日吉八幡神社
| 日吉八幡神社 | |
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| 所在地 | 秋田県秋田市八橋本町1丁目4-1 |
| 位置 |
北緯39度43分20秒 東経140度5分50秒座標: 北緯39度43分20秒 東経140度5分50秒 |
| 主祭神 | 大山咋神、大物主神、八幡大神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 不明 |
| 例祭 | 9月15日 |
| 地図 |
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日吉八幡神社(ひえはちまんじんじゃ)は、秋田県秋田市八橋本町にある神社。旧国道の一里塚をすぎて面影橋にいく中間、八橋運動公園の北に位置する。
八橋の山王さん[1]、外町の鎮守[2]として崇敬されてきた。境内には秋田県唯一の木造重層建築物、三重塔がある。
拝殿、本殿、舞殿、神橋などが秋田県有形文化財として指定されている。本殿には宮殿があり、本居宣長の座像が安置されている。
由緒[編集]
社伝では、平安時代、日枝山王と石清水八幡宮を勧請し日吉山延命寺と称したとされているが、鎌倉時代とする説もあり詳細は不明。当初は秋田郡笹岡村(現在の秋田市外旭川)に鎮座したが、鎌倉時代に五十丁村(現在の秋田市上新城五十丁)へ遷り、天正17年(1589年)に安東実季により飯島村へ、元和元年(1615年)には佐竹義宣により寺内村字油田へ遷ったと伝えられている。寛文2年(1662年)に現在地へ移ったが大火により焼失し、安永7年(1778年)に再建した。
安東氏からは社領200石が寄進され、佐竹氏の信仰も厚く社領40石を寄進して保護した。元和の久保田の町割りに際し外町の鎮守とされたことで、八橋の山王さんとして主に町人たちからの信仰を集めた[3]。
明治時代には県社に列せられ、現在も近隣住民に親しまれている。北側(旧国道)から見ると仏式(山門と三重塔)、東側から見ると神式(鳥居、参道、手水舎、鳥居、拝殿、本殿)の建物配置となっており、その神仏習合(混交)様式について建築学の分野から論文が執筆されている。
御祭神[編集]
摂社[編集]
- 大山祗神社
有形文化財[編集]
日吉八幡神社では本殿拝殿の他神橋、鳥居、舞殿、三重塔、隋神門、常夜燈などが県指定有形文化財になっている。
建造物[編集]
秋田県指定有形文化財
正面三間、背面五間、両側面三間、入母屋造り、平入
本拝殿は権現造、連結する部分(石の間)は日吉八幡神社では浮橋と呼んでいる。
- 浮橋:2007年修復
(仏教的な彼岸と此岸を連絡する施設)
- 舞殿:2000年土台部分を修復
- 随神門:明治初年に廃寺となった寿量院より移築した[4]
明和7年の久保田明和寅年の大火の際、火災を免れた寿量院の「矢大臣門」であったが、廃寺後明治3年豪商沼田八右衛門が隋神門として移築寄進したものである。
その他[編集]
- 日吉八幡神社境内の句碑
- 日吉八幡神社筆塚 秋田県書道連盟建立 平成13年。
- 大手水石 明和4年(1769)平成29年11月新調。
- 大鳥居 昭和13年(1938)
- 神輿殿 昭和58年(1983)
- 農聖 石川理紀之助翁頌徳碑 大正7年
- 一里塚
- 寿量院
- 菅原神社と筆塚
- 八橋人形
- 不動院
- 帰命寺
年表[編集]
- 平安時代:秋田郡笹岡村に創建
- 鎌倉時代:同郡五十丁村に遷座
- 天正17年(1589年):同郡湊に遷座
- 元和元年(1615年):同郡八橋村に遷座
- 寛文2年(1662年):現在地に遷座
- 安永7年(1778年):焼失後再建
- 昭和40年(1955年)4月1日:住居表示実施に伴い、秋田市川尻町・八橋のそれぞれ一部が、日吉八幡神社に由来する地名「山王一丁目」〜「同六丁目」となった
アクセス[編集]
- 秋田県秋田市八橋本町1丁目4-1
- 秋田市 - 地理院地図
- 日吉八幡神社 - Google マップ
- 駐車場 : 有り
- 秋銀スタジアム前の道路は土日片側一車線駐車可。
バス[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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