新宿騒乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

新宿騒乱(しんじゅくそうらん)とは、1968年10月21日東京都新宿区で発生した新左翼暴動事件。

事件の発端[編集]

事件が起きた10月21日は国際反戦デーにあたり、反戦運動諸団体はベトナム戦争に反対する集会を各地で開いていた。新左翼諸派も例外ではなく、1967年8月8日新宿駅で発生した米軍ジェット燃料タンク車爆発事故を捉えて、「新宿米タン闘争」と称して新宿駅での暴動を計画していた。この暴動では騒擾罪(そうじょうざい、現在の騒乱罪)が適用されたが、「騒擾罪をはねのけて闘うぞ」とアジるなど、始めから騒擾罪(犯罪)を覚悟しての犯行であった。

前日の20日、駅東口でベ平連・国際文化会議を中心とする街頭時局講演会が開かれ、小田実らによる抗議運動が行われていたが、これはあくまでも順法的なものであった。それに対し、新左翼の方は既に10月8日「羽田闘争一周年」の集会後、燃料タンク車の移動妨害のため中核派・社学同・ML派とともに新宿駅構内に侵入し、144人が逮捕される事件を引き起こしており、二度目の騒擾でもあった。

事件の概要[編集]

1968年10月21日、中核派ML派第四インターは、明治公園及び日比谷野外音楽堂で集会を行った後、角材等で武装しながら続々と約2000人が新宿駅に集結し、各所で機動隊と衝突した。

午後9時頃、デモ隊は新宿駅東口の広場で決起集会を開き、その後再度駅構内に乱入した。電車のシートを外して、それを薪代わりにして放火し、南口を炎上させた。また、停車中の電車や信号機など駅施設に投石を繰り返した。

騒ぎはデモ隊の何倍もの数となる野次馬が2万人も集まり拡大化し構内は破壊された。新宿駅に接続する国鉄などの交通機能が麻痺状態に陥り、約150万人の通勤通学などの利用客が影響を受けた。

日本政府は、翌日10月22日午前0時15分に騒擾罪の適用を決め、743人を逮捕した。電車は午前10時まで運転取りやめとなった。翌1969年10月21日にも新左翼の学生数百人が駅構内に突入して破壊活動を行っている。

その他[編集]

当時機動隊員であった声優の若本規夫は、機動隊側の最前線で攻防に加わっていた[1]

脚注[編集]

  1. ^ 拳に想いをこめて、40年声優界の大ベテラン”. 先輩に乾杯!進路に迷ったときに読む、 身近な先輩へのインタビュー. 早稲田ウィークリー (2010年10月14日). 2013年12月19日15:45閲覧。

参考文献[編集]

  • 『過激派事件簿40年史』立花書房、2001年
  • 事件犯罪研究会編『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年
  • 原武史『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』新潮文庫 2011年

関連項目[編集]