日朝攻守同盟

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大日本大朝鮮両国盟約
通称・略称 日朝攻守同盟
署名 1894年8月26日
署名場所 漢城
締約国 大日本帝国の旗 大日本帝国
李氏朝鮮の旗 李氏朝鮮
言語 日本語中国語
条文リンク 国立公文書館アジア歴史資料センター 「大日本大朝鮮両国盟約」
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日朝攻守同盟(にっちょうこうしゅどうめい)は、日清戦争中に大日本帝国朝鮮王国(李氏朝鮮)の間に結ばれた同盟に関する条約である。正式には大日本大朝鮮両国盟約(だいにっぽんだいちょうせんりょうこくめいやく)。

概要[編集]

1894年明治27年)8月26日(朝鮮暦:開国503年7月26日)、日清戦争中に結ばれた[1]。調印者は、日本側が駐朝鮮公使大鳥圭介、朝鮮側が外務大臣金允植である。

全3条から成り、内容は、

  1. この盟約は、の軍隊を朝鮮国外に撤退させ、朝鮮国の独立自主を強固にして両国の利益を増進することを目的とする。
  2. 日本は清国に対し攻守の戦争をおこない、朝鮮国は日本軍兵士の進退や兵糧準備のために便宜をはかる。
  3. この盟約は対清平和条約が成立したら破棄すること[注釈 1]

というものである。

結果[編集]

朝鮮人兵士と中国人捕虜

これにより、朝鮮は日本側に立つことが義務づけられ、第三国への調停依頼も不可能になった[2]。朝鮮は、日清戦争を「朝鮮国の独立自主」(第一条)としたこの盟約にもとづき、朝鮮国内での日本軍の移動や物資の調達など、日本の戦争遂行を支援し、また自身も日本側で出兵した[3]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 翌年(1895年)、対清講和交渉会議が当初は広島市のちに下関市でひらかれ、4月17日、日清講和条約(下関条約)が結ばれた。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 海野福寿『韓国併合』岩波書店〈岩波新書〉、1995年5月。ISBN 4-00-430388-5

関連項目[編集]