ぶっつけワイド

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ぶっつけワイド
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 1978年10月2日 - 1997年4月4日
放送時間 月 - 金曜 13:00 - 16:30
→ 月 - 金曜 13:00 - 15:20
放送回数 4747
放送局 東海ラジオ放送
パーソナリティ #歴代パーソナリティの節を参照
特記事項:
2016年7月11日 - 同年7月26日まで「復刻版」を放送
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ぶっつけワイドは、東海ラジオ放送1978年10月2日 - 1997年4月4日まで、18年半にわたって放送された昼のワイド番組

放送時間の変遷[編集]

レギュラー版は月曜 - 金曜の放送。復刻版は月曜 - 木曜の放送。

  • 1978年10月2日 - 1990年3月 13:00 - 16:30(後に5分短縮、 - 16:25に)
  • 1990年4月 - 1997年4月4日 13:00 - 15:20(サテスタパートが『NORINORIあふたぁぬ〜ん』として独立したため、放送枠を縮小)
  • 2016年7月11日 - 2016年7月26日 13:00 - 16:00(期間限定の復刻版放送)[1]

歴代パーソナリティ[編集]

裏番組の『ばつぐんジョッキー』(CBCラジオ)の人気に対抗して、当番組を開始した。番組開始当初は「ばつぐん - 」の人気が高かった月・木曜に全国区のタレント(後述)を起用したが、火・水・金曜を担当した松原敬生蟹江篤子両アナウンサー(当時)のコンビが圧倒的に人気が高いことが判明し、1985年4月から松原・蟹江コンビが平日全曜日を担当する形に移行。その後は「ばつぐん - 」の優位が一気に揺らぎ、以降は一転して「ばつぐん - 」と聴取率争いを展開した。

レギュラー版[編集]

  • 土居まさる(月曜日、開始 - 1980年9月まで)
  • 松原敬生(東海ラジオ アナウンサー(当時)。開始当初は火・水・金、1985年4月からは平日全曜日。前番組『モアミュージック1・2・3・4』メインパーソナリティから続投)
  • 春風亭小朝(月曜日、土居の後任、1980年10月 - 1985年3月)
  • 春日三球・照代(木曜日、開始 - 1982年3月まで)
  • 小林三季子(土居、三球・照代のアシスタント) 
  • 堀田美也子(小朝、三球・照代のアシスタント(小林の後任)、現在は東海ラジオにディレクターとして在籍)
  • 蟹江篤子(東海ラジオ アナウンサー(当時)。放送開始 - 1989年2月、松原とのコンビで1985年4月からは平日全曜日担当、自らの体調不良を理由に1989年2月を以って降板)
  • 水谷若緒(蟹江の後任、当初は平日全曜日 → 1989年6月より月 - 水、1989年2月 - 1993年3月)
  • 佐田玲子(1989年6月 - 1990年5月まで、木 - 金)
  • 藤野直子(1990年6月 - 1993年3月、木 - 金)
  • 加藤千晴(1993年4月 - 1995年3月、木 - 金)
  • 神野三枝(1993年4月から月 - 水 → 1995年4月からは平日全曜日 松原ともに最終回を迎える) 
    • 当初、裏番組の『ばつぐんジョッキー』(CBCラジオ)のうち、とりわけ聴取率の高かった月曜(当時のパーソナリティは板東英二)、木曜(当時のパーソナリティは上岡龍太郎)の対抗策として、松原・蟹江のアナウンサーコンビを主軸としながら、両曜日については全国区で知名度や実績のある外部タレントとフリーアナウンサー(月曜は土居 → 小朝、木曜は三球・照代)がパーソナリティを務める形でスタートしたが、聴取率調査の結果、外部タレントを起用した月・木曜の聴取率よりも松原・蟹江が担当する火・水・金曜の聴取率が圧倒的に高かったため、後に小朝、三球・照代は番組を降板。松原・蟹江コンビが全曜日を担当した。名古屋弁を全面に押し出した両者の時には応酬合戦に近い、フリートークのやり取りがリスナーから人気を得た。この改編から4年後の1986年に『ばつぐん - 』は終了。1990年代 前半に掛けて、在名 民放ラジオ局 平日昼の生ワイド番組の雄として安定した人気を誇り続けた。[要出典]

復刻版[編集]

変遷[編集]

