日岡陵古墳

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日岡陵古墳
Hiokaryo Kofun haisho.JPG
前方部正面
播磨稲日大郎姫命日岡陵 拝所)
別名 日岡御陵/褶墓
所属 日岡山古墳群
所在地 兵庫県加古川市加古川町大野
位置 北緯34度46分47.83秒
東経134度51分43.88秒
座標: 北緯34度46分47.83秒 東経134度51分43.88秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長80m
高さ7.5m(後円部)
埋葬施設 不明
築造時期 4世紀
被葬者宮内庁治定)播磨稲日大郎姫命
陵墓 宮内庁治定「日岡陵」
地図
日岡陵古墳の位置(兵庫県内)
日岡陵古墳
日岡陵古墳
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日岡陵古墳(ひおかりょうこふん)は、兵庫県加古川市加古川町大野にある古墳。形状は前方後円墳。日岡山古墳群を構成する古墳の1つ。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「日岡陵(ひのおかのみささぎ)」として第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)の陵に治定されている。名称は「日岡御陵(ひおかごりょう)」や「褶墓(ひれはか、ひれ墓)」とも。

概要[編集]

加古川市中部、加古川に面した日岡山山頂に位置する。日岡山には、日岡陵古墳・西大塚古墳・南大塚古墳・北大塚古墳・勅使塚古墳など前方後円墳5基・円墳3基があり[1]、これらで日岡山古墳群(日岡古墳群)を形成する[2]。この日岡山古墳群は、北東にある西条古墳群とともに兵庫県南部において最大の古墳群になる[2]。本古墳に関しては、1928年昭和3年)の旧宮内省による実測図が残るほか[3]2011年平成23年)には宮内庁書陵部により墳丘測量調査が実施されている[4]

墳形は前方部を南西方に向けた前方後円形で、ほぼ完全に遺存する[2]。ただし、元々は円墳であって明治の修陵により前方後円形に改められたとする説、およびその一方で改変は受けていないとする説が挙げられていたが[3][1]、2011年(平成23年)の測量調査によれば当初より前方後円墳としての築造と見られる[4]。段築の有無は不明(無段または幅の狭いテラス面か)[4]。墳丘上からは葺石・埴輪片・土師器片が採集されている[4]

この日岡陵古墳の築造年代は古墳時代前期の4世紀代と推定され、日岡山古墳群のうちでは最古とされる[2]。被葬者は考古学的には明らかでないが、『播磨国風土記』では景行天皇妃の印南別嬢(いなみのわきいらつめ)の「褶墓(ひれはか)」に関する伝承が見えることから、現在では宮内庁により同天皇皇后播磨稲日大郎姫命の陵に治定されている[2]。日岡山古墳群の前方後円墳はいずれも加古川左岸の平野の方向に前方部を向けることから、その平野を支配した首長の墓と推定されている[3]。また古墳群からは他地域と同笵の三角縁神獣鏡の出土も知られ、畿内のヤマト王権勢力との密接な関係が指摘される[1]

構造[編集]

古墳の規模は次の通り[4]

  • 墳丘長:約80メートル
  • 後円部
    • 直径:約45メートル
    • 高さ:約7.5ートル
  • 前方部
    • 幅:約33メートル
    • 高さ:約5メートル
  • くびれ部
    • 高さ:約4メートル

被葬者[編集]

日岡陵古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)の墓に治定している[5][6][7]。播磨稲日大郎姫命は、『日本書紀』では「播磨稲日大郎姫」や「播磨太郎姫」、『古事記』では「針間之伊那毘能大郎女」と見えるほか、『播磨国風土記』に見える「印南別嬢(いなみのわきいらつめ)」も同一人物とする説がある。いずれにも見える「いなび(いなみ)」は播磨の地名(播磨国印南郡)に由来する。

この播磨稲日大郎姫命について、『日本書紀』では景行天皇52年5月4日に薨じたとするが、『日本書紀』『古事記』や『延喜式諸陵寮では葬所の記載はない[6]。一方『播磨国風土記』賀古郡条によれば、印南別嬢が薨じた際に日岡に墓を作ったが、別嬢の遺骸を船に載せて印南川(加古川)を渡ろうとした時につむじ風に巻き込まれ、遺骸は川中に没した。そして、ただ匣(くしげ:化粧道具箱)と褶(ひれ:首に掛ける布)が見つかるのみであったので、これらを墓に葬って「褶墓(ひれはか)」と名付けた、という[8][6][9]。本古墳がその褶墓になると伝承されていたことから、印南別嬢と播磨稲日大郎姫命を同一人物と見て1883年明治16年)に播磨稲日大郎姫命の陵に治定され、1885年(明治18年)に陵域を定めるとともに修陵され、1895年(明治28年)に陵号が「日岡陵」と定められた[6]

なお、日岡山南麓には延喜式内社日岡神社が鎮座し、その社伝では播磨稲日大郎姫命の日本武尊らの出産の際に天伊佐佐比古命(日岡神社祭神)が安産祈願をしたと伝えている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 日岡古墳群(古墳) 1989.
  2. ^ a b c d e 日岡山古墳群(平凡社) 1999.
  3. ^ a b c 加古川市史 第1巻 1989, pp. 225-227.
  4. ^ a b c d e 書陵部紀要 陵墓篇 第63号 2012, pp. 37-45.
  5. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)9コマ。
  6. ^ a b c d 日岡陵(国史).
  7. ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 402。
  8. ^ 『新編日本古典文学全集 5 風土記』小学館、2003年(ジャパンナレッジ版)、pp. 18-23。
  9. ^ 印南別嬢(古代氏族) 2010.

参考文献[編集]

  • 史跡説明板
  • 地方自治体発行
    • 『加古川市史 第1巻 本編1』加古川市、1989年。
  • 宮内庁発行
  • その他
    • 石田茂輔「日岡陵」『国史大辞典吉川弘文館
    • 「日岡古墳群」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607
    • 「日岡山古墳群」『日本歴史地名大系 29-2 兵庫県の地名 2』平凡社、1999年。ISBN 4582490611
    • 「印南別嬢」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588

関連項目[編集]

外部リンク[編集]