイロットとともに核爆弾も失われ未回収となった。1名死亡。

1966年(昭和41年)[編集]

  • 3月6日 - 立川基地で米軍機が滑走路をオーバーランして滑走路先の柵に衝突。
  • 4月27日 - 広島県の宮島沖の瀬戸内海岩国基地所属のF-4戦闘機が墜落[43]。乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出し付近の漁船に無事に助けられた。
  • 5月1日 - 立川基地に着陸しようとしたCL-44輸送機英語版の車輪が基地手前の防護柵に接触した。これにより柵は壊れたが、幸いに飛行機の車輪は壊れず無事に滑走路へ着陸した。この柵は3月6日の事故で壊れた柵を応急的に修理した脆いもので、もし柵をもっと頑丈なものに作り変えていたら事故は免れなかったと推察される。
  • 5月19日 - 嘉手納基地を飛び立った空軍のKC-135A空中給油機が嘉手納村(現嘉手納町)とコザ市(現沖縄市)の境にある道路に墜落。事故機は道路を走っていた車を巻き込んで大破し住民1名が死亡、飛行機の乗員11名も全員死亡した[28][34][44]
  • 8月 - 横田基地所属のF-105戦闘機からエアブレーキの部品が脱落し昭島市大神町に落下した[5]
  • 9月12日 - 横田基地からウェーク島へ行こうとした米軍のチャーターするDC-7旅客機が離陸に失敗。滑走路先の柵をなぎ倒した後、基地の外にある東京都立川市の畑まで飛び出して炎上した[5][42]。乗員4名は飛行機が燃える前に脱出して無事だった。なお、この事故では飛行機の燃えた場所が五日市街道のすぐ横で、同街道が4時間以上に渡って通行止めとなり付近一帯は大渋滞した。

1967年(昭和42年)[編集]

  • 2月1日 - 17時55分ごろ、横田基地を燃料満載の状態で離陸したF-105戦闘機が離陸直後にエンジンが停止し、そのまま東京都府中市にある多摩川の河川敷に墜落した[5][42]。乗員1名は機体から脱出する前に機体についている増槽2個を切り離した。この増槽2個も飛行機の墜落現場に近い多摩川の河川敷の土手に落下し、事故機と増槽から漏れ出た燃料により河川敷の広範囲が焼失した。特に増槽1個については燃料が多摩川の水面に流れ出し、一面が火の海になった。パイロットはパラシュートで脱出に成功し府中本町駅近くに無事降下。事故機のパイロットは「民家を避けて、人がいない場所に飛行機を落とそうと思い多摩川に飛行機が落ちるようにした」と語っている。パイロットの狙い通り事故機は人のいない多摩川に墜落したため、この事故で人的被害は出なかった。
  • 4月28日 - 長崎県上県郡上対馬町(現対馬市)の東北東約9キロメートルの海上にP-3A哨戒機が墜落。
  • 6月24日 - 神奈川県大和市深見にて、ジェット機による部品落下事故発生。被害なし[13][32]
  • 8月 - 横田基地に駐機中のボーイング707型機から火災が発生して全焼。
  • 12月28日 - 東京都三宅村坪田南の約500メートル沖合にF-4戦闘機が墜落。乗員2名は漁船などに助けられた。

1968年(昭和43年)[編集]

  • 1月16日 - 岩国基地を離陸したP-3A哨戒機愛媛県西条市にある石鎚山の近くに墜落。乗員17名全員死亡。
  • 6月2日 - 福岡県福岡市箱崎にある九州大学工学部で建設中の電子計算センターにRF-4C偵察機が墜落した。幸い地上での人的被害はなく、また乗員2名も墜落前に脱出していて無事だった[45]。墜落現場から10数メートル離れた場所にはコバルト60を保管する倉庫があり、もしそれを直撃していたら福岡市内の広範囲が放射能汚染を受ける危険があったと言われている。
  • 6月7日 - 東京都昭島市上川原町にある日枝神社の境内に横田基地所属のF-4戦闘機の風防が落下した[5]。当時、境内には何人かの参拝者がいたが幸い負傷者は出なかった。
  • 6月18日 - 埼玉県熊谷市三尻宮島の農地に重さ約200キログラムのジュラルミン製の燃料タンク2個が落下した。航空自衛隊が調べたところ、横田基地へ向かう途中の米軍機から落下したものだと判明した。
  • 11月19日 - 嘉手納基地B-52戦略爆撃機が離陸直前に爆発を起こした。幸い死者は出なかったが、乗員2人が重傷、住民の重軽傷者も16人となった[28][46][注 6]

1969年(昭和44年)[編集]

