日大紛争

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日大紛争(にちだいふんそう)は、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて続いた日本大学における大学紛争である。ただし「紛争」との呼称は批判的ニュアンスのものであり、学生運動の立場からは日大闘争と呼ぶ[1]

概説[編集]

紛争は、理工学部教授が裏口入学斡旋で受領した謝礼を脱税していたことに加え、国税局の調査で日大当局の莫大な使途不明金が明るみに出たことで、学生の怒りが爆発したことに端を発する。

学生らの抗議運動は、経済学部生の秋田明大を議長とする日本大学全学共闘会議(日大全共闘)を中心に、一般学生や教職員組合、父兄会をも巻き込み、全学的な広がりをみせた[2]。同年9月には学生側が大衆団交を通して、古田重二良会頭を筆頭とする当局に経理の全面公開や全理事の退陣を約束させた。しかし、まもなく当局はこれを反故にして、全共闘が封鎖している校舎の解放を警察に要請。学内に警視庁機動隊が投入される[3]

1968年9月4日未明、経済学部本館のバリケード封鎖解除に出動していた機動隊員1人が、学生が校舎4階から落とした約16kgのコンクリート片を頭部に受けて殉職した。これを受けて警視庁公安部村上健警視正記者会見で「警視庁はこれまで学生側にも言い分があると思っていたが、もうこれからは手加減しない」と憤りをあらわにした。村上の言葉通り、当初警察は日大当局の腐敗に対して立ち上がった学生らを『学生さん』と呼んで同情しており、大学進学率が10%台であった当時においてエリートである学生らを慮って『奴らの将来を考えてやれ』と力説する幹部もいたほどであったが、この事件で学生に対する怒りは警察全体に広まり、警察の新左翼学生らに対する姿勢は一転した。それまで警察は学生の検挙よりも解散を重視していたが、徹底的な取締を行うようになった[4]

一方、日大全共闘も急進化により一般学生の広範な支持を失い、1969年(昭和44年)春には紛争は収束した。日大全共闘はその後も少数の学生で活動を続けたが、1970年代初頭には自然消滅した。[5][3]

学生・機動隊双方に多数の負傷者を出したため、その責任をとって永田菊四郎総長は辞職。直後に日大関係者による総長選挙が行われ、歯学部長鈴木勝が総長となった。また、高梨公之が新たに理事長となる。なお、古田は“会長”となったが、紛争収束後の1970年(昭和45年)に日大付属病院で死去する。病院では日大全共闘を避けるため偽名を名乗っていた。[5][3]

背景[編集]

1960年代後半に日本では18才人口の急増と大学進学率の向上により大学生の数が急伸し、大学教育の性格は大衆化しつつあった。日本大学はその潮流に乗り、1955年(昭和30年)には約3万人だった学生数を1968年(昭和43年)には約3倍の8万5000人まで急増させ、日本一の大規模大学となっていった[3]。一方で、学習環境や福利厚生、教職員数はこれに追いついておらず、教育条件の劣悪さに学生の不満が高まっていた[3]。(※組織の巨大化により、日大紛争後は定員割れが続き合格者数が毎年数名程度になるまでに凋落した)

福島県郡山市静岡県三島市などの郊外にある、三島教養部工学部農学部のキャンパスの規模は広大であった[3]ものの、東京都内の都心部にある法学部経済学部歯学部理工学部のキャンパスは狭小であった[3]

講義は500人から2000人程度の学生を入れた大教室で教員がマイクで話す形式、いわゆるマスプロ方式が中心であり、それにも関わらず授業料は毎年のように値上げされた。当時エリート意識が高かった学生側も当局に環境改善を求める自治運動を起こしていたが、要望の多くは通らず、そればかりか古田重二良会頭による独裁経営の下、当局は学生の自治運動や政治運動を抑圧していた。古田会頭は大学経営に絶大な影響力を有していたため、これに批判的な全共闘世代からは主要な攻撃対象とされている。[5]

