新日吉神宮

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新日吉神宮
Imahie-jingu haiden.jpg
本殿
所在地 京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
位置 北緯34度59分19.8秒
東経135度46分41秒
座標: 北緯34度59分19.8秒 東経135度46分41秒
主祭神 日吉山王七神
後白河天皇
社格 府社
創建 1160年永暦元年)
本殿の様式 流造
例祭 10月16日
地図
新日吉神宮の位置(京都市内)
新日吉神宮
新日吉神宮
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新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、京都府京都市東山区にある神社。旧社格府社。現在は神社本庁に属さない単立神社となっている。旧称は新日吉社、明治以降は新日吉神社

祭神[編集]

主祭神
相殿

歴史[編集]

社伝によれば、1160年永暦元年)後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、現在より南に創建されたと伝えられる。その後、社地を転々とし、一時はほとんど廃絶という状態であったが、寛永17年(1640)現在地のやや北側、旧豊国神社の参道上に再建された。あたかも参道を塞ぐように再建されたため、「幕府が豊国廟への参拝を妨げるために再建した」との説が明治以降流布したが、この再建に幕府が積極的に関わった形跡はなく、伝承では再建したのは後水尾上皇、直接に関与したのは妙法院の尭然法親王(後水尾実弟)である。再建新日吉神社には明暦元年(1640)に樹下(このした)社(現在は豊国社と改称)が勧請され、そこには妙法院で密かに保管されていた豊国神社のご神体も祀られた。これらのことから新日吉社の再建は、実は「豊国神社の復活」ではなかったかとの見方もある。このような説が生まれる背景には、秀吉の元姓が「木下」(樹下に通ずる)、また幼名が「日吉丸」(日吉社に通ずる)と符合する点がある。豊国廟参道から移動させられ現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年(明治30年)の時である。1958年昭和33年)、後白河天皇を増祀し、翌1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めた。

境内社[編集]

末社

新日吉神宮の境内の文化財[編集]

境内[編集]

所在地[編集]

  • 京都府京都市東山区妙法院前側町451-1

関連項目[編集]

外部リンク[編集]