期間 月曜 火曜 水曜 木曜 金曜
1978.10 1980.09 土居まさる
小林三季子
松原敬生
蟹江篤子
春日三球・照代
小林三季子

春日三球・照代
堀田美也子
松原敬生
蟹江篤子
1980.10 1982.03 春風亭小朝
堀田美也子
1982.04 1985.03 松原敬生
蟹江篤子
1985.04 1989.02 松原敬生
蟹江篤子
1989.02 1989.05 松原敬生
水谷若緒
1989.06 1990.05 松原敬生
水谷若緒
松原敬生
佐田玲子
1990.06 1993.03 松原敬生
藤野直子
1993.04 1995.03 松原敬生
神野三枝
松原敬生
加藤千晴
1995.04 1997.03 松原敬生
神野三枝
2016.07
(復刻版)
松原敬生
蟹江篤子
松原敬生
佐田玲子[2]
松原敬生
蟹江篤子[3]
(放送なし)

テーマミュージック[編集]

主な企画[編集]

  • 1時のプレゼント[4]
  • ニュースデスクから[4]
  • 街角からのリクエスト[4]
  • ぶっちゃけ問答[4]
  • 男と女の人生相談[4]
  • ハロー! ドライバー[4]
  • スター登場[4]
  • ラジオ姓名判断[4]
  • カラオケ一番(13時台前半のコーナー)[5]
  • コント昼下がり[4]
    • あかひげ薬局 が提供する読者からの投稿コーナー。内容はちょっとエッチな表現を含むもの。
  • かあさんのポケット[5]
  • 新幹線ミュージッククイズ[5]
    • イントロ当てクイズ。聴取者が、テーマに沿って出題される楽曲の冒頭部分を10曲連続で聞き、順不同で楽曲名を当てるクイズ。コーナータイトルの通り、東海道・山陽新幹線の愛称のコースがあり、コーナー開始当初は「ひかり(各曲3秒)」と「こだま(各曲5秒)」があった。一時期「ひかり」の更に上級コースとして「スーパーひかり(各曲1秒)」があったが、後に「のぞみ」が新幹線で走るようになってからは「のぞみ(各曲1秒)」としてコースに加えられた。一度選ばれたコースは次の聴取者は選ぶことが出来ず、残りのコースのみから選択となった。1問正解毎に賞金が用意されており、聴取者へ贈られていた。賞金は「のぞみ」が一番高く設定されていた。復刻版では「ひかり(各曲5秒)」「のぞみ(各曲3秒)」「リニア(各曲1秒)」の3コース[1]
  • お仕置きコーナー[5]
  • 贈ることば[6]
  • 飛びこみマイク[7]
  • ドラゴンズ情報
  • ギャラリーからこんにちは[4]
    • サカエチカ内の日産ギャラリー内に当時併設されていたサテライトスタジオからの公開放送パート(同パートは1990年4月より『NORINORIあふたぁぬ~ん』(パーソナリティー:梅野勝彦(東海ラジオ アナウンサー(当時)) →1993年より タクマ)として当番組から独立。これに伴い、当番組の放送時間は従来より55分 縮小(上記参照)した)。
  • 電話リクエスト企画(木曜日)
    • 裏番組の『ばつぐんジョッキー』(CBCラジオ)の上岡龍太郎がパーソナリティを務めていた木曜日の聴取率が高く、半ば諦めムードで「いくら、ぶっつけワイドでも(上岡がパーソナリティを務める木曜の『ばつぐん―』には)、ようぶつからん。音楽 掛けよう、音楽で逃げようって電話リクエストをやることにした」との事。

特別企画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 期間限定「ぶっつけワイド」復刻版 Archived 2016年7月6日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 7月21日(木)を含む
  3. ^ 7月21日(木)を除く
  4. ^ a b c d e f g h i j 東海ラジオ放送二十年史(東海ラジオ放送株式会社 編 1979年)p.251
  5. ^ a b c d ラジオ新番組速報版 1992年春号 p.62 - 63 東海ラジオのページ
  6. ^ ラジオ新番組速報版 1994年春号 p.62 - 63 東海ラジオのページ
  7. ^ ラジオ新番組速報版 1987年春号 p.108 - 109 東海ラジオのページ など
  8. ^ a b c d 東海ラジオ放送創立50年のあゆみ 50th anniversary(東海ラジオ放送株式会社 編 2009年)p.62 - 63
  9. ^ 東海ラジオ放送創立50年のあゆみ 50th anniversary(東海ラジオ放送株式会社 編 2009年)p.73
東海ラジオ放送 月曜 - 金曜 13:00 - 15:20枠
前番組 番組名 次番組
ぶっつけワイド
(1978年10月2日 - 1997年4月4日)
東海ラジオ放送 月曜 - 金曜 15:20 - 16:30→15:20 - 16:25枠
モアミュージック1・2・3・4
ぶっつけワイド
(1978年10月2日 - 1990年3月)
NORINORIあふたぁぬ〜ん
東海ラジオ放送 月 - 木曜 13:00 - 16:00
ぶっつけワイド復刻版