紛争前の学生運動[編集]

日大紛争以前にも日本大学では学生の自治的な学生運動が起きていた。1966年昭和41年)に学生連合会は、以下の要求を行った。

  1. 専任教員の質と量の充実。
  2. 教授の質と量の充実。
  3. ゼミナール数の増加。
  4. 新入生オリエンテーションの実施。
  5. 学生の休講対策・実習対策・実験対策。
  6. 専門図書の増加と専門図書の購買拡大。
  7. 校舎の建設。
  8. 学生寮の建設。
  9. 厚生寮の建設。
  10. 学生会館の建設。
  11. 自由なグランドの建設。
  12. 集会や出版について、許可制から届出制への移行。

関連文献[編集]

刊行物[編集]

  • 秋田明大編 『大学占拠の思想―日大生の永久闘争宣言』 三一書房、1969年
  • 秋田明大 『獄中記―異常の日常化の中で』 ウニタ書舗、1969年
  • 真武善行編 『日大全共闘資料集―新聞報道にみる日大闘争』 68・69日大闘争アーカイブス(自費出版)、2009年
  • 田賀秀一 『1608名の逮捕者―日大闘争弁護士の証言』 大光社、1970年
  • 田村正敏 『造反潜行記』 北明書房、1970年
  • 「日大闘争の記録」制作実行委員会 『忘れざる日々(とき)―日大闘争の記録vol.1』『(同)vol.2』 自費出版、2011年2月・8月
  • 日本学生ジャーナリスト会議編 『日大を許さない―「アウシュビッツ大学」からの告発』 第三書館、1986年
  • 日本大学新聞研究会編 『日大紛争の真相―民主化闘争への歩み』 八千代出版、1969年
  • 日本大学全学共闘会議・石田郁夫編著 『強権に確執をかもす志―日大全共闘』 しいら書房、1969年
  • 日本大学全学共闘会議編・田村正敏責任編集 『バリケードに賭けた青春―ドキュメント日大闘争』 北明書房発行・三笠書房発売、1969年
  • 日本大学文理学部闘争委員会書記局編 『叛逆のバリケード―日大闘争の記録』 文闘委自費出版、1968年
    • 日本大学文理学部闘争委員会書記局編 『増補:叛逆のバリケード―日大闘争の記録』 三一書房、1969年
    • 日本大学文理学部闘争委員会書記局『新版・叛逆のバリケード』編集委員会編著 『新版:叛逆のバリケード』 三一書房、2008年、ISBN 978-4380082245
  • 橋本克彦 『バリケードを吹きぬけた風―日大全共闘芸闘委の軌跡』 朝日新聞社、1986年
  • 三橋俊明 『路上の全共闘1968』 河出書房新社、2010年

写真集[編集]

  • 佐々木美智子 『日大全共闘―あの時代に恋した私の記録』 鹿砦社、2009年
  • 日本大学全学共闘会議書記局 『日大闘争』 五同産業、1969年
  • 日本大学全学共闘会議記録局「解放区 '68」編集委員会 『解放区 '68―日大斗争の記録』 出版する会(自費出版)、1969年

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “日大闘争の記録「日大闘争の記録」制作実行委員会”. 日大全共闘農闘委. http://www.akahel-1968.com/kankou-shusi-onegai1.html 
  2. ^ “1968年全共闘だった時代”. 日大闘争年表. (年月日). http://www.z930.com/nenpyou.html 
  3. ^ a b c d e f g 小熊英二 (2009年7月発刊). “1968. 上 - 若者たちの叛乱とその背景”. 新曜社 
  4. ^ 別章【概論戦後学生運動史”. れんだいこ (2008年9月11日). 2017年6月1日閲覧。
  5. ^ a b c “日大闘争年表 (増補完全版) 「新版・叛逆のバリケード」”. 三一書房. (2008年9月30日刊行). http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/nenpyou-hanbari.html 

関連項目[編集]