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新田嘉一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にった かいち
新田 嘉一
生誕 (1933-10-06) 1933年10月6日
日本の旗 日本 山形県平田町楢橋
死没 (2026-07-12) 2026年7月12日(92歳没)
日本の旗 日本 山形県酒田市
日本海総合病院
死因 心不全
出身校 山形県藤島農業高等学校
職業
肩書き
子供 新田嘉七
新田嘉助
栄誉
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新田 嘉一(にった かいち、1933年昭和8年〉10月6日 - 2026年令和8年〉7月12日)は、日本実業家馬主平田牧場会長東北公益文科大学理事長自由民主党酒田支部最高顧問、平田町名誉町民(現:酒田市名誉市民)。

人物

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山形県飽海郡平田町楢橋(現:酒田市)において16代にわたり続く地主に生まれる[1]

父である嘉助は名士で通るも、農業より政治に現を抜かすことが多かったという[2]

山形県立庄内農業高等学校(現:山形県立庄内農業高等学校)を卒業後、大学進学を希望するも父から「農家に学は必要ない」と断言され、進学を断念。

戦後の高度経済成長に入り、和食中心から洋食へ食文化が変遷し、庄内地方においては離農し都会に出る人々が増えつつある現状を鑑みた新田は、田畑を処分した上で就労の途につく方が暮らしも楽になるのではないかと父に進言するも聞き入れられなかった。逆鱗に触れた新田は、勘当同然の身となるが、祖母の取り成しにより父との決別は回避された。以後、新田は田畑の耕作は弟に任せて実質裸一貫、豚2頭で養豚業を起業[2]。開始当初は、昼夜関係なく豚舎に泊まり込み、手探りで飼育に当たった。

養豚業で得た人脈やノウハウにより、鶴岡生協(現:生活協同組合共立社)との取引を開始する。これを契機に全国の生協グループ各店への商品納入、全国展開していたGMSダイエーとの取引も開始して1970年代には事業が軌道にのりはじめた。しかしその後、生産量の9割を出荷していたダイエーとの価格引下げ交渉の決裂による同社との取引停止、時代に先がけて無添加や無着色によるハムやウィンナーの販売を手がけるも消費者に受け入れられず苦戦を強いられた。

のち、欧州視察の際に知見を得たランドレース種と、アメリカから輸入したデュロック種鹿児島の黒豚であるバークシャー種を交配し、日本の豚としては最高値で取引される平牧三元豚を誕生させ、ヒラボクブランドを一代で確立した[1][3]

1999年、設立以来務めてきた社長職を子息の嘉七にまかせ、会長に退き、新田は対外活動に軸足を移した[4]

2026年7月12日、酒田市日本海総合病院で死去。92歳没[5][6]

エピソード

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酒田市の中心市街地が酒田大火で被災した際、運営資金が枯渇していた酒田商工会議所に私財を提供。庄内空港開設の際には前田巌らと共に旗振り役を務めた。同商議所会頭時代には、日本海沿岸部とロシアアムール川を経て中国黒竜江省ハルビンを結ぶ貨物航路「東方水上シルクロード」を提唱[7][8]公設民営による東北公益文科大学開学(2026年に公立化)に尽力し、2000年には私財を投じて老舗料亭を買い取り、観光施設「相馬樓」として再生した。このほか美術品収集家としても知られ、コレクションの多くを酒田市美術館に寄贈している[8]。こうした郷土である庄内地方・酒田地域の発展において挺身する姿を評価する者も少なくないという[3]

馬主活動

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新田の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られた。勝負服の柄は白、紫ダイヤモンド、緑袖、冠名には「チョウカイ」「ヒラボク」を用いた。

冠名が「チョウカイ」だった時代、馬名に「チョウカイテイオー」と登録を申請したが、「(1991年の日本ダービー優勝馬の)トウカイテイオーと紛らわしい」として却下されたというエピソードがある(結局「チョウカイライジン」で馬名登録が認められた)[要出典]

主な所有馬

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略歴

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  • 1933年(昭和8年)10月6日 - 山形県飽海郡平田町]](現:酒田市)に誕生。
  • 山形県藤島農業高等学校(現:山形県立庄内農業高等学校)卒業。
  • 1964年(昭和39年) - 食肉直売所開設。
  • 1967年(昭和42年) - 平田牧場設立。
  • 1971年(昭和46年) - 平牧工房設立。
  • 1999年(平成11年) - 社長職を息子の新田嘉七に譲り、同社会長就任。
  • 2004年(平成16年)8月 - 平田町名誉町民(現:酒田市名誉市民)推戴。
  • 2009年(平成21年)6月 - 東北公益文科大学理事長就任。
  • 2026年(令和8年)
    • 3月末 - 公立化に伴い東北公益文科大学理事長を退任[7]
    • 7月12日 - 心不全のため、山形県酒田市の日本海総合病院で死去した[9]92歳没

