新海幸藏

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Postcard of Shinkai Kozo Scan10003.jpg
新海の絵葉書
基礎情報
四股名 新海 幸藏
本名 中野 幸藏
愛称 秋田犬・アニ公・ヘツケ・喧嘩五人衆[1]
生年月日 1904年2月29日
没年月日 (1976-02-17) 1976年2月17日(71歳没)
出身 秋田県秋田市
身長 174cm
体重 98kg
BMI 32.37
所属部屋 入間川部屋出羽海部屋
得意技 右四つ、足癖、吊り
成績
現在の番付 引退
最高位関脇
幕内戦歴 145勝164敗1分
データ
初土俵 1921年1月場所
入幕 1927年5月場所
引退 1937年5月場所
引退後 米菓製造業・不動産業
備考
金星3個(宮城山福松
2013年7月15日現在

新海 幸藏(しんかい こうぞう、1904年2月29日 - 1976年2月17日)は、秋田県秋田市出身の元大相撲力士。本名は中野 幸藏(なかの こうぞう)。新海という四股名は「あらうみ」と読まれていたが、何故かいつの間にか「しんかい」と読まれるようになり、現在ではこちらのほうが通りがよい[2]

来歴[編集]

日新小学校高等科を卒業後に、地元の高堂茶店に勤めた。最初、茶店に母に連れられて訪れた時に、体格を見た主人から幸蔵本人ではなく父と勘違いされた。1920年の暮れに単身で上京して、入間川部屋に入門した。1921年1月場所に初土俵を踏むが、その後に出羽海部屋へ移籍した。1925年5月場所に十両昇進、1927年5月場所で新入幕を果たした。入幕後、しばらくは幕内上位に行っては負け越して降格することを繰り返していたが、宮城山福松から金星を3個獲得する活躍を見せた。

1932年1月6日に勃発した春秋園事件によって脱退し、関西角力協会主催のトーナメント戦で優勝した。1933年1月場所に於いて幕内格別席で帰参すると、1934年5月場所で7勝4敗と勝ち越して関脇に昇進し、1935年1月場所も6勝5敗と勝ち越した。

次の5月場所では2勝9敗と大きく負け越して以後三役には戻れなかったが、1936年1月場所初日に双葉山定次を破った[3]。ところが、翌1937年の九州巡業中に、酒に酔って綾櫻由太郎ビール瓶で殴ってしまい、5月場所を最後として強制的に引退させられた。不祥事を起こした矢先の引退相撲でも祝儀の分配を巡って師匠の出羽海と揉めては師匠をも殴ったと言われている。 引退後は年寄・荒磯を襲名し、検査役を務めていた。

1951年の廃業後は不動産業・米菓製造業など様々な事業に手を出したが、全て失敗した。1975年からは生活保護の対象になってしまい、神奈川県川崎市アパートに移り住んで一人暮らしをしていた。廃業した理由として、当時訪ねてきたケースワーカーに対し、「(相撲の)年寄株を巡ってこじれ、相撲から足を洗った」「若い頃に結婚したが、『子どもが出来なければ10年で別れる』という契約に従って別れて、それからは一人だった」「(東京都)三鷹(市)で不動産業をしていたが、不況で思うようにいかなり、川崎に引っ越してきた。国の世話にはなりたくないが、生きていけないんでねぇ…」などと話していたそうである[4]

1976年2月17日、自身が吸っていた煙草の不始末からアパートを全焼させる火災を起こし、新海は自分の部屋で焼死した。71歳没。

人物[編集]

しつこい足癖で鳴らした力士で、「タコ足の新海」とも称された[2]。その代表的なスタイルはを引いて相手の前廻しを取って食い下がり、足を掛けたら絶対に離さず、そのままもたれ込むものだった[5]。相手が低く腰を割った体勢でも構わず足を掛けた。だが、その取り口は相手力士に怪我を負わせることも多く、前述のビール瓶事件に象徴されるように、気性が荒く酒が入ると手がつけられなかった[2]。そのために、力士仲間からは嫌われていた。気性の荒さを物語る具体的なエピソードは他にも存在し、新国劇の沢田正二郎中耳炎で亡くなった際には、「新海に殴られたせいだ」という噂が立った。

寺山修司に新海の晩年を扱った短編小説がある。

粗暴さの一方で親孝行で知られ、巡業先から親に衣類を贈ったり、戦時中でありながら親に約40日の日本一周旅行をさせたりした。

主な成績[編集]

  • 幕内在位:28場所(うち関脇2場所、幕内格別席1場所)※春秋園事件で脱退した1932年1月場所を含まず。
  • 幕内成績:145勝164敗1分 勝率.469
  • 金星:3個(宮城山福松)

場所別成績[編集]

新海幸蔵
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1921年
(大正10年)
(前相撲) x 西序ノ口16枚目
4–1 
x
1922年
(大正11年)
西序二段18枚目
4–1 
x 東三段目24枚目
4–1 
x
1923年
(大正12年)
西幕下34枚目
7–3 
x 西幕下15枚目
3–3 
x
1924年
(大正13年)
東幕下11枚目
2–3 
x 西幕下17枚目
3–3 
x
1925年
(大正14年)
東幕下16枚目
5–1 
x 東十両15枚目
4–2 
x
1926年
(大正15年)
東十両5枚目
4–2 
x 西十両4枚目
4–4 
x
1927年
(昭和2年)
西十両2枚目
優勝
8–0
西十両2枚目
8–3 
西前頭9枚目
7–4 
東前頭14枚目
3–8 
1928年
(昭和3年)
東前頭3枚目
7–4 
西前頭9枚目
7–4 
西前頭2枚目
5–6 
西前頭2枚目
5–6 
1929年
(昭和4年)
東前頭6枚目
6–5 
東前頭6枚目
6–5
東前頭3枚目
4–7 
東前頭3枚目
2–9 
1930年
(昭和5年)
東前頭10枚目
8–3 
東前頭10枚目
6–5 
東前頭4枚目
4–7 
東前頭4枚目
6–5
1931年
(昭和6年)
西前頭3枚目
3–8
西前頭3枚目
4–7 
東前頭9枚目
6–5 
東前頭9枚目
5–6 
1932年
(昭和7年)
西前頭7枚目
 
x x x
1933年
(昭和8年)
前頭
5–6 
x 西前頭8枚目
6–5 
x
1934年
(昭和9年)
東前頭4枚目
6–5 
x 東前頭筆頭
7–4 
x
1935年
(昭和10年)
西関脇
6–5 
x 東関脇
2–9 
x
1936年
(昭和11年)
西前頭5枚目
6–5 
x 東前頭2枚目
3–8 
x
1937年
(昭和12年)
東前頭7枚目
5–5
1分
 
x 東前頭7枚目
引退
5–8–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注[編集]

  1. ^ 宝川政治真鶴秀五郎銚子灘傳右エ門玉錦三右衛門、そして自身を表す総称であり、いずれも気性が荒く喧嘩っ早い力士であった。
  2. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p25
  3. ^ この場所、7日目から双葉山の69連勝は始まっているが、6日目の玉錦三右エ門戦の前に土を付けたのが新海だった。
  4. ^ 朝日新聞』1976年2月17日付東京本社版夕刊8頁
  5. ^ 水野尚文・京須利敏編著『平成22年版大相撲力士名鑑』共同通信社2009年、74頁

関連項目[編集]