  • 1月12日 - 福岡県福岡市箱崎にある九州大学の正門前にある店舗に、偵察機の防風ガラス清掃用の部品が落下。けが人は出なかったものの、落下物のあった場所は前年6月2日に発生した九州大学電算センターファントム墜落事故の現場からわずか400メートルしか離れていなかったため、九州大学では再び米軍批判が高まることとなった。
  • 1月12日 - 横田基地所属のF-4戦闘機が埼玉県入間市宮寺の狭山丘陵に墜落し、乗員2名が死亡した。なお事故機は墜落の際に送電線を切断したため、三多摩地区の合計1万戸が停電した[5][42]
  • 6月21日 - 神奈川県横浜市港北区(現青葉区)鴨志田の雑木林に、岩国基地から厚木基地へ向けて飛行していたビーチクラフト機が墜落し操縦士1名が死亡[33]。生き残った同乗者の証言によれば「突然エンジンが止まった」とのこと。
  • 7月18日 - 岩国基地を離陸して三沢基地へ向かう途中のF-4戦闘機が、岐阜県美濃加茂市の山林にAIM-7スパロー・ミサイルを落とした。厚木基地よりヘリコプターが飛び立って落下地点と思われるあたりを探索したが爆発の痕跡などは見つからなかった。この事故に対して時の内閣の佐藤栄作総理は、22日の閣議でこの問題を日米間の協議問題に取り上げる旨を表明した。
  • 10月18日 - 沖縄の勝連村にあるホワイト・ビーチ地区のすぐ近くの海で米軍のヘリコプターが墜落。落下した破片で米軍基地で働いてる日本人1名が重傷。ヘリコプターの乗員18名のうち3名も死亡。

1970年代[編集]

1970年(昭和45年)[編集]

1971年(昭和46年)[編集]

1972年(昭和47年)[編集]

1973年(昭和48年)[編集]

  • 5月9日 - 神奈川県相模原市西大沼にヘリコプターが不時着。被害なし[22][32]
  • 8月20日 - 横須賀基地内にあるヘリポートCH-46ヘリコプターが墜落。乗員8名のうち2名が死亡[33]
  • 12月5日 - 沖縄県中頭郡西原村(現西原町)の工場敷地内にCH-46ヘリコプターが墜落、乗員4名が死亡し1名が重傷を負った[51]。現場からわずか200メートル離れた場所にはガスタンク(容量500立方メートル2基)があり、もしそこに墜落していたら大惨事になるところだった。

1976年(昭和51年)[編集]

  • 8月31日 - 岩国基地AV-8A戦闘機がオーバーラン[43]。パイロットは脱出して無事だったが、この事故で出動した米軍消防車のうち1台が滑走路一面に広がった消火剤の泡で横転し、米軍消防士6名が車外に投げ出されうち1名が消防車の下敷きとなり重体となった。
  • 10月24日 - 東京都西多摩郡瑞穂町駒形富士山にある民家の屋根にCH-46ヘリコプター[注 8]の窓枠が落下[42][49][50]

1977年(昭和52年)[編集]

  • 9月27日 - 神奈川県横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北3丁目の大入公園付近)の住宅地に、空母ミッドウェイへ向かう途中のRF-4B戦術偵察機がエンジン火災を起こして墜落した。この事故で民家2棟が全焼し、3歳の幼児と1歳の乳児の2名が全身火傷で死亡、他に7名が重軽傷を負った。亡くなった子の母親は大火傷を負い一命を取り留めたものの、その後4年間に渡り60回もの皮膚移植の手術等の治療を受け肉体的には回復するが、1982年(昭和57年)1月26日に心因性の呼吸困難により死亡した。なお、パイロット2名はパラシュートで脱出し無事だった[22][32][39][52][53]

1978年(昭和53年)[編集]

  • 1月18日 - 静岡県御殿場市にある東富士演習場厚木基地所属のヘリコプターが墜落し乗員26名のうち4名が死亡。
  • 8月21日 - 神奈川県横浜市旭区の上空を飛行していたP-3C対潜哨戒機から翼の前縁カバーが落下。米軍は「乱気流に巻き込まれたため」と発表したが、日本側で調べたところ28本あるボルトの締め付けが全て甘く、部品落下の原因は整備不良であることが判明した。
  • 10月18日 - 東京都の横田基地の滑走路上でDC-8型機が火災を起こして炎上。

1979年(昭和54年)[編集]

  • 2月26日 - 鹿児島県の与論島の沖合約3キロメートルの海上に嘉手納基地所属のCH-53ヘリコプターが墜落。乗員4名のうち1名は地元の観光業者が観光船で駆けつけて救助したが残り3名は死亡した。

1980年代[編集]

1981年(昭和56年)[編集]

  • 2月5日 - 沖縄県国頭郡伊江村にある米軍射撃場で、射撃訓練中のヘリコプター2機のうち1機が機関銃を誤射した。射撃場外の民家のブロック壁が割れるなどしたがけが人は出なかった。
  • 9月9日 - 広島県双三郡作木村(現三次市)森山の山中にA-4攻撃機が墜落。乗員はパラシュートで脱出したが頭部に重傷を負った。

1982年(昭和57年)[編集]

1983年(昭和58年)[編集]

  • 3月9日 - 横田基地に着陸したC-141B輸送機からタイヤが外れ、滑走路上を数100メートルにわたって転がった。

1985年(昭和60年)[編集]

1986年(昭和61年)[編集]

