新羅丸
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新羅丸(しらぎまる Shiragi maru)は鉄道省の関釜航路・青函航路の鉄道連絡船。高麗丸型の第2船である。姉妹船には高麗丸がある。
| 新羅丸 | ||
|---|---|---|
| 画像提供依頼 | ||
| 概歴 | ||
| 建造 | 1913年3月 | |
| 解体 | 1945年5月 | |
| 要目 | ||
| 船種 | 客船 | |
| 総トン数 | 3,107t | |
| 全長 | 97.5m | |
| 全幅 | 13.1m | |
| 機関 | ||
| 出力 | 4,676hp | |
| 航続距離 | ||
| 速力 | 16.0kt | |
| 乗客定員 | 603名 | |
| 貨物積載量 | ||
| 姉妹船 | 高麗丸 | |
航跡[編集]
就航[編集]
関釜連絡船には、開設以来、壱岐丸と対馬丸が就航していたが、1912年に新橋 - 下関の1・2等特別急行列車、及び釜山 - 奉天の直通列車が運行開始すると、新橋から関釜航路経由で奉天へ向かうルートが完成し、利用者増加に伴う関釜航路の大型船が必要となった。
2隻の新造船(高麗型)は1912年に川崎造船所で建造が開始され、第1船の高麗丸が1913年1月、第2船の新羅丸は1913年3月に就航する。
機関が故障しても帆走できるようにマストが設置されていた。内装では壱岐丸と対馬丸で不評であった多段ベッドを廃止し、客室を畳敷きの広間にするなど、改良が行われている。
連絡船[編集]
新羅丸は1913年4月から関釜航路で運行され、1925年には無線電話が設置される。1932年3月から7月までは第一次上海事変のとき陸軍の病院船として宇品 - 上海間で使用される。
1937年に貨物専用船に改造され、1941年7月には青函航路の輸送力増強の臨時航路(本輪 - 塩釜)で就航し、1942年6月10日に正式に青函航路に転属となる。1944年3月から4月には海軍に貸与されている。それ以降は青函航路以外にも新潟 - 大泊や大湊 - 択捉島の臨時航路でも使用される。
1945年5月25日、修理を終え下関に向かう途中、関門海峡・部埼灯台沖で触雷により沈没する。
船長[編集]
- 松原善之助 鉄道院技師:1913年3月14日 -
参考文献[編集]
- 『官報』
外部リンク[編集]
- 「鉄道院関釜連絡船高麗丸及新羅丸客室配置図」『鉄道旅行案内』1914年(国立国会図書館デジタルコレクション)
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