日像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日像
1269年 - 1342年
Nichizou Syonin.jpg
肥後房
諡号 日像菩薩(後光厳天皇より)
生地 下総国
没地 山城国
宗派 日蓮宗
寺院 妙顕寺
日蓮日朗
弟子 満蔵(日乗)、大覚
宝塔寺

日像(にちぞう、1269年9月7日文永6年8月10日) - 1342年12月11日康永元年/興国3年11月13日))は、鎌倉時代日蓮宗。俗姓は平賀氏。幼名は経一丸。下総国の出身。房号は肥後房。肥後阿闍梨と称される。四条門流の祖。

略歴[編集]

1275年(建治元年)日蓮の弟子で兄の日朗に師事した。その後、日蓮の弟子となり、経一丸の名を与えられ、玄旨伝法本尊と呼ばれる曼荼羅本尊を授けられた。1293年(永仁元年)日蓮の遺命を受け、京都での布教を決行した。途中、日蓮の足跡を巡り佐渡へ到着し法華経の布教をしたところ、石動山の僧・満蔵(日乗)が弟子となった。1294年(永仁2年)上洛して間もなく、禁裏に向かい上奏する。その後、辻説法を行い柳屋仲興大覚寺の僧・大覚らから帰依を受ける。1307年(徳治2年)延暦寺東寺仁和寺南禅寺相国寺知恩寺などの諸大寺から迫害を受け、朝廷に合訴され、京都から追放する院宣を受けた。追放中、真言寺の住持・実賢、極楽寺の住持・良桂、歓喜寺の住持・実眼らと法論を行い折伏した。1309年(延慶2年)赦免され、京都へ戻る。1310年(延慶3年)諸大寺から合訴され、京都から追放する院宣を受けた。1311年(延慶4年)赦免され、京都へ戻る。1321年(元亨元年)諸大寺から合訴され、京都から追放する院宣を受けたが、直ぐに許された。その後、後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を建立した。1334年(建武元年)後醍醐天皇より綸旨を賜り、勅願寺となる。

妙顕寺は勅願寺たり、殊に一乗円頓の宗旨を弘め、宜しく四海泰平の精祈を凝すべし

以後、南朝後醍醐天皇の京都還幸の祈願する一方、北朝光厳上皇祈祷も行い、公武の信仰を集めた。

関連項目[編集]

寺院[編集]

人物[編集]