受賞歴

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メディア出演

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  • 2009年(平成21年)8月31日 - 『日経スペシャル カンブリア宮殿』 流通革命が、農業を救う!(テレビ東京)[13]
  • 2011年(平成23年)
    • 1月2日 - 『故郷への報恩の思い〜新田嘉一氏が綴る 平田牧場の奇跡〜』(山形テレビ
    • 1月4日 - 『飛躍の年2011年〜新田嘉一氏に聞く〜』(山形放送
  • 2026年(令和8年)4月30日 - YBC山形放送【番組】逆白波の男[14]

書籍

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著書

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  • 『平田牧場「三元豚」の奇跡』潮出版社、2010年11月5日。ISBN 978-4-267-01859-6

編著

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  • 『「平田牧場」新田嘉一物語 夢を追い続け80年公に活きた志』平田牧場、2014年4月。 

関連書籍

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  • 佐藤亮子『んだ豚だ! コメを捨てた男-平田牧場主 新田嘉一』協同図書サービス、1994年12月1日。ISBN 4-7874-7006-X
  • 『新世紀へ、庄内の道標 新田嘉一、富塚陽一町田睿 鼎談』荘内日報社、1998年10月。
  • 水戸部浩子 『実在感と重量感 新田嘉一コレクション』みちのく書房、2004年6月1日。ISBN 4-944077-69-6
  • 石川好佐高信(編著) 『三元豚に賭けた男 新田嘉一 平田牧場の43年』七つ森書館、2010年8月15日。ISBN 978-4-8228-1016-0
  • 粕谷昭二『商港都市酒田物語 新田嘉一の夢と情熱』荘内日報社、2017年10月。 

脚注

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  1. 1 2 起・業・人 流通からの値下げ圧力に屈せず「肉質守る」平田牧場会長 新田嘉一”. ダイヤモンドオンライン (2009年2月20日). 2013年12月1日閲覧。
  2. 1 2 「平田牧場 新田嘉一--絶対にあきらめない情熱が生んだ「日本一の三元豚」山村 基毅」『月刊 潮』 2010年10月号
  3. 1 2 『三元豚に賭けた男 新田嘉一 平田牧場の43年』
  4. 「ひと劇場 新田嘉七氏「平田牧場社長」」『日経ビジネス』 2009年4月6日号
  5. 平田牧場創業者・新田嘉一氏が死去”. YTS山形テレビ (2026年7月12日). 2026年7月12日閲覧。
  6. 新田嘉一氏が死去 92歳”. やまがたニュースオンライン (2026年7月12日). 2026年7月12日閲覧。
  7. 1 2 “山形・平田牧場創業の新田嘉一氏死去 92歳、地域の産業・教育振興も”. 日本経済新聞. 2026年7月13日. 2026年7月13日閲覧.
  8. 1 2 【記事を更新しました】山形・平田牧場グループ会長の新田嘉一さん死去 県内から悼む声「地域の将来づくりに大きな足跡残した」”. 河北新報オンライン (2026年7月12日). 2026年7月15日閲覧。
  9. 平田牧場創業者・新田嘉一氏死去 92歳 ブランド豚開発など畜産業をけん引 酒田港の貿易促進や東北公益文科大開学などにも尽力(2026年7月12日掲載)|YBC NEWS NNN”. YBC NEWS NNN(山形放送) / 日テレNEWS NNN (2026年7月12日). 2026年7月12日閲覧。
  10. <河北文化賞>贈呈式 開いた道、研さん誓う”. 河北新報 (2015年1月18日). 2015年6月11日閲覧。
  11. 河北文化賞・新田さん 酒田で祝賀会”. 河北新報 (2015年6月9日). 2015年6月11日閲覧。
  12. <春の叙勲> 旭日小綬章 地域振興に情熱注ぐ 山形県酒田市の元酒田商工会議所会頭・新田嘉一さん(91)”. 河北新報 (2025年4月29日). 2025年5月6日閲覧。
  13. 流通革命が、農業を救う! - テレビ東京 2009年8月31日
  14. YBC山形放送公式チャンネル (2026-04-29), 【番組】逆白波の男 2026年4月30日閲覧。