1987年(昭和62年)[編集]

1988年(昭和63年)[編集]

1989年(平成元年)[編集]

1990年代[編集]

1991年(平成3年)[編集]

1992年(平成4年)[編集]

1993年(平成5年)[編集]

1994年(平成6年)[編集]

1995年(平成7年)[編集]

1996年(平成8年)[編集]

1997年(平成9年)[編集]

1998年(平成10年)[編集]

1999年(平成11年)[編集]

2000年代[編集]

2000年(平成12年)[編集]

  • 11月13日 - 三沢基地の第35戦闘航空団所属のF-16C戦闘機2機が、北海道奥尻島の南方約60キロメートルの日本海上で空中衝突し、2機とも墜落した。乗員1名が同日、奥尻島の南方約56キロメートルの海上で航空自衛隊千歳救難隊の航空機に救助されたが、もう1名は墜落後48時間以上経過しても発見できないことから、生存の可能性はないものと判断され、11月15日に捜索は打ち切られた[71]

2001年(平成13年)[編集]

2002年(平成14年)[編集]

2003年(平成15年)[編集]

2004年(平成16年)[編集]

2005年(平成17年)[編集]

2006年(平成18年)[編集]

2007年(平成19年)[編集]

2008年(平成20年)[編集]

2009年(平成21年)[編集]

2010年代[編集]

2010年(平成22年)[編集]

2012年(平成24年)[編集]

2013年(平成25年)[編集]

2014年(平成26年)[編集]

  • 1月9日 - 空母艦載機FA-18E戦闘攻撃機が神奈川県綾瀬市の民家の敷地内にブレーキ部品を落下し、民家の柵の一部がへこみ、付近に停めていた乗用車の窓ガラスが破損した[32][90][102]

2015年(平成27年)[編集]

2016年(平成28年)[編集]

2017年(平成29年)[編集]

2018年(平成30年)[編集]

  • 1月6日 - 沖縄県うるま市伊計島の砂浜に、普天間基地所属のUH-1Y輸送ヘリコプターが不時着した。機体の目立った損傷はなくけが人もいなかったが、不時着した場所は最寄りの民家から約100メートルの場所だった[129][130]
  • 1月8日 - 沖縄県中頭郡読谷村儀間にある廃棄物最終処分場の敷地内に、普天間基地所属のAH-1Z攻撃ヘリコプターが不時着した。機体に損傷はなく、住民やヘリの乗組員2人にもけがはなかった[131][132]
  • 1月23日 - 沖縄県島尻郡渡名喜村の渡名喜島のヘリポートに普天間基地所属のAH-1Z攻撃ヘリコプターが緊急着陸した。飛行中に警告灯が点灯したため予防措置として着陸したという[133][134][135]。基地外への緊急着陸が相次いでいることを受け、日本政府は普天間基地所属の同型機全機の緊急総点検とその間の飛行停止を要請した[136]
  • 2月9日 - 沖縄県うるま市伊計島の大泊ビーチで、MV-22B輸送機のカーボン製の右側エンジン空気取り入れ口のカバーが海上に浮いているのが見つかった。在沖縄海兵隊は海上飛行中に落下したと8日に乗組員から報告を受けていたが、日本側には報告していなかった[137][138]
  • 2月20日 - 第35戦闘航空団所属のF-16戦闘機が、三沢基地を離陸した直後にエンジン部分から出火。同期の乗組員は緊急事態を宣言したのち、増槽を上空で切り離し三沢基地に緊急着陸した。投棄された増槽は青森県の小川原湖に落下したことが確認された[139]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出典には「1945年9月4(18?)日」[3]とあり、9月18日発生の可能性もある。
  2. ^ 沖縄県の資料[27]によれば重軽傷者は121名となっているが、他の資料では210名となっている。ここでは事故現場であるうるま市の記述[29]を採用した。
  3. ^ 事故機については町田市の資料[36]に依拠した。なお、神奈川県の資料[37]ではRF-8A偵察機となっている。
  4. ^ 被害状況は防衛省資料[38]による。
  5. ^ 被害状況は神奈川県資料[41]による。
  6. ^ 住民の人的被害については嘉手納町の資料[28]による。なお沖縄県の資料[46]によると、けが人は5人となっている。
  7. ^ 瑞穂町[49]による。昭島市の資料[50]では6月となっている。
  8. ^ 瑞穂町の資料[49]による。福生市[42]ではCH-53ヘリコプターとなっている。
  9. ^ 砂袋の重さは約7キログラム、パラシュート付きであった[42]
  10. ^ 町田市の資料[32]ではUH-60ヘリコプターとなっている。
  11. ^ 場所は神奈川県の資料[59]に拠った。
  12. ^ 事故発生日が不明[59]のため、事故が判明した日に記載した。
  13. ^ 神奈川県[59]および町田市[32]の資料に基づく。福生市[77]の資料では神奈川県平塚市上空としている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 沖縄県 2013a, p. 71.
  2. ^ 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 東海軍管区”. POW研究会. 2018年2月1日閲覧。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]